2012年10月31日水曜日

白茶

気分転換で、名古屋に住む娘の所へ出かけました。
「お母さんもご一緒にお茶しませんか?」と、娘の友人Eさんにお招き頂いた。
中国の方で、日本人と結婚していて、小学生のお嬢ちゃんと幼稚園の坊ちゃんがいる。元気で賢そうなお子さん達だった。
高級マンションで、中国茶のもてなしを受けました。
虎屋の羊羹と鉄観音茶が良く合う。1箭目、2箭目、3箭目と、徐々に味、香り、色が濃くなる。
彼女には、日本語のアクセントに間違いがなくて、驚きました。
自分で合わせた‘八宝茶’を準備してくれていた。
ガラスの急須に、棗・クコ・菊花・緑茶・山渣子(さんざし)の実・龍眼の干した実に熱い湯を注いで、甘い香りと味を楽しんだ。一つ一つに薬効があり、身体が癒されるよう。
龍眼の木は、街路樹にも使われ、実が熟すと道に落ちて、異臭を放つとか!ギンナンみたいに。
また食べ過ぎると、鼻血が出るというのも似ている。
リラックスして話が弾んでいると、坊やがマイカップを持っていて、お茶を飲むのに感心した。中国では、幼児から老人まで、お茶に拘っているのだなあ!と思う。そして、自然のもので身体の調子を整える。食事、呼吸、体操も長い年月で身につけていく。
最後に‘白茶’を出してくれた。福建省で作られる、自然発酵と乾燥のお茶で、胃に優しい。茶葉を見せてもらった。白い羽のようなのが混じっている。白い針のように輝くといわれているのが、これだろうか?と思った。

2012年10月25日木曜日

彼岸花 (10月25日)

彼岸花は、10月中旬に花びらを散らしてしまった。真っ赤な細い花びらは、黒く縮れて落ちた。
茎だけ残っていたけれど、地面から緑色の葉が次々出てきました。
生き生きしている。真冬には元気な葉っぱで、4~5月頃には、黄色くなって枯れてしまい、土だけになる。土の中には、球根というより、玉ねぎに似た鱗形の球が休んでいる。
8月末~9月にかけて、芽がピュ~と出てくる。
「花は葉知らず、葉は花知らず」と言われているそうです。初めて聞きました。

2012年10月23日火曜日

聖橋

車の流れの激しい本郷通りより、1本入った道を歩いて‘神田明神’へ行く途中に、珍しい飾りがありました。厄除けだろうか?中山道と書いてあった。


江戸時代から続く‘甘酒の天野屋さん’は、相変わらず客が多い。塩麹を買いました。「おばあちゃんはお元気ですか?」と店の人に聞くと「93歳になりました。今美容院へ行ってるんです!」とのことだった。
病院じゃなくて、美容院なのが素晴らしいなあ!と嬉しく思った。
明神さまにお参りして、右手の‘獅子の子落とし’の岩の彫刻を見た。

‘湯島聖堂’の静かな佇まいに、心洗われます。昌平坂学問所の伝統を引き継いで、今も中国古典文学を中心にした講座が開かれています。
講座は受けないと思うけれど、表を頂いた。
塀に凭れて、御茶ノ水のほうを望むと、ニコライ堂の丸い屋根が見える。

聖橋まできて、神田川を隔てた向こうに、丸い屋根が大きく見えた。
10年くらい前に、友人の御主人の葬式が、ニコライ堂の一室で行われた。ロシア正教の信者だったなんて!聞いていなかったので、大いに戸惑った。
お香典の表は、何んて書けば良いの?さんざん相談して、お花料にしたんだっけ!
僧が棺の周りを、煙の出ている大きな鈴のようなものを、振りながら歩く。参列者は、夫々ロウソクを持って、祈りの言葉を聞いていた。ロウソクの蝋が、手に垂れない様に、漏斗状の紙で支えてあった。煙がもうもうと立ち込めた情景を思い出した。


