2013年12月24日火曜日

五目寿司

「今、本山駅から地下鉄に乗りました。新幹線に乗ったら連絡します!」という携帯メールが入った。
朝食後すぐに五目寿司を作り始めたので、もう出来上がりつつあった。
・高野豆腐・人参・酢ごぼうのみじん切り・ドジョウインゲン・干ぴょう・ゴマ・椎茸を混ぜて、甘い錦糸玉子を一面に覆った。
2時半頃にやって来るので、小腹が空いているだろう。
子供達には、ジュースやお菓子より軽い食事の方が好い。
いつもプリンターの上においている、クリスマスキットを食卓に移動しよう!
2年前に、ちりめんの小布で作った。黄色い星の座布団・飴のスティック・ろうそくと子供を守る人形。
昨日キャベツのデッカイのを頂いたので、夕食はロールキャベツにして、残った挽肉に胡麻油を足して練り直し、白菜と肉団子のスープにしよう!

2013年12月20日金曜日

伊勢神宮の落雁

年賀状を書きつつ、そろそろ正月用意の心づもりもと考えたりしつつ、思い出して、夏に頂いた‘伊勢神宮の落雁’を取り出した。
お屠蘇の傍にこれを飾ろう!
今年は、20年に一度の遷宮の年でした。出雲大社も60年に一度の遷宮で、重なりました。
日本中が神社詣での様相だったなア!
伊勢神宮では8月に「お白石持行事」があり、その行事に参加した氏子の方から、おみやげに落雁を頂きました。
大台ケ原を源にする宮川から、石英系の水晶に似た白い石を拾い集める。
石を曳き車に乗せて、神域に入ると、白い布に包んで、新宮の垣内、正殿近くに進んで奉献したそうです。
全国から集まる方々も、身を清め、白衣に傘を被って参加されたそうです。
その方は、出雲大社の氏子総代の家柄の方なので、誰もが参加できるわけでもなさそうです。
「暑い日で、履物も大変でした。」という話でした。

これから年末に向かって、バタバタするから、転ばないことを心がけよう!と思う。

2013年12月18日水曜日

さざんか さざんか 咲いた道

誰でも知っている小学唱歌‘たきび’の作詞は、巽聖歌(たつみせいか)という方です。
何気なく歌っていたけれど、岩手県出身なので「北風ぴ~ぷ~吹いている」という表現が自然だとか、北原白秋に師事していたとか、全国の学校校歌を作詞しておられたとか、新美南吉と親しく、亡くなる時には、全ての作品を託された方だったとは、知りませんでした。
近くに山茶花の垣根があるので、たき火はしないけれど、歌いたくなります。
数年前に‘チャドクガ’に刺されて、酷いことになった。
茶の木・椿・山茶花に発生する毒針を持った虫です。針の先が食い込むと抜けないらしい。
暑い頃だったので、顔や手のみならず、身体まで刺された。手で払った先のえり首から、袖口からも入り込みました。
強力な虫なので、専門業者に2度にわたって、薬を撒いてもらった。
11月頃から、花は美しく長く咲いています。
美智子皇后陛下は「山茶花の咲ける小道の落ち葉焚き童謡とせし人のいま亡く」と詠んでられる。
明治38年に生まれ、昭和48年に68歳で心不全で亡くなられている。

2013年12月15日日曜日

牡蠣

「寒いね!雪が降ってきてるよ!今年は2度目!」と妹から電話がかかってきた。
「冷えてきたから牡蠣送るね!」と言ってくれた。
近頃は、牡蠣を二人用にパックしたのが、使い勝手が良い。
「庭の花柚子が、今年は沢山生ってねエ。木は大きくなったし、トゲが危ないのとで、少し送りますよ!」と柚子も入っていました。感激!
牡蠣の照りとふっくら感が、全く違うので、本当に嬉しい。

牡蠣飯より土手鍋が好き安芸育ち   つるばみ

牡蠣殻から身を取り出すには、鳶口の先のような道具で、コンコンと叩きながら、こじ開ける。
この作業をする人は‘牡蠣打ち娘(こ)’と呼ばれています。
冷たい場所で、座って打っているのを、子供の頃に飽きもせず見ていた。
取り出した身を量って、手当が決まるのだと聞いたことがある。
職人技でスピードも要求される厳しい仕事です。今はどうなんだろう!

かき船にもちこむ別れ話かな  久保田万太郎 

というのがあります。好きですねえ!

