2010年7月29日木曜日
荒川号
御近所のY氏のお世話で「荒川知水資料館」へ30名で出掛けた。
赤羽岩淵駅から暫らく歩くと、荒川と隅田川の別れている辺りの土手に出る。
そこに資料館や、草刈りレースの碑、治水大成碑、船堀閘門の一部、水位観測所などがある。
説明をうけながら、案内して頂き、屋上から川をみると大正13年に竣工し、荒川放水路に通水されたという‘赤い岩淵水門’が見える。右手に昭和57年にできた大きな‘青い新岩淵水門’が見える。
資料館を出て船着場へ降りて行って「荒川号」に乗り、河口へ向かう。‘又吉’さんという珍しい姓の青年が、解りやすく説明して下さった。荒川放水路(幅100~200m)の堂々たる水量の波を切って進むのは、気持ち良い。
往復2時間の放水路の船旅で、治水にかける人々の素晴らしさと、こんな機会を作って下さったY氏に、あらためて感謝した。
明治43年150万人の被災者を出した氾濫で、翌年から水門工事が始まった、青山士(あきら1878~1963)が携わり、いつも現場に出て指揮されたそうです。
彼は一高在学中に内村鑑三先生の門下生になり、広く世の為になる仕事を!と東大で土木工学を学び、パナマ運河工事に8年間携わっておられる。
静岡県磐田に隠居されて、84歳で亡くなられている。
72歳の時に 「よしきりの声も懐し蔦かずら汗し掘りにし荒川の岸」 という短歌を詠まれている。 盛夏の爽やかな一日でした。
2010年7月26日月曜日
帰省
夏休みには、大勢の人が郷里へ帰り、親元でのんびりする。
墓掃除や墓参りも、帰省する大切な理由です。 若い頃は子供達を連れて、混雑する新幹線で、毎年帰省していた。幼い息子は素早く3人の座席を確保するのがうまかった。
また、子供の頃からの友人に会うのも楽しみだった。
先日、友人が「盆で帰省して、みんなで会ってるよ~!」と電話を呉れた。楽しそうな話ぶりに、こちらまで若い頃の事などを懐かしく思い出した。
娘が帰ってくると、必ず高校時代の友人達と、誰かの家で集まる。
若い頃は、仕事や恋人の事、結婚すると夫の事、近所付き合い、その度に子供が増え、大きくなってゆく。
嬉しそうに出掛けるのを見るのも楽しい。
手土産は赤飯(4合)とお菓子です。
2010年7月23日金曜日
ヴィシソワーズ(じゃが芋の冷いスープ)
2010年7月18日日曜日
アザミ(キク科)の綿毛
2010年7月15日木曜日
バラのジャム
バラのジャムをヨーグルトにのせると、香りと味が良くなる。花びらをかむ時、キュッという歯ごたえがあって楽しい。
南西フランスの旅の最終地カルカッソンヌの郊外の大型スーパー‘カルフール’で‘バラのジャム’に出会った。
自然の中の村ばかりにいたので、突然のスーパーマーケットに皆な興奮した。ここでおみやげを買わなくちゃあ!とばかりに走りまわった。‘くるみのオイル’‘くるみの辛子入りパテ’‘チーズ’‘板チョコの数々’‘ビスケット’チョコレート菓子の税金は高いけれど、板チョコは、料理に使うという理由で税金が安いらしい。サラミ、ソーセージの類は、国外持ち出し禁止。以前ドイツのおみやげで、「サラミが葉巻そっくりに作られていて、葉巻の箱に入っていた」 のは面白くて喜ばれたけれど、そんなのはなかった。
又、何処かで‘バラのジャム’に出会いたい。
2010年7月13日火曜日
2010年7月9日金曜日
トクサ(砥草) シダ植物 トクサ科
2010年7月5日月曜日
冷やし甘酒
「子供の頃、出雲大社町生まれの母が‘梅の粕漬け’を作ってくれて、カリカリと美味しかった!」と 友人が話してくれた。
食べたことがなかったので、「今年は挑戦してみよう!」と 青梅が出回るのを待っていた。
1kgの青梅を一晩水に漬けて、アクを抜く。100gの塩で板擦りする。これを丹念にすると、実の種離れが良いらしい。掌が真っ赤になった。ザルで水きりし拭う。
板粕を冷凍して寝かせてあったので、味醂ときび糖で緩めて粕床を作った。この中へ一粒づつ埋めて漬けた。
1ヶ月近く経つので齧ってみて、もう少しだな!と思った。粕床を冷水で溶いて飲んでみたら、なんと美味しい事! 梅の香りと酸味と酒粕の深い甘みで、「冷やし甘酒」が出来た。甘みが足りないならば、メープルシロップを足す
神田明神下の参道左手の天野屋さんの甘酒は、‘糀(こめこうじ)’で作っておられるけれど負けてない。
江戸時代には、‘甘酒’は、夏の季語だったと、どこかで読んだ気がした。夏の甘酒はシャキッとする。
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