2010年1月28日木曜日

松山城

 1602年に加藤嘉明によって築城された城は、平野の中の丘陵に建つ‘平山城’で、戦国の頃の‘登り石垣’を築いていた。
‘賤ケ岳七本槍’の一人の加藤嘉明は朝鮮へも出兵して後 、関が原の合戦では徳川方として戦い、城のあちこちに葵の紋が入っていた。加藤家の紋は‘蛇の目’でシンプルだった。
城内には桜の木が多くて、春になると、さぞ美しいだろう!と、「城と咲き誇る桜の風景」を 想像した。
 街中からロープウエイで城へ登り、チケットを渡して歩き出すと‘くろがねもちの実’が鈴なりで、皆見上げているが今の時期、何故、鳥達は‘くろがねもちの実’を食べないのかしら?と思った。

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