2013年12月14日土曜日

クレラー=ミュラー美術館(オランダ)展

国立新美術館へ新印象派の作品を見に行きました。
友人がチケットを送ってくれた。「年の瀬が押し詰まってきたので、それぞれで、暇をみつけて行こう!」と暖かい配慮です。待ち合わせたり食事をしていると時間をくう。
オランダの実業家が収集した作品の内、100点が来ていました。
印象派の技法を点描にまで突き詰めたスーラは31歳で亡くなっている。仲間のP・シニャックの作品が多かった。
スーラのそれより長い筆触です。絵葉書は‘マルセイユ港の入口’です。
この美術館はゴッホの作品を87点も持っている。ベルギーとオランダへも影響を与えて、モンドリアンの時代へと推移していく。
美術館はいつも老人で混んでいます。一人で、のんびりとコーヒーとパンを食べてから、初台のオペラシティーへ行った。
‘日本の近代音楽の150年’展は、幕末から明治、大正、昭和、戦争と戦後、21世紀までの楽器、楽譜、音源、写真と295点も集めていました。
貴志康一がベルリンから父に宛てた手紙もありました。
浦賀へ上陸したペルーの軍艦とともに軍楽隊も、人々を驚かせた。その頃医療伝道師として、やってきたJ.C.ヘボンの塾で歌われる讃美歌の歌声も驚きだったようです。
手書きのオーケストラの楽譜や様々な楽譜は、美術品のように思えた。
オペラシティの庭には、クリスマスツリーとそれを見上げるモニュメントがあった。
12日には、美智子皇后陛下もお見えになったそうです。
頭がクラクラするくらい疲れたけれど、心地よい一日だった。

2013年12月13日金曜日

髪切り鋏

2か月に1度の割合で髪をカットしに美容室へ行く。
もう白髪染めもしない、パーマもかけないので、美容室にとっては嬉しい客ではないけれど、若いカットマンは笑顔で切ってくれる。
美容師は、鋏を沢山持っていて、皮のケースを腰につけている。定期的に研ぎに出すらしい。左利き用・手の小さい人用・指の細い人用・金属アレルギーのある人用などあるらしい。
その技は、素早く軽快で、つい見つめてしまう。ためつ眇めつ動きながら切っていく。
子供達が小さい頃は、美容院へ行く時間も、お金もなくて、髪の先を自分で切っていた。お化粧も同じ理由でしなかった。古い写真を見ると若さだけある。当時(昭和40年代初め頃)の写真は白黒だったんだ!

冬休みに孫たちがきたら、髪を切ってやろう!前髪を切るのは難しい!

切り過ぎて、よく叱られるけれど「すぐ伸びるから大丈夫だよ!頭の中身が良いから大丈夫!」と、クシャクシャっとして誤魔化す。

使い捨ての風呂敷2枚を袋状に縫い合わせて、首の所へゴムを入れて、髪切る時のケープを作った。

2013年12月11日水曜日

蜜柑の剥き方

Face book に‘蜜柑の剥き方’が出ていました。英語版で、両端を落とし、一か所にナイフを入れて、両側へ開いてゆく。
ま~こんな風に!目から鱗!コロンブスの卵!
susumu先生からシェアさせて頂きました。
早速、剥いてみた。楽しい( ^)o(^ )
「どうぞ!」と出したら、驚いて暫く見ていたが、「自分で剥いて食べます!」と言われてしまった。
炬燵と蜜柑は冬の楽しみです。まったりしたい時に好い。
指でクイクイ剥いて、口にほおり込むのが合ってるかも!
瀬戸内海の潮風と陽光で育った、無農薬・ノーワックスの蜜柑は、皮ごと食べるのが正式だと友人が言っています。

2013年12月9日月曜日

チューリップの球根

来年の春の為に、七色のチュ-リップの球根(300球)を、中庭花壇に植えました。
冬に向けて、葉ボタンも植えました。
球根は、6種類に分けられます。
チューリップの球根は、タマネギ・ヒガンバナ・ヒヤシンス・ニンニク・ラッキョウ・ユリ根の仲間だそうです。
秋植えで、冬の寒さを感じさせて、翌春から夏にかけて開花します。
大勢で、工夫しながらの作業は楽しい!( ^)o(^ )
パンジーの間に色を配置して、皆で「これで良いね!ふっくら丸い方を背中とみて、深さは、球根の3倍ね!さあ~植えましょう!」と言って一斉に植えました。

