2011年8月29日月曜日
ペペロミア スカンデンス(コショウ科)
室内に観葉植物があるとホットする。
人間の呼吸と植物のそれとが反対だから?
半年前に‘ペペロミア スカンデンス’を買って、初雪かずらとカルーナを寄せ植えにした。
毎日少しづつ大きくなっているが名前がなかなか憶えられない。
その後「‘ザミフォーリア(サトイモ科)’にしました。高さ1m。良い感じ!」とメールがきた。
‘ザミフォーリア’は夏場は月2~3回、冬場は月1~2回の水やりで、根腐れしないようにということなので、子育て中の忙しい人にぴったりです。葉が大きいと埃が溜まりやすいけれど、葉が小ぶりなので霧吹きで済む。目立つ害虫・病気もない。
古代から人々は花だけでなく、葉も愛でてきた。
産業革命の頃のイギリスで、石炭の煙で灰色の町の家々では、観葉植物が愛されたそうです。
江戸時代には、ヨーロッパのキャベツを葉牡丹に改良したり、万年青の改良種は種類が多いけれど、近頃は愛好家のみになってしまった。
2011年8月25日木曜日
2011年8月22日月曜日
災害時への備え
大きな災害があって、電気・ガス・水道が止まった時に、自分が無事であったならば、3日分の水と食料は各家庭で確保してあるもので、凌いでいただきたいということだった。
その後3日間は、各自治会・町内会で備蓄してあるもので、協力して凌いでいただきたい。
その頃になると、公的な支援物資が届くだろうということです。
今日はご近所の方々と一緒に、自治会で備蓄してあるものの場所・品物・数量・賞味期限を点検しました。予め調査済みだけれど、出して並べてみるとその量は凄い。水2ℓ480本・パン缶詰384個・ご飯類300食。これで500名の人々には1日分にもならないなあ!と思った。米も水も重くて驚いた!
これから防災隊の方々と相談していかなければならない。
我が家の地震対策も充分とはいえず、自家発電装置は持っていない。トイレはどうなるんだろう!数本のガスボンベ!頭で解っているようで、何もしていない自分に気がついた。
2011年8月19日金曜日
2011年8月13日土曜日
2011年8月5日金曜日
及川寛茂 オーボエ・コンサート2011
日独交流150周年記念行事で、横浜山手の港の見える公園にある‘イギリス舘’の客間でコンサートがありました。
及川寛茂氏はドイツでご活躍で、ウエストザクセン交響楽団 首席オーボエ奏者でいらっしゃいます。初めてオーボエのコンサート(ピアノ伴奏)へ出かけました。
J.Fバッハのカンタータ、メンデルスゾーン、滝廉太郎、篠原眞の曲の流れる部屋は別世界でした。初めて聞く、カリヴォダのサロン風小品の軽やかな変化に富んだ旋律に、特に魅せられました。
終わって余韻を楽しみつつ坂を下りて元町へ。表通りを1本入った所の「ティールーム霧笛」で皆さんとお茶しながら、お喋りしました。
2011年8月3日水曜日
東京カテドラル聖マリア大聖堂
旧細川邸を出て、5分歩くと椿山荘です。お昼を新館の方で頂いて、向かいのカテドラル聖マリア大聖堂を見学しました。
明治32年に木造のゴシック様式の建物だったそうですが、東京大空襲で焼失。
設計は丹下健三氏により、昭和39年に落成した。
大聖堂が空襲の標的になった為に、周辺の細川邸や多くの建物が焼け残ったという話でした。
内部はモノトーンの落ち着いた雰囲気で、ステンドグラスの代わりに大理石を薄く削いだのが、嵌め込まれ、陽の光を背にして黄金色に輝いていました。洗礼台は珍しい形でした。
あまりに景が大きくて、写真がうまく撮れなかったので絵葉書を買いましたが、おまけに下さったのを開けてみると、そこには「神様のために何か素晴らしいことをしたいと思いませんか?ほら、あなたを必要とする人がそこにいます。さあ、あなたのチャンスです。」(マザー・テレサ 日々のことば より)と書いてありました。
2011年8月2日火曜日
和敬塾本館旧細川公爵邸目白台1-21
非公開の細川邸を拝見することが出来るツアーがあったので、参加しました。午前午後60名づつで、解説をして頂きながら見学しました。
昭和11年に設計は大森茂・臼井弥枝、英国チュダー・ゴシック様式で建てられたそうです。この敷地は細川家の下屋敷のあった場所(3万坪)で、今は新江戸川公園・永青文庫・和敬塾(7000坪)になっています。
和敬塾は昭和32年に様々な大学の男子学生・留学生(500人)の寮として発足し、邸宅は本館として時々使われるそうですが、なにしろ蚊が多くて、最初に虫除けスプレーをかけて貰いました。
邸宅1階は接客用・2階は家族の日常生活、サンルーム。3階は南側が子供部屋、奥が書生部屋。地下1階はボイラーや機械や冷蔵庫。部屋の木材や壁紙の重厚さはさすがです。「改修の際は当時のままを再現しています。」とのことでした。
日本間は角材を使った武家風と柿の丸材を使った公家風・奥様の竹の間・喫煙の魚の間。変化に富んでいた。
「写真を撮られるのは構いませんが、ブログや公的な所へ出すのは控えて下さいね。」とのことなので、庭の方から窓に嵌った鉄の格子をアップします。玄関周りの鉄格子は、戦時中に供出されたそうです。庭の方のは目こぼしされたのか。
「教育の忘れもの 東京の学生寮・和敬塾」上坂冬子著を読んでみようと思った。
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