2011年11月13日日曜日

チューリップの球根

 今日は植栽の日でした。
5年前迄は、毎年10月にチューリップの球根を植えていたけれど、暖かい3月から咲き始めるので、11月中旬に植えている。
新学期になって、小学生が中庭に集まり、集団登校する時に、目に留まるように。
日中の気温が20度を下回る頃に植えるようにと聞いているが、暖かい日が続いている。来週からは寒くなるだろう。
息子を通じて、安くしてもらい、5色を60球づつ購入しました。その上にパンジーとガーデンシクラメンを植えた。植えるときに、色をどんな風に配置するかで、意見が分かれ、なんとか折り合いをつけたけれど、さて咲いてみるとどんなだろう。
昨日から考えてはいたけれども、来年は、あらかじめ図を書いてから、手際よく指示を出そうと思った。

2011年11月11日金曜日

おでん(御田)

 立冬を過ぎても暖かったけれど、今日は朝から冷たい雨でした。昼間の気温12度。おでんにしようかなァ?とスーパーで「塩釜応援おでん」というセット(2人前)を買った。
廣島に住んでいた頃は‘関東炊き’と言っていたっけ!‘たこの足’も入っていたっけ!
子供が小さい頃は、ロールキャベツやじゃがいもを入れていた。
近頃好きなのは、揚げの袋の中に餅が入ったものです。
付いているだし汁にセットのものだけでは、あまりにも手抜きなので、大根とサトイモを煮て、今年拾った‘ぎんなん’も入れました。以前はぎんなんの実を取り出すのに、ペンチで手加減して割り、鍋で茹でながら、お玉で転がして薄皮を取り、翡翠色の実にしていました。今は簡単!茶封筒に入れて、電子レンジでポンです。

2011年11月9日水曜日

七五三

 11月3日(明治節と言った時代もありました。)に、悠仁親王の‘着袴の儀(ちゃっこのぎ)’が行われて、袴姿で碁盤から飛び降りる姿がテレビで放映されました。
いつもは活発でも着物姿ではぎこちなくて、可愛かったです。
 3歳・5歳・7歳の節目に健康に育つよう願って、11月中旬に神社にお参りするしきたりです。

ビデオやカメラが普及しても、写真屋さんは大繁盛している。
特に、無料の貸し衣装で、好きなだけ撮るという‘スタジオA’は夏頃から予約で一杯とか。

友人が「うちはお盆に皆が集まった時に記念撮影したのよ!」と言ったのには驚いた。
お参りは、あらためて11月にするのだとか。成人式の先撮りも流行っていて、式当日は友人と旅行へ行くとも聞いた。

昨日「七五三アルバム(写真16枚入り)」が送られて来ました。アルバムに何枚入れるかは選べる。撮った写真70枚全てをCDにおとして、全部買いとる(3万円)方法を選択することもできるのだとか。
写真撮影は半日掛かり、親子共クタクタだったとか!
お参りは11月に熱田神宮へ行くそうです。

結婚式のより豪華で楽しめる!他にも写真入のストラップ・名刺など作ってくれるらしい。以前はテレホンカードも流行ったなあ!
何はともあれ、健康に、事故もなく育って欲しいと祈るばかりです。





2011年11月5日土曜日

カンツオーネと書

 カンツオ-ネの歌手青木純さんが、瀬崎竜彦さんの書から受けたイメージで沢山の歌を披露して下さった。
国立音大声楽家卒業後、イタリア留学、2005年10月に‘カヴァレリエーレ勲章’を受けられたそうです。
瀬崎竜彦さんは6歳の時に書を始めて、自閉症で話はされないけれど、その純真な心のままの墨の表現は心打たれるものがありました。
ピアノはハイデルベルグ・マンハイム音大へ留学後、多方面で活躍中の木住睦子さんでした。
映し出される竜彦さんの書のイメージを受けて歌われる。
「翔」では「ヴォラーレ」を。「清風明月」では「サンタ・ルチア」。「千風」では「チャオ・チャオ・バンビーナ」。「舟」では「ゴンドリゴンドラ」。「黒」では「黒猫のタンゴ」。日本で流行ったけれど、この曲はイタリアの子供の曲だそうです。「僕はワニを君に上げたのに、君は黒猫ではなく白い猫をくれた!僕は黒猫が欲しい!」と繰り返す楽しい歌です。イタリア語は解らないけれど、3度‘ビアンコ’が聞き取れた。イタリア旅行中の食事の度に‘ビアンコ!’と白ワインを注文したから。
「香」はオレンジの香りを思い出して、「帰れソレントへ」。書き出すと歌は自分の中で思いを膨らませながら歌うんだなあ!と思う。
夢・盥・木・騎・亀・兎・風・花・海・秋桜・枯・雲・笑・無限では「アルディラ」を歌われた。
会場の大田文化の森は元大田区役所だったそうです。時間があれば、文士村や大森貝塚碑を歩きたかったけれど、秋の陽は釣瓶落とし、外はもう暗くなっていて、上島珈琲店で友人とお茶しながら、もう一度‘書と歌’を思い出していた。