2013年12月7日土曜日

デモ

代々木公園を散策する前に、腹ごしらえせねばと溜池山王駅を出た。
都立日比谷高校の隣の同窓会館のレストランへ向かっていると、デモ隊のシュプレヒコールが、風に乗って聞こえてきた。
首相官邸へ行く坂道には、警官が数人待機しているが、表情は柔らかい。
議員会館や宿舎の前を通り、‘黒澤’の建物も眺めた。黒澤は故黒澤明監督のお子さんがやっている蕎麦の店です。
‘国家機密の漏えいに、厳罰を科す特別秘密保護法’を巡り、すったもんだの挙句に、6日深夜に賛成多数で成立しました。
デモ隊は、連日出動していたようでした。
5日昼頃、暢気に、食事(赤・白ワイン飲み放題のヴァイキング料理)を楽しみました。
帰宅して、「代々木公園へ行ったことある?」と聞くと、「20~30歳代の頃、毎年メーデーには、会社の組合員が集まった後に、デモ行進したことあるよ!日当が出たなア!」と言っていた。
あの頃は、組合も元気に要求し、毎年ベースアップがあった。
ストライキもよくあり、会社へ泊ったりして、貸布団屋から布団を会社へ運んでくると聞いた時に驚いたこともあった。あの頃は生活が懸かっていた。
物価は上昇を続け、何もかも右肩上がりだった。

2013年12月6日金曜日

代々木公園 (3)

「オリンピックの時できた橋で‘五輪橋’というのをご存知ですか?」とYさんが問われた。
皆な首を振って「知りませエ~ん」と答えた。
「東京五輪音頭は知ってるけれど…生まれてなかったし…」
「原宿駅の傍の‘神宮橋’と並んでるんですよ!」という説明を聞いて、駅への帰り道を急いだ。
当時、各競技場を結ぶ道路整備の為に、山手線を跨いで架けられたそうです。橋の両側にいろんな競技の様子を彫ってあった。
表参道通りの‘ギャレット’には、相変わらず行列が続いていた。その脇道を入ると‘ジャニーズ’のプロマイドを売る店が、やけに明るい!撮影禁止で、看板だけは許されたので、ブーブー悪態をつきながら、階段を降りてみた。
購入する為に、若い女性が、少年達の小さな写真の番号を、一心不乱に記入していた。
相変わらずジャニーズ事務所の一人勝ち!
20年前に、小雨の横浜球場のスマップのコンサートへ、娘と行った日を思い出した!
秋に再会した友人が「近頃‘嵐’が好きなの!」と言ったので「もう台風はコリゴリよ!」と言って笑われたっけ!


13000歩も歩いていたらしく、帰りの電車では、ずーっと寝ていました。

代々木公園 (2)

昭和39年に開催された東京オリンピックの碑は立派です。
上面の銅版に当時の地図や様子が描かれていて感慨を覚えます。
中央広場に、平成2年に水景を整備しています。
公園には噴水があってこそだなア と思いを深くして眺めた。渡り鳥もきているが、やはり鴉が主人面をして、水浴びしていた。
紅葉も黄葉も最後の輝きを見せていて、案内して下さったYさんや皆なで「美しい!今日来て良かったね!」と頷きあった。
林の中では、5~6人で撮影していた。綺麗な人形のようなモデルでした。
山茶花が一本だけ花を付けていて珍しい!
可愛い人にピッタリのロケーションだけれど、世話をしたり、撮ってる男女が薄汚くて驚いた!



周囲にはドッグランがあるので、その帰りらしい犬がいた。
お似合いの飼い主と犬だった。

代々木公園 (1)

曾ての陸軍代々木練兵場は、戦後米軍の宿舎となり、東京オリンピックの時の選手村になりました。
昭和42年、代々木公園に整備されて、都心で素晴らしい木々が育っています。
地下鉄を上がって、3分ほど歩いて、西門から入りました。
すぐに「航空初始の地」という碑が立っていた。
日本で初めて、明治43年に高度70m・4分間・3000mを飛んだという場所だそうです。
暫く歩くと浮浪者のブルーシートの家がいくつもあった。中に白いシートの家?の入口は素敵で、中へも入ってみたいようだった。
近くにある‘朴’の大きな葉が、括って下げてある。
絹糸を巻いた‘手毬’も揺れていた。
中には、キッチン・テレビ・パソコンがあるかも?

今昔の思い巡らし冬ざるる      つるばみ

快晴で風もなく、飛行船がゆったりと浮かんでいました。



2013年12月5日木曜日

ヒヨコ豆とレンズ豆

「ひじきをヒヨコ豆と煮てみたの!」とご近所のIさんに頂きました。
「ヒヨコ豆…?」珍しい。そしてヒヨコ豆が美味しかった!
「ね~何処で買ったの?レンズ豆も以前から欲しかったの!」と言うと、家に帰って、すぐに持ってきて、戻し方や煮方を教えて下さった。
ヒヨコ豆の歴史上最古の記録は、7500年前のトルコの遺跡に残っている。
レンズ豆は、旧約聖書の創世記の物語に登場。前2000年のエジプトの墓から出ている。
光学製品が出来た時に、レンズ豆に似ていたから、それを‘レンズ’と名付けたとか!
米国の健康専門の月刊誌に載った「世界の五大食品」として挙げられたのは、スペインのオリーブ油・日本の大豆・ギリシャのヨーグルト・インドのレンズ豆・朝鮮のキムチだそうで、これらは世界中に普及しています。
お正月になると豆料理に時間を掛ける。
ヒヨコ豆の面白い形を生かしたり、レンズ豆のオレンジ色を生かして作ってみよう!

