2012年12月25日火曜日
デベラ
瀬戸内海の尾道沖で獲れたヒラメは美味しいと言われています。
冬季限定の漁で、腸を出して、船上で寒風に晒して乾燥させる。
子供の頃、父が木槌で叩いて、軽く炙って食べていたのを思い出した。
「銀座1丁目の広島のアンテナショップにデベラが出てたよう!」と友人がくれました。「高いのに!ゴメン!有難う!」
手のひらの大きさなので‘手平’、デビラ、デベラと言うそうです。
学名は‘タマガンゾウビラメ’。
金づちで叩くと、骨と皮が剥がれやすくなる。
2分くらいトースターで焼いて、写真に撮って後、食べていたら、頭から尻尾まで食べて仕舞った。
焼きたてをちぎって、熱燗に入れると、鰭酒のようだと書いてありました。
こんな寒い夜は‘デベラ酒’が良いなあ!
冬季限定の漁で、腸を出して、船上で寒風に晒して乾燥させる。
子供の頃、父が木槌で叩いて、軽く炙って食べていたのを思い出した。
「銀座1丁目の広島のアンテナショップにデベラが出てたよう!」と友人がくれました。「高いのに!ゴメン!有難う!」
手のひらの大きさなので‘手平’、デビラ、デベラと言うそうです。
学名は‘タマガンゾウビラメ’。
金づちで叩くと、骨と皮が剥がれやすくなる。
2分くらいトースターで焼いて、写真に撮って後、食べていたら、頭から尻尾まで食べて仕舞った。
焼きたてをちぎって、熱燗に入れると、鰭酒のようだと書いてありました。
こんな寒い夜は‘デベラ酒’が良いなあ!
2012年12月22日土曜日
雀 (スズメ目)
広い芝生に、雀が何十羽も群れていて、つついていた。虫がいるのだろうか?と近づいたら飛び立って仕舞った。
人の近くに一年中いるので親しい。頭が茶色で黒い縞が斑で、見慣れた鳥で可愛い!
それだけに、雀を使った諺は多い。
近くの石窯パンの店に行くと、コーヒーが無料で置いてあるので、時々、買ったパンを食べながらボーっとしていると、雀がピョンピョン跳ねながら近づいてくる。
パンをちぎって落とすと、何羽もやって来て食べている。
今年の春、ご近所の I さんの玄関先に、雀のヒナが落ちていて、ピーピー鳴いていた事件がありました。近くに親雀がチュンチュン鳴いていたそうです。
I さんは、練り餌を食べさせて、数ヶ月後、大きくなってから飛び立たせられた。
その間、ベランダに置いた子雀の鳥籠の傍にやってきた親雀の様子を、写真で見せて頂いた。(´;ω;`)
子雀が巣立った後、I さんは、今 ‘文鳥’を飼って居られる。美しい小鳥です。
人の近くに一年中いるので親しい。頭が茶色で黒い縞が斑で、見慣れた鳥で可愛い!
それだけに、雀を使った諺は多い。
近くの石窯パンの店に行くと、コーヒーが無料で置いてあるので、時々、買ったパンを食べながらボーっとしていると、雀がピョンピョン跳ねながら近づいてくる。
パンをちぎって落とすと、何羽もやって来て食べている。
今年の春、ご近所の I さんの玄関先に、雀のヒナが落ちていて、ピーピー鳴いていた事件がありました。近くに親雀がチュンチュン鳴いていたそうです。
I さんは、練り餌を食べさせて、数ヶ月後、大きくなってから飛び立たせられた。
その間、ベランダに置いた子雀の鳥籠の傍にやってきた親雀の様子を、写真で見せて頂いた。(´;ω;`)
子雀が巣立った後、I さんは、今 ‘文鳥’を飼って居られる。美しい小鳥です。
2012年12月20日木曜日
喪中葉書
11月末頃から、ポツリポツリと喪中の葉書がくる。
「まあ~○○さんのお母様は96歳で亡くなられたのね!」とか「まあ~△△さんの奥様は69歳で、お若いのに!」と言いながら、そちらへは年賀状を書かないことにする。
先日、H さんのご子息から「12月の初めに、父が70歳で亡くなりました。」という葉書を頂きました。
H さんは18年前に、娘が就職した時に上司だった方でした。
結婚式の折には主賓の挨拶をしてくださり、誠実な言葉で褒めて、励まして頂きました。
普通の喪中葉書ではなく、お孫さんとのスナップ写真2枚を載せて、ご子息の言葉が綴られており、心打たれました。
まだ娘が在職中に、H さんが奥様と木曽路を旅された折のお土産(コースター)を、部下の人達に配られた。「お母さん使う?」と言ってくれて、使ってきました。
グラスの敷物は、木・コルク・紙・ガラスと色々あるけれど、この‘木曽路のお土産のコースター’が一番使い勝手が良いなあ!と思いながら、眺めながら、H さんを偲びました。
