2011年11月24日木曜日

「子規と漱石展」

 広島県の筆の産地・熊野町で「子規と漱石展」が、11月に1ヶ月間開催されました。
子規と漱石は、東京大学予備門在学中に巡り合われて以来の親交で、漱石が一年間松山中学に勤務していた折に、同じ家に50日間暮らしている。
会場には、お二人の書斎が再現されてあった。と、妹が写真を添付してくれました。


明治27年に、子規は根津にあった、元旧加賀藩前田家の侍長屋に住み、母と妹さんを松山から呼んで、病に臥しながら、文学の近代化の為に発信し続けて、34歳で亡くなられた。
「朝顔や絵の具にじんで繪を成さず」という句に感動したわ!と便りにあった。
庭に向かって置かれた机は、左足を立てて寄りかかる為に、四角に切り取られてある。庭には鶏頭や糸瓜も植えられていたろう。
庭の先に井戸があり、日々、律さんは家事のために水を汲みに行く。
「萩芒水汲みに行く道一つ」という句は律さんの様子を詠まれたのだろう。
数年前に句会の友人達と、根津の子規庵を訪ねた折に、庭の井戸を覗き込んで「これが、律さんが朝に夕に水を汲んだ井戸なのか!」と、その家事と看病の大変さを思った。
その吟行会で作った句「律さんの井戸秋草に覆われて」 つるばみ    すっかり水は枯れて、底の方に、秋の雑草が生えていました。
子規庵は昭和20年の戦災で焼失、26年に寒川鼠骨らの尽力により再建。今はボランティアの方々によって、運営されています。

0 件のコメント: