2011年4月28日木曜日

指貫


 皮で指貫を作った。幅1.3cm×中指の周りの長さの皮を、くるりと紫のちりめんの布で包む。その上に画用紙を白いちりめんの布で包んで乗せる。二つを重ねて、飾り糸で絎けて出来上がった。
縫い物をする時の必需品だけれど、長い歴史があるらしい。中国で4500年前に絹が出来、それを縫い合わせる針で指を傷つけないように作られたらしい。古墳から出て証明されている。
海外旅行へ行くと、ショーウインドウの中の‘指貫’を探す。自分へのおみやげには小さくて軽くて安くてぴったりです。
シンガポール・香港・バンコク・北京・スイス・ドイツ・リヒテインシュタイン・フランス・イタリアと世界中の女性は縫い物をする。サルラのは、フォアグラの産地なので‘がちょう’が描いてある。ウッフィ美術館のショップで見つけたのはGINORIとマークが内側に描いてある。
 指貫を作っている時に、隣の人が沢山の色の絹糸を持っていた。「加賀の指貫を習っているのよ!」と優雅に話された。真綿と絹糸でつくる‘加賀の指貫’を次回見せて頂く約束をした。

2011年4月26日火曜日

桜の塩漬け

 日曜日に投票所へ行く途中の道に、桜蕊がびっしり落ちていた。前日の風と雨で落ちたのだろう。
毎年二月の末から桜の様子を立ち話の話題にしてきたけれど、今年はいつの間にか慌しく散っていった。
桜の花びらをエレベーターの中に見つけた時、そろそろ八重桜も6~7分咲きかな?と、近くの小学校の校庭へ行って花をハンカチ一杯頂いた。
閉校なので管理者の方に話して、昨年も頂いて塩漬けにした。塩をして二日間重しをかけて水と灰汁を出す。水を切って酢につけて三日間漬けた。赤い桜酢は幼い人の為に取っておいて‘桜寿司’にしよう!
今日のお昼は‘アンパン’2個とレタスのサラダと目玉焼きと紅茶です。

2011年4月22日金曜日

姫りんごの花


 「桜の花が終わる頃に、白い花が咲きます。」と 盆栽師矢島正さんが植え替えの時に言われた通りに、ピンクの蕾が5~6個づつ付いて、純白の花が咲いてきた。
受粉はさせなくても虫や風で受粉するらしいけれど、綿棒を持ってウロウロ。
「このままの数で実を生らせると小さな実になるので、花を間引いて下さい。」とも言われたっけ!
早朝と日が落ちてからの水やりは欠かせないので、海外旅行へ行けなくなってしまった。
 今年の目標は、英国のEJEFで第1週・英国の食生活、第2週・ライフスタイル、第3週・イングリッシュガーデン、第4週・文化遺産、週末にはコッツウオルズ地方へという計画だったけれど夢になった。

2011年4月19日火曜日

四合わせのお手玉

 女性が着物を着て暮らしていた頃は、仕立てた後の残り布で、子供たちは人形の着物や小さな袋物やお手玉などを作ってもらっていた。
お手玉は皆な自分のを持っていて、女の子の得意技だった。中国地方では‘おじゃみ’と言っていたっけ。
4枚の(4.5 cm×9cm)色の違う布を交互に組合わせて縫って、座布団型のお手玉を作った。一針一針縫っていると、幼い頃に妹と唄いながら、飽きもせずにお手玉で遊んだことを思い出す。

 ケアーホームやデイサービスでは、お遊戯の時間に「幸せなら手をたたこう!パチパチ!」と手をたたいたり、タンバリンや鈴を鳴らして歌っているけれど、「お手玉も取り入れたらどうだろう!」と思った。
‘昔とった杵柄’で、生き生きとして遊ばれるのではないだろうか?
介護してくれているお姉さんやお兄さん達よりは、きっと上手だと思う。
老人ホームで俳句の指導をしている友人が「変わってくるんだよ!とにかく表情が変わり生き生きして、宿題の兼題で句を作って、次回を待っていてくれるんだ!」と話していたのを思い出す。好きなこと、得意なことなら乗り気になる。
自分が幸せなのか、不幸せなのかと考える事も忘れてしまった無表情な方々に、生き生きとした輝く目が戻るのではないかなア!と思いながらお手玉を縫った。