2013年12月3日火曜日

宝石箱

今年の‘ミキモトガーデンプラザ’のクリスマスツリーの周りには、12か月の誕生石のでっかい指輪がアレンジしてありました。
お店は‘ブライダルフェアー’と銘打っていた。
結婚・婚約・誕生日・クリスマスプレゼントなど理由があると好いなあ!
北海道から根付きのまま送られてきた10mのモミの木で、12色のLEDライト7000個が点滅する。
11月の点灯式の折りには、ジャミン・ゼブ(男性ヴォーカルグループ)の歌声が響いたそうです。
残念!生ジャミンを聞きたかった!彼らのハーモニーは美しく若々しい!


ショーウインドウに豪華なネックレスとイヤリングが!似合うのはどんな女性だろう!

デパートの入口の飾りは華やかで下を人々が行き交っていた。

伊東屋へ寄って、クリスマスカードと海外用の年賀状を買った。

2013年11月30日土曜日

パッチワークキルト

ご近所の方々を誘い合って、近くの市民館の‘キルト展’へ出かけました。
ホールには、沢山の作品が展示してあり、お客さんも多かった。
女性は針仕事が大好きです。事情が許せば、陽当りの良い部屋で、静かにチクチクと針仕事がしたいが、もう体力気力視力が覚束ない!

2m×2mのタペストリーがあちこちに掛っていた。代表の駒井先生の着物の古布を使った作品が、光っていました。
先生は挨拶したり、説明したりと忙しそう!腕もたつが、口もたつ元気盛りの人だった。50歳台だなア~良いなア!
ヨーロッパの寒冷地で、布と布の間に薄く綿を入れて、保温性の高い洋服を作った。日本にも丹前や布団やちゃんちゃんこがある。布は大切で、接ぎ合せて何度も使う。着物も古くなると、縫い直し、布団や座布団にも姿を変えている。刺し子で布を補強したりもする。
移民と共に米国へ渡り、広まっていき、女性の仕事だった。
パッチワークキルトというと、‘赤毛のアン’に登場するレイチェル・リンド夫人を思い出す。村の裁縫の集いを切り盛りする働き者で、噂好きです。
持ち寄った小布を接ぎ合せる作業を、お喋りしながらの楽しい作業!
今は芸術作品になってきているけれど、色・形・構図を工夫する作業は楽しいです。
窓際にウサギのぬいぐるみが、耳を立てて並んでいました。
窓の向こうは、蕨城址公園の紅葉です。

2013年11月29日金曜日

舟山公園

大木ばかりの公園で圧倒されてしまった。
小高い丘が後ろに控えて、それに沿って横に長い公園だった。

斜面林というのだろうか。階段がつけてあり、登っていくと一層木々の大きさが感じられる。


「早く行かないと散ってしまいますよ~」と言われて来てみたけれど、やはり落ち葉が、あちこちに積もっていた。

スニーカーで、ザッツザッツと踏んで歩くと落ち葉の匂いがしました。



武蔵野や落ち葉にありし陽の匂い   つるばみ

散歩

浦和の舟山公園を目指して、京浜東北線ぞいに歩いて行くと‘ゴリラ公園’があります。
その上を外郭環状線が走っていて暗くて、ゴリラがギョッとするほど怖い!
名前はビッグジョーで、身長は4mだそうです。時々幼稚園の子たちが来ていたり、小学生が「じゃあ、ゴリラ公園に集合ね!」と人気がある。ゆるやかな高低がつけられていて、自転車のモトクロスコースにもなっていて、日曜日には試合もあるらしい。
20 年前頃、仕事仲間と時々行った喫茶店は、まだあるかしらん?と思い探してみた。
舟山公園の先にあり、当時、コーヒーに果物が付いているのが嬉しかった。今も焼きおにぎりをスープに沈めたのがあるとか!

けれど、木曜日だから休みだった。
「こんなに小さな店だったかしら?」すっかり忘れていた。まだあったのだ。
住宅地の中の小綺麗な店です。
途中で‘イノコヅチ’を見つけたので、少し摘んだ。冬休みに子供達が来るので、投げっこして遊ぼう!

 いのこづち散歩道より連れて帰し   つるばみ