娘が「H さんの息子さんに、お悔やみの手紙を書くわ!」と話した。
「まあ~○○さんのお母様は96歳で亡くなられたのね!」とか「まあ~△△さんの奥様は69歳で、お若いのに!」と言いながら、そちらへは年賀状を書かないことにする。
先日、H さんのご子息から「12月の初めに、父が70歳で亡くなりました。」という葉書を頂きました。
H さんは18年前に、娘が就職した時に上司だった方でした。
結婚式の折には主賓の挨拶をしてくださり、誠実な言葉で褒めて、励まして頂きました。
普通の喪中葉書ではなく、お孫さんとのスナップ写真2枚を載せて、ご子息の言葉が綴られており、心打たれました。
まだ娘が在職中に、H さんが奥様と木曽路を旅された折のお土産(コースター)を、部下の人達に配られた。「お母さん使う?」と言ってくれて、使ってきました。
グラスの敷物は、木・コルク・紙・ガラスと色々あるけれど、この‘木曽路のお土産のコースター’が一番使い勝手が良いなあ!と思いながら、眺めながら、H さんを偲びました。
娘が「H さんの息子さんに、お悔やみの手紙を書くわ!」と話した。
2012年12月18日火曜日
2012年12月10日月曜日
2012年12月9日日曜日
餅つき
毎年12月の初めの頃の日曜日に、自治会で餅つきをします。
中庭で餅つきのデモンストレーションをしている間に、役員さん達は、和菓子屋から運び込まれた‘搗いた餅’を丸めて、餡子・黄な粉・白を作ります。
カマドを設置して、湯を沸かして、前日から浸けてあった餅米を蒸す。臼・杵も水に浸しておく。
食べて丁度良い堅さに、蒸しあがると、湯で温めておいた臼と杵で、米粒を潰してから搗き始めた。搗く人のそばの返し手は、S子さんしか出来ない。
以前は、子供達が臼を取り囲んで、面白そうに見たり、走り回っていたけれど、今は静かなものです。
引換え券を持って行って、餅(300g2パック)を頂きました。お昼ご飯は、黄な粉餅だった。
同じ時間帯に、花壇倶楽部の手入れをしました。
葉牡丹(大)を70苗植え、今年の作業も今日で終わった。
中庭で餅つきのデモンストレーションをしている間に、役員さん達は、和菓子屋から運び込まれた‘搗いた餅’を丸めて、餡子・黄な粉・白を作ります。
カマドを設置して、湯を沸かして、前日から浸けてあった餅米を蒸す。臼・杵も水に浸しておく。
食べて丁度良い堅さに、蒸しあがると、湯で温めておいた臼と杵で、米粒を潰してから搗き始めた。搗く人のそばの返し手は、S子さんしか出来ない。
以前は、子供達が臼を取り囲んで、面白そうに見たり、走り回っていたけれど、今は静かなものです。
引換え券を持って行って、餅(300g2パック)を頂きました。お昼ご飯は、黄な粉餅だった。
同じ時間帯に、花壇倶楽部の手入れをしました。
葉牡丹(大)を70苗植え、今年の作業も今日で終わった。
2012年12月8日土曜日
高田匡隆(1977年生)ピアノリサイタル
数々の国際コンクールで優勝して、イタリアで勉強してこられた‘高田匡隆さん’のピアノリサイタルへ友人達と出かけました。ご縁があってチケットを頂きました。
千駄ヶ谷駅の目の前の‘津田ホール’でしたが、19時開演なので‘ユーハイム’で食事をしました。ドイツビール・パン・ソーセージが美味しいけれど、眠くなるといけないので、ビールは飲まなかった。
舞台でジーッと集中されて、こちらも息を詰めて待ち、バルトーク「左手のためのエチュード」の激しくも変化に富んだ流れに圧倒されて、聞き入りました。
どの曲も初めて聞く曲で、大変緊張しました。
体格が良くて、若いエネルギーに満ちた演奏に、ピアノが力強く、繊細に変幻な音色だった。大きく息をしなければ、耐えられない感じを受けました。
津田ホールを出ると黄葉したイチョウの葉が街灯にきらきらしていた。
チケットを下さった方が、終わって出て来られた‘高田匡隆さん’を紹介して下さったけれど、丁寧にお礼を言っただけで「写真を!」なんて言えなかった。
千駄ヶ谷駅の目の前の‘津田ホール’でしたが、19時開演なので‘ユーハイム’で食事をしました。ドイツビール・パン・ソーセージが美味しいけれど、眠くなるといけないので、ビールは飲まなかった。