2011年4月15日金曜日

桜草展

 明日からグリーンセンターで‘桜草展’(16日~24日)が開催される
2月に1鉢を頂いて、植え方や管理の仕方を教わった時に、「4月に咲いたら桜草展に出して下さい!」と言われていたので出品した。「淡雪」という名前の桜草は真っ白く丸く咲いた。立派な芽を4個植えたので、4本の茎が立ち上がってきた。1鉢に4本の茎を立たせるものらしい。花弁の形は広弁で、掴み咲き、花弁の先端は元細弁だった。搬入し準備中の展示を見せて頂いた。

江戸時代からの伝統的な展示法は凝っている。盆栽と違って、女性が中心になって楽しんでいたと文献に書かれている。
味噌など入れていた孫半斗瓶の底に穴を開けて植えていて、女性らしい工夫だなあ!と感心した。ここでは200種300鉢を所有し育てているそうです。
‘淡雪’は24日夕方に搬出するまで咲き続けているだろうか。

2011年4月13日水曜日

落雁

 和食器売り場を歩いていると、急須と湯呑みのコーナーがあった。
常滑焼きの急須を見ていると、「急須の中の茶漉しは‘出べそ’をお選び下さい。」と言われた。注ぎ口の内側の茶漉しが丸く膨らんで、まるで‘出べそ’のようだ。
深蒸し茶には細目。煎茶には普通目。ほうじ茶・番茶には粗目の網。
やはり日本茶には和菓子が似合います。傍には創作和菓子の‘落雁’と‘羊羹(イチジクの入った)’があった。
落雁を作りたいと思っていたので、お手本に求めた。

 赤色のはイチゴ入り。白色のはローズマリ入り。緑色のは柚子抹茶入り。添えた花は‘春の寄せ植え’で次々と咲く‘花かんざし’を摘んで作ったドライフラワーです。

 売り場には和菓子の型が様々置いてあり、苔玉が良い感じである。お店のディスプレーは撮ってはいけないのだと思ったけれど、手を合わせて「良い感じなので一枚だけ撮らせて頂けません?」と聞いてみたら 「いいですよ!傍にいますから!」と あっさり言って下さった。

2011年4月12日火曜日

蝋燭消し

 デパートをブラブラ歩いていると衝動買いをして反省する時もあるけれど、良かったこんな品物に出会えて!と嬉しいこともある。
S子さんが「あっ!‘高澤蝋燭店’の品物だわ!実家へ帰るときにはこの店の前を通るのよ!」と言った。和蝋燭の黄色は優しく‘菜の花蝋燭’と名づけてあった。ハゼの木の実を絞った油で作る和蝋燭の明かりは、柔らかく感じられる。4代目社長は彼女の高校の先輩とか。
「この蝋燭消しを使っているのよ!」と 教えてくれたのは、20cmの鉄製の柄に小さな釣鐘がついている。
停電が終わりパッと電気が点いた時に、私はずーっと昔から何故か持っているピンセットの先(先が平たいもの)で挟んで消している。
気に入った‘真鍮製の蝋燭消し’があったけれど、1050円もするので悩んだ。
 数年前に丸の内で買った‘鉄製の燭台’と‘赤い絵蝋燭’は、偶然にも‘高澤蝋燭店’のものだったので、これも何かのご縁と思って一人悦に入っている。

野の花


  車窓から沢山の花見をしながら、S子さんと新宿伊勢丹本店へ出掛けた。
数年前から秋田在住の平岡素子さんの日々の暮らしのファンである。
お父様から作品を展示すると伺っていたので浮き浮きと出掛けた。
「NIPPON VISION4」 の企画展は、各県のテーブルに腕っこきの品々が出品されていた。
 素子さんの作品は生成りの木綿地に「野の花の姿」がシルクスクリーンプリントされている。削ぎ落とされた確かな線は生き生きしていた。素子さんは武蔵美の後、イタリアへ留学しておられたとか。

・ナズナ(アブラナ科) 白い花が咲き、三味線の撥の形の実が次々と
              上がってくる。
・サンガイグサ(シソ科) ピンク色の花が咲く。
・タネツケバナ(アブラナ科) 白い花が咲き、実は細長くツンツンと
                  上向きにつく。
・キュウリグサ(ムラサキ科) 3㎜くらいの紫色の花が咲く。四方八方
            に葉を広げて、揉むとキュウりの匂いがするとか。

風呂敷に使っても良いけれど、スカーフにして籠を持って‘摘み草’に出掛けたいな!

  

2011年4月7日木曜日

盆栽の基礎講座

 開口一番「葉の落ちる木は、芽が膨らんで緑色がちょっと見えてきたら植え替えます!」と盆栽士 矢島正氏が言われた。「自分は商売で大量の盆栽の出荷に間に合わないので正月明けから作業している。」とも。
白髪まじりの頭は短く刈り込んで、身のこなしが軽やかで眉間の辺りが気難しそうだけれど、笑うとはにかんで可愛いかった。
‘姫りんご(バラ科)’と‘ツリバナマユミ(ニシキギ科)’が教材だった。30人の生徒の3分の2は男性で、女性は皆30歳代だったのに驚いた。
知らないことばかりなので筆記するのが大変!植え替えに入ってからは質問続出で、先生と弟子が飛び回って教えられる。伸びている枝をどこで切り詰めるかは、考えても説明を受けても分からないので切って頂いた。大胆に切られたが、的確なのだろう!と思った。
「鉢は、その木が自然の中にあったような環境に置いて下さい。姫りんごは日当たりの良い所。ツリバナマユミは大木の下の木漏れ日で育つので、半日陰で。」と言われた。
植え終えて、鉢と木を麻紐で固定する‘植木のイボ結び’で皆な苦戦した。帰る車の中で倒さないようにユルユル帰った。その時は芽があるかなきかだったけれど、20日たって葉と赤芽が出てきた。


        青い鉢の口径は6cm・白い鉢の口径は12cm 

2011年4月3日日曜日

春の寄せ植え

 東日本大震災の起こった翌日、中庭花壇を見に行った。前日植えた花苗の土の状態を見に行った。
そこで皆さんと「怖かったねえ!まだ時々揺れる!大丈夫だった?」と口々に話した。水やりを終え昼時になったので家に帰ると、「寄せ植えの講習会へ行くのを忘れてるだろう!グリーンセンターから電話があったぞ!」と言われた。「2500円持って取りに来て下さい。」と言う伝言だった。
 「すっかり忘れていました!」と 平身低頭しながら受け取りに行くと 「昨日の今日だから中止にしようという話も出たけれど、材料が入っているので決行しました。」とのことだった。
プリムラ(サクラ草科)西洋サクラ草・ムスカリ(ユリ科)・花かんざし(キク科)英名paper daisy・カルーナ(ツツジ科)・プリムラポリアン(サクラ草科)バラ咲きの5種を植えた。
10日後に名古屋へ行くことになったので 「チビちゃん達に会いに行かない?」と 夫を誘ったら「家を守る!」と 言ったので、ついでに水やりも頼んで出かけた。

    悪妻を自認してをり着膨れて    つるばみ

2011年4月1日金曜日

七宝町

 宝石のような七宝焼きの故里といわれる‘七宝町’へ出かけた。ホームから線路を歩いて渡って、無人駅に行くと誰もいない。
‘七宝焼アートヴィレッジ’の方向が判らなくて途方にくれていると、自転車の二人連れがきたので訊ねると 「遠いですよ!」と教えてくれた。バスもタクシーもないと言う。女の子が携帯でタクシー会社を捜してくれたけれど「あれっ?新潟の会社だ!」と言うので、「新潟から呼ぶのはちょっとね!」と 言って三人で笑った。
「自転車乗れますか?一緒に行きます。僕走るから!」と 言ってくれた。「もう十年くらい乗ってないの!」「ええーっ!この辺の婆ちゃんは皆乗ってますよ!」と又 笑った。
爺ちゃんを呼んで車で連れてって貰おう!と 相談し始めたので 「隣の木田駅へ行ってタクシーで行くから!」と お礼を言って手を振って別れた。高校生の頃の春休みに、好きな男の子と自転車デートは楽しそうだなあ!

‘七宝焼アートヴィレッジ’は畑の中にあり遠くから見える。和風の平屋建てで地元の人々に様々な形で開放されている。
オランダから輸入されていた七宝焼きを、江戸時代末期に梶常吉が製作に成功し、尾張七宝はこの地の職人たちにより輸出するまでになったと紹介されてある。銅線を埋め込む製作工程が詳しく展示してあった。
ゴットフリート・ワグネル(1831~1892)が、この地で釉薬の指導した時期があったと紹介されていた。