2012年10月20日土曜日

江戸切絵図

空が高くて、青く澄んだ一日を‘堀源太郎’先生の解説を聞きながら、神楽坂から春日を抜けて小石川へ。
江戸時代の道と現在の道がほぼ同じなのが面白い。
地図は30枚で構成されていて、その1枚の又その1部分を頂いた。
版画刷りで色が美しい。
板元は麹町の尾張屋清七。地図を作ることで大成功したとか。次々と改訂版も出している。
名前があちこちに向いているのは、その方向へ向かって門があったそうです。
白地は武家屋敷、薄い緑色は町屋。江戸の8割の土地を武家屋敷が占めて、残りが町屋だったとか。人口は庶民の方が圧倒的に多い状況だった。
急な坂(金剛寺坂)の途中に小学校があり、休み時間らしく賑やかだった。永井荷風は近くに住んでいたと書いてありました。

小石川の伝通院は立派なもので、参道の道幅も広かった。
そちらへは行かずに、左手の坂(善光寺坂)を下って、‘澤蔵寺稲荷神社’へ向かった。

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