江戸幕府最後の佐倉藩主の邸宅を訪ねた。明治期の和風建築と庭園は品格と開放感があった。印旛沼からの高崎川を下に見て、3万坪の広さという。冠木門を入ると、泰山木、百日紅、桜、トベラの大木があった。 ボランティアガイド(女性50歳くらい)が、楽しそうに郷土
の誇りといったふうに、熱心に説明して下さる。
譜代大名堀田氏は、明治になり東京で華族の暮らしをしていたが、趣意書を提出して、24年に「郷土の農業、産業、教育に努めたい」 と佐倉へ帰られたということだ。「まあ、なんて立派な方でしょう!」と、私は思わず言ってしまった。「そう!そう思うでしょう?」と彼女は嬉しそうに言って、皆で盛り上がった。
広い屋敷を尋ねた折りに、一人、列から離れて、廊下の端まで行って雪隠へ迷い込む癖があるので、しっかり付いて周った。 ある部屋の袋戸棚にバティック模様の紙が張ってあり、七宝焼きの引き手が使われていて、新しい時代を表しているなあ!とおもった。
敷地の一角は、病院・養老院などになっていて、車椅子の人などが、木立の中をあちらこちらと散歩していた。
0 件のコメント:
コメントを投稿