2011年11月1日火曜日

大岡忠相

 TBSテレビで、平日午後4時に、ドラマ「大岡越前」を放映しています。俳優さん達の若いこと!亡くなられた方も若くって元気です!ご家族の方は楽しみに見ておられるだろう!今日は私の72歳の誕生日なので、「大岡越前」を見ていた当時は、私も若かったろう!
 先日、弁護士会館の角に立ち、モニュメントを見ていた時に、「江戸時代ここは誰の屋敷があったでしょう?」と黒田涼氏が言われた。「ひょっとして?大岡越前守忠相?」と友人が言った。「う~ん!なかなか粋な縁だなあ!」と思った。
吉宗の時代に町奉行から大名になった人らしい。それもゴマスリで取り立てられたわけではなく、様々な事業に取り組んでおられる。
 暫く歩いて‘法務省赤レンガ棟’へ着いた。明治時代の美しい建物です。関東大震災の時は大丈夫だったようだが、大戦の折に空襲でレンガ壁と床のみを残し崩れたそうですが、戦後再建されました。

この地は江戸時代米沢藩上杉家の江戸屋敷跡地という碑がありました。

 

石垣

 四ツ谷駅を出て、四ツ谷見付け橋を渡ると、上智大学の塀には江戸時代の石垣が残っている。綺麗に接いだ‘切込みはぎ’です。


紀尾井町の国道246号沿いに赤坂見付け跡の碑があった。筑前福岡藩主黒田忠之が建てた枡形の石垣が残されていた。
「いつも草茫々で見えないけれど、ラッキーです!刈ってある!」と言われたので、陸橋の上から撮りました。
江戸城36見付け(敵の侵入を防ぐ警備の門)の一つです。









暫く歩いて、桜田門に着いて、外枡形門の美しい石垣を見た。左側は堀です。

2011年10月30日日曜日

江戸水道の石枡

 ホテルニューオータニの横から庭園へ入って、井伊家時代そのままのイヌマキとカヤの大木を眺めた。樹齢200年の木のてっぺんは見えない。
その横の‘なだ万本店’とその勝手口を、「今度来ようね!」と冗談を言いながら通り過ぎた。

紀尾井町を南北に貫いている急な坂道を降りて、清水谷公園に行くと2m近い‘石枡’が展示してありました。昭和45年道路工事中出土したものです。多摩川の水を羽村から四谷まで引いてきて、江戸城内や武家地に引き入れるため、石枡に引き込み、木樋(もくひ)で分水したそうです。水質管理用・揚水用・分水用などがあるそうです。
江戸時代から清水谷と呼ばれているこの場所は、昔から湧水が湧き出ていた所だったそうです。
 暫く歩いて、井伊家上屋敷辺りから桜田門へ向かいながら、「3月24日の大雪の朝、井伊直弼が駕篭で登城中に水戸藩士らに襲われた場面」を見るが如くに、黒田涼氏が語って下さった。辺りを見渡し、想像して背筋が寒くなった。
井伊家側は大老ら9人死亡、13人負傷。死亡者は相続が認められ、重傷者は幽閉、軽症者は切腹、無傷のものは斬首というのが凄まじい。


日比谷公園は秋のバラが美しかった。
公園内の隅っこにも‘石枡’が残してあった。説明文を立てて欲しいものです。

最後に和田倉噴水公園のガラスのレストランを横目に見て、左へ回り込むと、枡形門の石垣の下に‘石枡’があった。
江戸の人口が増えるにつけ、水事業は大切なものだったろうと思う。今も水事業は大切だなあと思った。
和田倉橋の所で雨が激しくなったので、地下道を通って東京駅へ出て帰りました。