2009年1月17日土曜日

銀杯

 ある雑誌を読んでいる時、美しい上品な銀杯が目に止まった。それは絹の小座布団にのり、側に浅葱色の紐が掛かった桐箱、盃の高さ45.3mm・口径116mm、底には五七桐の紋が浮き上がっている。
「終戦の日まで引き続き1年以上、外地で生活していて戦後引き揚げてきた方・戦後旧ソ連邦、モンゴル国に抑留された方に贈呈します。申請の締め切りは3月31日です、お急ぎ下さい。請求書は各市町村の福祉関係の窓口にあります。」という 独立行政法人・平和祈念事業特別基金の広告でした。
 20数年前、藤原てい氏の講演を聞く機会があった。引き揚げの折りの事や故新田次郎氏の事、遺品(万年筆等)をスイスの山に埋めた話だった。著書「流れる星は生きている」 を涙ながらに読んだ事を思い出して感無量だった。
 最近、藤原咲子さんのお話を聞く機会があった。「ふと気づくと、一つ目小僧に追われたり、白い紐で誰かが首を絞めるような気がして、怖くてお話の出来ない子供だった。生後1ヶ月から1年間の引き揚げの道のりで、ていさんのリュックサックの中で背負われていた時のブラブラ揺れる紐、夜道を歩く時の北斗星が、一つ目小僧に思えたのだろう!」と仰っていた。まだ乳児だったのにと、胸潰れる思いがした。 80歳を過ぎた頃から、てい氏は、伊豆の沖の大きい船を見ると「あれは、引き揚げ船だよ!」と言われるようになったとも。
 広告を見ながら、あれこれ考えていたら30数年前、ジャカルタに住んでいた頃、新田次郎氏のご長男一家が、近所に住んでおられたのを思い出した。

 

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