舞台でジーッと集中されて、こちらも息を詰めて待ち、バルトーク「左手のためのエチュード」の激しくも変化に富んだ流れに圧倒されて、聞き入りました。
どの曲も初めて聞く曲で、大変緊張しました。
体格が良くて、若いエネルギーに満ちた演奏に、ピアノが力強く、繊細に変幻な音色だった。大きく息をしなければ、耐えられない感じを受けました。
津田ホールを出ると黄葉したイチョウの葉が街灯にきらきらしていた。
チケットを下さった方が、終わって出て来られた‘高田匡隆さん’を紹介して下さったけれど、丁寧にお礼を言っただけで「写真を!」なんて言えなかった。
2012年12月3日月曜日
自主防災隊
2011年3月11日の東日本大震災のあと、自治会で‘自主防災隊’を立ち上げねばという声が起こりました。
これまでも自治会の中に、防犯・防災部があって、毎年、冬になると消防署の要請で‘消防訓練’を行ってきている。
自治会の役員は2年交代なので、役員の任期が終わると無関心になる。
独立した防災隊を作り、同じメンバーで運営していく組織作りをし、何度も会議を重ねて、軌道に乗ってきました。
隊長以下 対策本部、事務(総務・情報・備品管理)、救護・救出・避難誘導、消火・設営、給食・給水と役割分担を決めた。
市の方も力が入っていて、助成金も出るようになりましたが、申請は骨がおれるそうです。
私も給食班を仰せつかっていて、11月末に隊員だけの夜間訓練を行いました。街灯を消し、発電機の照明をつけ、おでこに照明をつけて、防災食の五目ご飯・わかめご飯・海鮮おこわ・梅わかめご飯を各50食づつ作った。
昨日は、朝9時半に住民の方々が中庭に集まり、安否確認後に、消防署の方の指導を受けながら訓練をしました。
給食班は、梅粥100食・山菜おこわ・五目ご飯・わかめ御飯を各50食・ビスケット320個・豚汁200食を作った。
豚汁は前日に手分けして、野菜を切る準備から始まります。
寒かったので、粥も豚汁も喜ばれた。かまどを3基据えて、薪をくべるのは難しい。
仲良くしている87歳のI さんが、煮え方を見て薪を引いたり、足したりの指南をして下さっていた。
3月にも防災訓練があるので「次も出て、傍で教えて下さいね!給食班のメンバーに加えとくから!」とお願いした。
これまでも自治会の中に、防犯・防災部があって、毎年、冬になると消防署の要請で‘消防訓練’を行ってきている。
自治会の役員は2年交代なので、役員の任期が終わると無関心になる。
独立した防災隊を作り、同じメンバーで運営していく組織作りをし、何度も会議を重ねて、軌道に乗ってきました。
隊長以下 対策本部、事務(総務・情報・備品管理)、救護・救出・避難誘導、消火・設営、給食・給水と役割分担を決めた。
市の方も力が入っていて、助成金も出るようになりましたが、申請は骨がおれるそうです。
私も給食班を仰せつかっていて、11月末に隊員だけの夜間訓練を行いました。街灯を消し、発電機の照明をつけ、おでこに照明をつけて、防災食の五目ご飯・わかめご飯・海鮮おこわ・梅わかめご飯を各50食づつ作った。
昨日は、朝9時半に住民の方々が中庭に集まり、安否確認後に、消防署の方の指導を受けながら訓練をしました。
給食班は、梅粥100食・山菜おこわ・五目ご飯・わかめ御飯を各50食・ビスケット320個・豚汁200食を作った。
豚汁は前日に手分けして、野菜を切る準備から始まります。
寒かったので、粥も豚汁も喜ばれた。かまどを3基据えて、薪をくべるのは難しい。
仲良くしている87歳のI さんが、煮え方を見て薪を引いたり、足したりの指南をして下さっていた。
3月にも防災訓練があるので「次も出て、傍で教えて下さいね!給食班のメンバーに加えとくから!」とお願いした。
2012年12月1日土曜日
忘年会
どんより鼠色の空で、降ったら時雨だなあ!と思うような天気でした。
もう12月に入るので、幼馴染の友人たちと早目の忘年会をしました。
丁度お昼時で、晴海通りの三原橋交差点に立つと、お巡りさんが交通整理をしていた。
三原橋地域安全センターの方みたいです。笛を吹いて、右折左折の車に目配りしていた。轢かれそうだなあと思った。
歌舞伎座も高く出来上がっていて、開業が近い。
角の‘足袋屋・大野屋’さんの前で待ち合わせた。
少し歩いて、ビルの地下へ降りていくと‘割烹真々田’さんは、落ち着いてて、お喋りが弾んだ。
他愛ない昔話で大いに笑うのが、幸せな長生きのコツとか!
