2011年3月20日日曜日

ぼたもち

 春彼岸なので‘牡丹餅’を食べた。
墓参りはおろか被災地では埋葬も出来ないと嘆いておられるのを思いながらも、牡丹餅を食べました。
 子供の頃は、春彼岸には母が‘ぼたもち’を作りご近所に配った。秋には‘おはぎ’を配った。お使いをしながら、同じ物なのに何故‘ぼたもち’と言ったり‘おはぎ’と言うんだろう?と思ったものです。ご近所からも頂いた。
もち米とうるち米半々のご飯を柔らか目に炊いて、塩を少し入れて、すりこ木で搗いた。手伝う時に「半殺しよ!」と言いながら、その加減に神経を使っていた母を思い出す。少し米粒の残るご飯で餡を包み、周りに黄な粉をまぶしたのを好きだった。私のだけ白い砂糖を少し乗せた。東京のは、ご飯の周りを餡で包んであるのが多い。 
 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という正岡子規(1867~1902)の句がある。
子規が「今朝は寒いね!」と言ったら、それに応じてお母さんは句のように言われたそうです。前書きに「母の詞自ら句になりて」とあり、1893年東京・根岸で彼岸の入りの朝のことだそうです。
伊予弁は優しくてイントネーションがのんびりしていて、松山の友人と話していると、こちらまでゆったりした気持ちになる。4月に松山から国立市の娘さんの所へ来るので、会ってお喋りするのを愉しみに待っている!その頃には松山城の桜の話が聞けるだろう。

 

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