2012年10月22日月曜日

小石川後楽園

小石川後楽園へ向かって歩いていると、道にタイルの道標がありました。
萩の舎跡、中島歌子歌碑とある。「樋口一葉は中島歌子の塾で、歌を学んだのではなかったかしらん?」と思いながら歩いた。
後楽園の外壁の石には、様々な大名の印が、残されていて、打ち込みはぎで組まれていました。
庭園は兎に角広い。隣の東京ドームも纏めて水戸殿の敷地で、絵図に占める水戸徳川家の広さは凄い。
森の中に居る心地です。
そろそろ紅葉し始めている楓もあります。趣向を凝らした見事な庭園でした。

2012年10月21日日曜日

澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)

坂を降りると稲荷神社がありました。
古い大きな木々で覆われて暗い。
社の中の坂を、もっと降りてゆくと、崖に洞穴がいくつかあり、狐の棲家だったとかで、ひんやりした風が吹いていました。

その向こうは住宅地で、すぐ傍に幸田露伴、文、青木玉さんの家もあるそうです。
11時半に賽銭箱の前辺りで待っていると、‘萬盛’さんが、自転車で蕎麦を持って来られた。
毎日、初茹での蕎麦を、奉納しているとか。何代にもわたって供えるなんて凄いなあ!と驚いた。
「いつ頃からか分かりません!」というのも好もしい。
創業は、元和年間(1615年頃)と言われているとか。
扉を開けて奥へ入り、供えて参り、前日の箱を下げて出てこられた。
ニコニコした福相の30代の人だった。
その後、伝通院の前から参道を真っ直ぐ下って、春日通りの交差点のそばの萬盛さんで、箱蕎麦を頂いた。「箱はもう5個しかないので、中った人はラッキーでした。」と堀源太郎先生が笑われた。

2012年10月20日土曜日

江戸切絵図

空が高くて、青く澄んだ一日を‘堀源太郎’先生の解説を聞きながら、神楽坂から春日を抜けて小石川へ。
江戸時代の道と現在の道がほぼ同じなのが面白い。
地図は30枚で構成されていて、その1枚の又その1部分を頂いた。
版画刷りで色が美しい。
板元は麹町の尾張屋清七。地図を作ることで大成功したとか。次々と改訂版も出している。
名前があちこちに向いているのは、その方向へ向かって門があったそうです。
白地は武家屋敷、薄い緑色は町屋。江戸の8割の土地を武家屋敷が占めて、残りが町屋だったとか。人口は庶民の方が圧倒的に多い状況だった。
急な坂(金剛寺坂)の途中に小学校があり、休み時間らしく賑やかだった。永井荷風は近くに住んでいたと書いてありました。

小石川の伝通院は立派なもので、参道の道幅も広かった。
そちらへは行かずに、左手の坂(善光寺坂)を下って、‘澤蔵寺稲荷神社’へ向かった。

2012年10月17日水曜日

高齢者講習

県公安委員会から誕生日の5ヶ月前に、「運転免許更新のためのお知らせ」が来ました。
近所のU自動車教習所へ申し込んで、3時間の講習を受けてきました。
55歳の時に、此処で運転免許を取った。その折の先生が教官でした。お二人とも当時と変わらなかったけれど、少し皺んでおられた。受講生6名の中で、女性は一人だった。
現在の交通死亡事故の状況の説明で、ワースト1は愛知県、東京、埼玉、兵庫、大阪と、関東地方の県が上位です。
次は、ビデオで運転に自信のあった人も、高齢になり危ういことになっている状況をみて、段々怖くなってきた。
1時間後の15分の休憩時間に、「オレオレ詐欺に遭う様子」を映像でみた。最後に騙されたふりをして、犯人逮捕に協力して欲しいというものだった。
平素から、電話がかかって来たら、逮捕に協力したい!と思っているけど、こんなにうまくいくかなあ?と思う。
次は、3人一組と教官で、教習所内を交代で運転した後、模範運転をされた。懐かしいけれど緊張した。
教室に戻って、運転適正検査で反応の速さ、正確さ、むら、注意配分、ハンドル操作の結果をみて自信を失くした。
眼の動体視力、周辺視野、夜間視力測定をし終わった。これは大丈夫!
最近97歳の男性、92歳の女性が受講されたそうです。
教官が男性に「実車されますか?」と訊ねたら「何の為の講習なんだ!」と叱られましたと言って笑っていた。
3年後も免許更新するだろうか?自主返納するのだろうか?と思いながら、「修了証書と¥5800の領収書」を貰って帰宅した。