食事を終えて外へ出ると‘香蘭社’があった。皆で一回り店内を見せて頂いた。
午後のお茶は‘銀座で一番美味しいモンブランの店’で、和栗の土台は、卵の白身を焼いた、硬いもので意表を突かれた。
この頃の日の暮れは早く、帰りを急いだ。
もう12月に入るので、幼馴染の友人たちと早目の忘年会をしました。
丁度お昼時で、晴海通りの三原橋交差点に立つと、お巡りさんが交通整理をしていた。
三原橋地域安全センターの方みたいです。笛を吹いて、右折左折の車に目配りしていた。轢かれそうだなあと思った。
歌舞伎座も高く出来上がっていて、開業が近い。
角の‘足袋屋・大野屋’さんの前で待ち合わせた。
少し歩いて、ビルの地下へ降りていくと‘割烹真々田’さんは、落ち着いてて、お喋りが弾んだ。
他愛ない昔話で大いに笑うのが、幸せな長生きのコツとか!
食事を終えて外へ出ると‘香蘭社’があった。皆で一回り店内を見せて頂いた。
午後のお茶は‘銀座で一番美味しいモンブランの店’で、和栗の土台は、卵の白身を焼いた、硬いもので意表を突かれた。
この頃の日の暮れは早く、帰りを急いだ。
2012年11月26日月曜日
古布
祖母、母、自分の若い頃の着物を処分しかねて、タンスに仕舞ったままになっています。
たまには、風を通さなくてはいけないし、捨てるのには忍びないしで、困っています。
着物のリフォームに熱心な方々のフェスティバルへ出かけました。
直線裁ちの着物は、洋服に縫い直すと、一風変わった感じになる。
紋を活かしてあると「アラッ!お洒落ねッ!」という雰囲気になります。
コート・ワンピース・スカート・帯地のバッグ・ブラウス・布を裂いて織ったベスト・バッグ、小物類・布ぞうり等など出品されていた。
造った方が売っているので、説明が詳しい。「買わないけれど、作り方教えて!帰ってから作るから!」と、和気あいあいの雰囲気だった。加賀の指ぬきも出品されてあった。
針山・トンボのブローチ・ピン留め・櫛入れ・ティッシュケースを買いました。自分でも作ってみよう。
ランチは、お濠とボートを見ながら、お嫁ちゃんと‘カナルカフェ’で、ホットワインを飲みながら、パスタとピザを食べました。
この冬は、ホットワインも作ってみようと思った。
たまには、風を通さなくてはいけないし、捨てるのには忍びないしで、困っています。
着物のリフォームに熱心な方々のフェスティバルへ出かけました。
直線裁ちの着物は、洋服に縫い直すと、一風変わった感じになる。
紋を活かしてあると「アラッ!お洒落ねッ!」という雰囲気になります。
コート・ワンピース・スカート・帯地のバッグ・ブラウス・布を裂いて織ったベスト・バッグ、小物類・布ぞうり等など出品されていた。
造った方が売っているので、説明が詳しい。「買わないけれど、作り方教えて!帰ってから作るから!」と、和気あいあいの雰囲気だった。加賀の指ぬきも出品されてあった。
針山・トンボのブローチ・ピン留め・櫛入れ・ティッシュケースを買いました。自分でも作ってみよう。
ランチは、お濠とボートを見ながら、お嫁ちゃんと‘カナルカフェ’で、ホットワインを飲みながら、パスタとピザを食べました。
この冬は、ホットワインも作ってみようと思った。
2012年11月16日金曜日
東京国立博物館
東京都美術館を出て、国立博物館の方へ歩いた。
暖かい日差しに、噴水の周辺では、三々五々くつろいでいる。靴を脱いで、陽に干している人も居て、目を逸した。
正面の本館で‘出雲の至宝展’があり、左手奥の‘平成館’で、中国王朝の至宝展’がある。
左手の緑青の屋根の’表慶館’は、一年前から閉まっています。
出雲からは、弥生時代のものと思われる‘銅鐸・銅剣・勾玉’、神像、室町時代の甲冑など多くの展示がありました。近年、出雲大社の境内から出土した‘宇豆柱’の杉の木の塊には、驚愕しました。3本を纏めて、大柱にして建てられていたようです。
平成館の方へ移動して、先ず映像で、中国の4000年の歴史をザーッと学ぶ。
夏・殷・蜀・楚・斎・魯から宋までの出土品の数々に圧倒されます。
小さいグラスで、細かい紋様を見ている人もいる。
2008年に南京の古刹の地下から出土した‘阿育王塔’が一番の目玉だった。古代インドのアショカ王が、多くの仏塔を造ったと言われる故事にちなんで名付けられたとか!仏骨や多彩な副葬品が入っていたとか!
