ヨーロッパの邸宅風の‘アグネスホテル’を出た所に‘若宮八幡神社’がある。横に武家屋敷の面影を残す若宮公園があった。公園を囲む白壁、門柱、冠木門、沢山の樹木がある。冠木門から出ようとしたら、門の根元に浮浪者がどっかりと座っている。R子さんが「怖い!」と小声で言った。「大丈夫!私が守ってあげる!」と言って、横を通り抜ける時に見たら、鉛筆で綿密な写生をしていた。
立派な石垣に、楓の落葉が吹き寄せられて美しかった。
坂を降りる途中に東京理科大の‘近代科学資料館’があった。
立派な扉を開けて入ると「閉館」の札が下がっていたので、二人でガラス越しに覗いていると、中から若い女性が笑いながら出てきて「どうぞ!」と案内して下さった。‘物理学校時代’のコーナー・計算機の歴史・エジソンコーナー・微分解析機・FACOM201等をざっと説明して下さる。小学生向きの理科実験コーナーは、もう一度来なくては!と 思った。
館長らしき方が、「絵葉書を差し上げなさい。」と言われたので、「わあ~良いんですかあ」と 言いながら、‘エジソンの蓄音機’(100円)を選んで、頂いて辞した。
2010年12月16日木曜日
スチーム・メリーゴーランド
11月中旬の名古屋高島屋に‘スチームメリーゴーランド’が展示してあった。
11月なのにもうクリスマス気分で、吹抜けの広場には巨大な‘キラキラのツリー’も立ててあった。
1886年西独製のメリーゴーラウンドの前で幼い人の写真を何枚も撮った。当時はニュートラルにした蒸気自動車の発電で動かし、電飾も灯していたらしい。回っていたが乗ることは出来なかった。木製でクラシカルで見飽きないものだった。
今朝その時の写真を整理していて、自分の部屋に何年間も掛けていた ‘巴里の街’ドラクロア(1798~1863) の中にメリーゴーラウンドが描き込まれていたのを思い出し、取り出して撮った。
11月なのにもうクリスマス気分で、吹抜けの広場には巨大な‘キラキラのツリー’も立ててあった。
1886年西独製のメリーゴーラウンドの前で幼い人の写真を何枚も撮った。当時はニュートラルにした蒸気自動車の発電で動かし、電飾も灯していたらしい。回っていたが乗ることは出来なかった。木製でクラシカルで見飽きないものだった。
今朝その時の写真を整理していて、自分の部屋に何年間も掛けていた ‘巴里の街’ドラクロア(1798~1863) の中にメリーゴーラウンドが描き込まれていたのを思い出し、取り出して撮った。
2010年12月15日水曜日
賛美歌
バリトン歌手の平林龍さんが歌唱指導してくださる。伴奏は芸大の同級生のジャズピアニストの保坂修平さん。最初の発声練習で口蓋を開いて強く長く声を出す事も教えて下さった。 難しい!会場に入る前に入口でワインを持って、テーブルに着いたので効いたらしくクラっとした。
‘ペチカ’から6曲歌ったところで、平林先生が「一応クラシックの歌手なので」と言って素晴らしい声で2曲歌って下さった。会場の隅々まで響く。美しいスタイルと上品なお顔とこの声はご両親からの贈物だなあ!と感じ入った。
作曲もなさるジャズピアニストの保坂先生の演奏はロマンチックだった。
‘きよしこのよる’は50名づつ2部に別れて歌う。後半も、6曲歌って2時間はあっというまに過ぎていた。
歌い終わってから、お喋りしながら珈琲とマシュマロを頂いて、ホテルを出ると夕方の神楽坂界隈は愉し気な人々が行き交っていた。
‘ペチカ’から6曲歌ったところで、平林先生が「一応クラシックの歌手なので」と言って素晴らしい声で2曲歌って下さった。会場の隅々まで響く。美しいスタイルと上品なお顔とこの声はご両親からの贈物だなあ!と感じ入った。
作曲もなさるジャズピアニストの保坂先生の演奏はロマンチックだった。
‘きよしこのよる’は50名づつ2部に別れて歌う。後半も、6曲歌って2時間はあっというまに過ぎていた。
歌い終わってから、お喋りしながら珈琲とマシュマロを頂いて、ホテルを出ると夕方の神楽坂界隈は愉し気な人々が行き交っていた。
2010年12月13日月曜日
2010年12月7日火曜日
赤カブ(アブラナ科)
埼玉県北の町深谷市へいくために車を走らせていると、畑の向こうに‘明戸農産物直販所’という看板が見えた。「仕事が終わったら帰りに寄ってみよう!」と思った。
帰る途中、熊谷バイパスから外れて、販売所へ寄ってみると 「こんなに沢山人がいるの?」と 驚く程の人が買い物をしていた。
帰る途中、熊谷バイパスから外れて、販売所へ寄ってみると 「こんなに沢山人がいるの?」と 驚く程の人が買い物をしていた。
深谷ねぎも細いのから太いのまでいろいろあった。立派な白菜!太い赤大根。赤カブが一個(130円)残っていた!作ったことはないけれど‘甘酢漬け’にしてみようと求めた。生産者は女性だった。
帰って計ってみると1300g・12cm×16cm。一晩塩で漬けてから明日、甘酢に漬ける。軟かくて庖丁が入り易かった。1週間たつと真っ赤に漬かると書いてある。残りの1/4 は今晩、オリーブオイル・ニンニク・ベーコン・赤唐辛子・葱の緑でペペロンチーノ風にしてみようと思っている。
2010年12月3日金曜日
「ロートレックの食卓」 林綾野・千足伸行
6月にロートレックの生家のあるアルビの町を訪ねてから、もっとロートレックのことを知りたいな!と思っていたら、I 先生がこの本を紹介してくださった。
著者の林綾野さんは、近くの河鍋暁斎記念美術館の学芸員をなさっっているそうです。
アルビ・母方のボスク城・パリ・亡くなったマルメロ城を訪ねておられて、ロートレックの生い立ち、両親や親族のこと、友人達や商業美術へと花開いていく様子がよく解る。
当時の貴族は、狩りをして愉しみ、獲物を描いて楽しみ、大家族が食して三度楽しんだと言われる。子供の頃のロートレックは伸び伸びと大切に育てられたようで嬉しい。
本の後ろから開くと、彼のレシピ集の中からの料理が載っていて、日本の家庭でも作りやすいようにアレンジしてあり、「作ってみたいなあ!」と思った。
本の表紙。
ロートレックの生家近くのレストランの入口。そこでの料理はレシピ本の中から再現してあった。
著者の林綾野さんは、近くの河鍋暁斎記念美術館の学芸員をなさっっているそうです。
アルビ・母方のボスク城・パリ・亡くなったマルメロ城を訪ねておられて、ロートレックの生い立ち、両親や親族のこと、友人達や商業美術へと花開いていく様子がよく解る。
当時の貴族は、狩りをして愉しみ、獲物を描いて楽しみ、大家族が食して三度楽しんだと言われる。子供の頃のロートレックは伸び伸びと大切に育てられたようで嬉しい。
本の後ろから開くと、彼のレシピ集の中からの料理が載っていて、日本の家庭でも作りやすいようにアレンジしてあり、「作ってみたいなあ!」と思った。
本の表紙。
ロートレックの生家近くのレストランの入口。そこでの料理はレシピ本の中から再現してあった。
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