2012年10月15日月曜日

アーク・カラヤン広場

サントリーホールの前の広場では、秋の収穫祭をしていた。
低農薬の野菜、果物、キノコ、芋、米、焼きたてパン、ワイン、チーズ、何種類もの暖かいスープ、四季の花々などが出ていた。
北海道から沖縄までの農産物があり「ワー珍しい!新鮮で美味しそう!」と、見て歩いて楽しんだ。
四角豆、シークアーサー、青森の黒にんにくなど珍しい。

テントの隅の事務局で預かってもらって、コンサートの帰りに受け取った。
秋の夕暮れは早く、灯りが美しくカラヤン広場の雰囲気は一変して、夜のお客の為の準備をしていた。

秋灯やカラヤン広場のさんざめく   つるばみ

2012年10月14日日曜日

ベートーヴェン(1770~1827)ものがたり

40年前のママ友3人で、コンサートへ出かけました。
サントリーホール ブルーローズへは、渋谷ハチ公前で待ち合わせて、都バスで行った。
面白い構成で、大石哲史氏がベートーベンに扮して、宮廷楽長の祖父ルートウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンや父親の逸話を語りながら、作曲した年齢と曲、右上に出る映像のコラボレーションは、私のような初心者には良かった。
ピアノ /  崔 善愛
ヴァイオリン / 森下幸路・神谷未穂
ヴィオラ /  神谷タンナー未夏
チェロ  /    三宅進
30歳の時「月光」を、33歳の時「英雄」を完成する。難聴になり、1802年10月6日と10月10日に、ハイリゲンシュタットでしたためた「遺書」のこと。
第2部は、ピアノ協奏曲第4番 第1楽章より始まり、40歳の頃、16歳のテレーゼ・マルファッティに求婚し「エリーゼのために」を作曲したこと等など。
最後に交響曲第9番 第4楽章「歓喜の歌」1824年を司会の大石氏が歌われた。
アンコールの折には、映像に日本語訳が出てきて、もう一度「歓喜の歌」を会場全員で歌いました。
「楽しかったねえ!又会おうね!」と言いながら、賑やかに渋谷駅へ戻って、家路に着きました。

2012年10月12日金曜日

米粉


若い友達のrina さんが、米粉で食パンを焼き、もちもちしていて美味しかったと書いていらしたので、バターロールを焼いてみました。中はもっちり、外はパリッとして、美味しかったです。rina さんには、なまこ形で焼いてみると約束したけれど、膨らみ加減に自信がなかったので、いつものバターロールにした。
米が主食の日本人は、昔から米を粉に挽いて、だんごにしたり加工してきた。
今では、米粉より小麦粉の方が、多く使われるようになってきて、輸入に頼らなくては間に合わない。米粉をもっと活用しなければ!
油の吸収率が低いので、てんぷらがカラリとあがる。袋の裏に、お好み焼き・クリームシチュー・クッキー・シュークリームにも利用して下さいと書いてありました。
パンを焼くときは、強力粉と2:8で、やはり強力粉の割合が多い。
レシピは弊社のホームページでとも。
5年前、私がパソコンを始めた理由の一つに「ホームページをご覧下さい。」という文面に、出会うことが多くなったからだった。
rina さんのblog
http://www.kis-inc.co.jp/cp-bin/dietitian-blog/?p=1009