博物館を出ると、もう3時近くなっていて、クタクタで、腹ペコだった。
‘パークサイドカフェ’で、野菜いっぱいのミートドリアとフレッシュハーブティーで、やっと人心地ついた。
生のハーブがたっぷり入っていて、だんだん緑色の液体に変わるのを見ながら、元気が出てきた。
暖かい日差しに、噴水の周辺では、三々五々くつろいでいる。靴を脱いで、陽に干している人も居て、目を逸した。
正面の本館で‘出雲の至宝展’があり、左手奥の‘平成館’で、中国王朝の至宝展’がある。
左手の緑青の屋根の’表慶館’は、一年前から閉まっています。
出雲からは、弥生時代のものと思われる‘銅鐸・銅剣・勾玉’、神像、室町時代の甲冑など多くの展示がありました。近年、出雲大社の境内から出土した‘宇豆柱’の杉の木の塊には、驚愕しました。3本を纏めて、大柱にして建てられていたようです。
平成館の方へ移動して、先ず映像で、中国の4000年の歴史をザーッと学ぶ。
夏・殷・蜀・楚・斎・魯から宋までの出土品の数々に圧倒されます。
小さいグラスで、細かい紋様を見ている人もいる。
2008年に南京の古刹の地下から出土した‘阿育王塔’が一番の目玉だった。古代インドのアショカ王が、多くの仏塔を造ったと言われる故事にちなんで名付けられたとか!仏骨や多彩な副葬品が入っていたとか!
博物館を出ると、もう3時近くなっていて、クタクタで、腹ペコだった。
生のハーブがたっぷり入っていて、だんだん緑色の液体に変わるのを見ながら、元気が出てきた。
上野恩賜公園
14日は‘埼玉県民の日’だった。
友人の書道展を見に行こうと、京浜東北線に乗ると小学生・幼稚園生とママ達で混んでいました。
公園口の改札を出ると、ぞろぞろと動物園を目指していた。
穏やかな青空で、ヾ(@⌒ー⌒@)ノ気持ちになってきた。隣の‘東京都美術館’へ向かっていると、空き地で、小学生の一団が先生の注意を受けていた。
「グループで行動する事、集合場所、時間、何かの折の連絡方法」を大声で伝えていた。
先生って、色んな子がいるから大変だなあ!
美術館の中も静かだけれど、混んでいました。メトロポリタン美術館展があるからかも知れない。
第53回書燈社展は、詩人の作品を書にするというもので、様々な想いが溢れていました。
友人の書道展を見に行こうと、京浜東北線に乗ると小学生・幼稚園生とママ達で混んでいました。
公園口の改札を出ると、ぞろぞろと動物園を目指していた。
穏やかな青空で、ヾ(@⌒ー⌒@)ノ気持ちになってきた。隣の‘東京都美術館’へ向かっていると、空き地で、小学生の一団が先生の注意を受けていた。
「グループで行動する事、集合場所、時間、何かの折の連絡方法」を大声で伝えていた。
先生って、色んな子がいるから大変だなあ!
