昨年末、松山事件の斉藤幸夫さんの母ヒデさんが101歳で亡くなられた。仙台の繁華街一番町で、息子の無実を訴えて、いつも立っておられるのを見たのは昭和55年頃だった。ひっつめ髪で日焼けした小柄な方で、肩のたすきには、「無実の息子を死刑から救って下さい」と書いてあった。二度目に見かけた時に小冊子を貰いカンパした。三度目に見かけた時に署名して話した。それから見かけると挨拶をした。
いつも穏やかだけれど、鬼気迫るものにうたれた事を、今もはっきり思い出すことができる。
40歳頃の私は、中高生の良い子供達の母親で、何の煩いもなく楽しく暮らしていたので、ヒデさんの姿は衝撃的だった。これからの人生に何が起こるかわからないという強い恐れを持ち、そして何が起ころうと子供達の母を生きるんだと強く思った。
昭和59年に仙台地裁で再審無罪判決が出た。
それから24年間を生きられたのだと思った。
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