2012年10月8日月曜日

なでしこジャパンの監督

先週、長徳寺で写真を撮らせて頂いた折に、オーストラリアから寺へ来ているという青年に会った。
作務衣姿で庭を掃いていたので、皆で話をして、写真を撮らせて頂いた。
「帰国する際の土産になるかなあ?」と思ってプリントアウトしたのを届けた。
その帰り、中学校の崖に、目を引く横幕があった。
佐々木則男監督は、山形県尾花沢市出身だけれど、父上の仕事の都合で、小学校2年生の時に、川口市へ転居されたそうです。ズーズー弁で苛められたとか。
この中学校は少し高い場所にあり、災害時の緊急避難場所になっています。荒川が氾濫しても、ここなら大丈夫らしい。学校の周りは桜の木で囲まれていて、「芝中の桜はどう?」と言って、春はお花見の場所となります。

2012年10月7日日曜日

‘栗くり坊主’

昨日の午後、Oさんのお宅へお邪魔しました。
奥様は栗剥きをしておられた。「沢山剥いて、冷凍して置いて、一年中、折々に使うのです。」と言われた。
これが栗剥き器の‘栗くり坊主’ですね!

ご主人が、駅のコンコースに出ていた‘燕三条の刃物市’で、求められたとか。
そばで、お喋りしながら、剥かせて貰ったりした。
いつも美味しいお惣菜を下さったりして、教わることが多いし、思いやりの心も教わる。
楽しい午後でした。

栗剥くやお喋り弾み手も弾む        つるばみ

2012年10月6日土曜日

彼岸花 (10月2日)

何かと気をもんだけれど、2日に咲き揃いました。
もう5日間も変わらず咲き続けているけれど。

2012年10月5日金曜日

ハギ (マメ科)

慈星院(天台宗)を出て、住宅地を歩きながら、長徳寺(臨済宗)へ向かう。
突然、広い真っ直ぐな道へ出て、遠く真っ正面に、立派な甍の寺が見えてきました。
「この道は、昔は参道だったのではないでしょうか?」と言われた。
近づくにつれ、結界(聖なる場所と俗なる場所の境目)も見えてきた。
途中の空き地には、ハギの花が咲き乱れていました。
一隅を華やかにして萩の花     つるばみ

2012年10月4日木曜日

彼岸花の撮影会

台風19号が小笠原辺りに居て、どんよりした天気でした。10月に入っても、次々と台風がやって来る。
「長徳寺と慈星院の彼岸花が見頃ですよ!」と susumu 先生が教えてくださって、クラブの方々とカメラを持って出かけました。
先生は、もう何十年も、日の出の頃から走っておられる。学会の旅先でも走られるらしい。
東西南北四方八方にコースを設定して走られる。凡人には出来ることではない。

http://susumu-nikki.blogspot.jp/

 お陰様で、元気な彼岸花を堪能いたしました。

彼岸花母のことなど思い出し  

つるばみ









シロバナマンジュシャゲ





曼珠沙華僧は異人や竹ぼうき  つるばみ
彼岸花おさなき児らよ健やかに     つるばみ

2012年10月1日月曜日

彼岸花 (10月1日)

数日前から、台風17号がゆっくりと沖縄から、日本列島をそのままに北上して、昨夜は、うちの辺りを通った。

彼岸花は、30cmと40cmに伸びたけれど、強風で、また1本途中で折れていた。
もう数日で咲くと思う。沢山の球根を植えたから、来年こそは、この場所に馴染んで、もっともっと芽が出ることだろう。

昨夜は、中秋の名月だったけれど、雨風ではと諦めて早く眠った。

道濡れて人々急ぐ無月かな   つるばみ

今朝四時に空を見上げると、西の方に寄ったところで、明るく照っていました。
台風は、もう北海道まで進んでいた。

名月の明け方に出で二度寝かな    つるばみ