美術館の中も静かだけれど、混んでいました。メトロポリタン美術館展があるからかも知れない。
第53回書燈社展は、詩人の作品を書にするというもので、様々な想いが溢れていました。
2012年11月11日日曜日
2012年11月10日土曜日
2012年11月8日木曜日
2012年11月3日土曜日
鎌倉彫
近所のO嬢が、もう30年も続けておられる鎌倉彫の展覧会を見に行きました。
東京美術倶楽部ビルの3階であった。
明治中頃から、再び美術品の売買が活発になり‘東京美術倶楽部’が出来たそうで、平成3年に建て替えられた地上12階の社屋は、黒い石と2階以上は灰白色の石で立派だった。隣は愛宕警察署、向かいは日本赤十字社だった。
鎌倉彫一陽会は、仏師の家系から出た‘三橋彫り’を基礎にした伝統工芸品で、深い彫りと七色塗りで表現している。
友人の力作は、桂の葉を彫り込んだ‘盛り器’だった
会長三橋昌山氏の作品は芸術的な迫力があり感動しました。一番気に入ったのは、長谷川幸山氏の五つの香合(日の出松・桃・菖蒲・梶の葉・ぐみ)だった。掌に乗るほどの蓋に、繊細な彫りで、色は変化に富んで美しかった。
会場の隅では、映像で木の切り出しから、彫り、漆塗りの作業を映し出していた。気の遠くなる様な作業です。
帰りに「今日は文化の日だなあ!」と 都バスを待っていると、正面に日の丸の旗を飾ってやって来た。浜松町駅まで乗りました。
東京美術倶楽部ビルの3階であった。
明治中頃から、再び美術品の売買が活発になり‘東京美術倶楽部’が出来たそうで、平成3年に建て替えられた地上12階の社屋は、黒い石と2階以上は灰白色の石で立派だった。隣は愛宕警察署、向かいは日本赤十字社だった。
鎌倉彫一陽会は、仏師の家系から出た‘三橋彫り’を基礎にした伝統工芸品で、深い彫りと七色塗りで表現している。
友人の力作は、桂の葉を彫り込んだ‘盛り器’だった
会長三橋昌山氏の作品は芸術的な迫力があり感動しました。一番気に入ったのは、長谷川幸山氏の五つの香合(日の出松・桃・菖蒲・梶の葉・ぐみ)だった。掌に乗るほどの蓋に、繊細な彫りで、色は変化に富んで美しかった。
会場の隅では、映像で木の切り出しから、彫り、漆塗りの作業を映し出していた。気の遠くなる様な作業です。
帰りに「今日は文化の日だなあ!」と 都バスを待っていると、正面に日の丸の旗を飾ってやって来た。浜松町駅まで乗りました。
2012年11月1日木曜日
徳川園
尾張徳川藩二代藩主光友の隠居所のあった所です。
昭和6年に19代当主義親が、名古屋市へ寄付しました。
名古屋城と共に戦災で焼け野が原になったそうです。
清流、滝、渓流、池と‘小石川後楽園’によく似ている。
龍仙湖の向こうで、結婚式の前撮りをしていた。移動しながら、30cmもありそうな望遠レンズのカメラで写していた。
徳川美術館は、団体客でいっぱいでした。
秋の特別展は 「徳川将軍の御成」と 銘打っていた。
将軍による臣下への公式訪問を饗応する茶道具、美術品、武具・刀剣。書院飾り、能の面、衣装、奥道具、源氏物語絵巻、蓬左文庫。
その一つ一つが見事なものでした。
御成りの儀式をしっかりと引継ぎ、伝えることも徳川家の威信を示す手立てだったのねと思う。
外へ出て売店へ行くと、葵のご紋の入ったでっかい‘どら焼き’を大量に買い込む人がいて、つい笑ってしまった。
昭和6年に19代当主義親が、名古屋市へ寄付しました。
名古屋城と共に戦災で焼け野が原になったそうです。
清流、滝、渓流、池と‘小石川後楽園’によく似ている。
龍仙湖の向こうで、結婚式の前撮りをしていた。移動しながら、30cmもありそうな望遠レンズのカメラで写していた。
徳川美術館は、団体客でいっぱいでした。
秋の特別展は 「徳川将軍の御成」と 銘打っていた。
将軍による臣下への公式訪問を饗応する茶道具、美術品、武具・刀剣。書院飾り、能の面、衣装、奥道具、源氏物語絵巻、蓬左文庫。
その一つ一つが見事なものでした。
御成りの儀式をしっかりと引継ぎ、伝えることも徳川家の威信を示す手立てだったのねと思う。
外へ出て売店へ行くと、葵のご紋の入ったでっかい‘どら焼き’を大量に買い込む人がいて、つい笑ってしまった。
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