坂を降りると稲荷神社がありました。
古い大きな木々で覆われて暗い。
社の中の坂を、もっと降りてゆくと、崖に洞穴がいくつかあり、狐の棲家だったとかで、ひんやりした風が吹いていました。
その向こうは住宅地で、すぐ傍に幸田露伴、文、青木玉さんの家もあるそうです。
11時半に賽銭箱の前辺りで待っていると、‘萬盛’さんが、自転車で蕎麦を持って来られた。
毎日、初茹での蕎麦を、奉納しているとか。何代にもわたって供えるなんて凄いなあ!と驚いた。
「いつ頃からか分かりません!」というのも好もしい。
創業は、元和年間(1615年頃)と言われているとか。
扉を開けて奥へ入り、供えて参り、前日の箱を下げて出てこられた。
ニコニコした福相の30代の人だった。
その後、伝通院の前から参道を真っ直ぐ下って、春日通りの交差点のそばの萬盛さんで、箱蕎麦を頂いた。「箱はもう5個しかないので、中った人はラッキーでした。」と堀源太郎先生が笑われた。
古い大きな木々で覆われて暗い。
社の中の坂を、もっと降りてゆくと、崖に洞穴がいくつかあり、狐の棲家だったとかで、ひんやりした風が吹いていました。
その向こうは住宅地で、すぐ傍に幸田露伴、文、青木玉さんの家もあるそうです。
11時半に賽銭箱の前辺りで待っていると、‘萬盛’さんが、自転車で蕎麦を持って来られた。
毎日、初茹での蕎麦を、奉納しているとか。何代にもわたって供えるなんて凄いなあ!と驚いた。
「いつ頃からか分かりません!」というのも好もしい。
創業は、元和年間(1615年頃)と言われているとか。
扉を開けて奥へ入り、供えて参り、前日の箱を下げて出てこられた。
ニコニコした福相の30代の人だった。
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