2011年9月30日金曜日

豆柿 (カキノキ科)

 日比谷花壇の店先に‘豆柿’を見つけた。
1.5cmほどの小さい実が驚くほどついていた。寒冷地に多いらしい。可愛くて見飽きない。タンニンが多い渋柿だけれど、晩秋になり霜が降りる日が多くなると黒く熟して甘くなるのだとか!
柿渋を取るために栽培されてきた。木にもタンニンの寄りが黒く現れて、趣のある銘木となり珍重される。細川公爵邸の和室の柱に使われていて、案内の方が「これほどの柿の木は滅多にありません!」と説明されたことを思い出した。

2011年9月29日木曜日

フジバカマ(キク科)とススキ(イネ科)

 

以前は、野原や川原にフジバカマやススキを見かけた。遊んでいる時に、ススキの葉でスーッと手を切ったものです。
万葉集にいわれる秋の七草は、今や花屋さんの店先に見つけました。
ススキが原で忘れられないのは、お婿さんの運転で阿蘇山へ行った時の、広大な風景です。どこまでも続いて、白い穂がオイデオイデをしていた。

「それぞれの窓」 後藤章子

 十一月画廊で開かれている章子さんの個展へ出かけました。昨年と違う作品に出会えるだろう!と期待して。章子さんは私の長い付き合いの友人の姪御さんです。
銀箔に絵の具をのせ、花が浮き上がるような光と影の大作ですが、勿論その流れの作品もあったけれど、今回はおや!と驚くほど落ち着いた花の小品に魅力がありました。
写真は撮れなかったけれど、沖縄の光の中でも勉強してこられた今年の作品群だなあと思った。彼女の詩が添えられていた。

恩師はもういないけれど、
奥さんのために植えた椿は、春に美しく咲いた。
祖母はもういないけれど、
ひ孫のために植えた蝋梅が香る。
終わりと始まり
私はそれぞれの思いを吸収し
絵画の光の中へ還す。

2011年9月28日水曜日

豆かん

 ‘豆かん’と聞いて「アッ大好きだよ!」と言われる男の方は、江戸っ子だと思う。
寒天と薄塩の豆に黒蜜をかけて頂く。全く知らなくて、最初「エッツ!これだけ?」と思った。食いしん坊の私はフルーツ・アイスクリーム・あんこ・求肥も一緒の‘蜜豆’しか知らなかった。
今日はご近所の江戸っ子の方に、「医者へ行った帰りに、王子へ寄ったから!」とおみやげに戴きました。言葉使いがきれいなのも東京の方だなあ!と思う。
王子稲荷神社の近くの石鍋商店は明治中ごろの創業で、寒天は神津島の天草・赤エンドウ豆は富良野・沖縄の黒砂糖です。誠実に本物の材料を使ってこられた。
以前、火伏せの凧を貰いにお参りした時、通りがかって、干した天草の大きな塊に驚いたことがあった。牧場に転がっているロールの干草のようだった。
 夕食の後、「食べようかしら?明日にしようかしら?」と悩んでいる。
ランチョンマットは、谷中にある江戸千代紙の店‘いせ辰’のものにしました。S子さんに頂いて気に入っています。
 

2011年9月25日日曜日

紫式部(実紫) クマツヅラ科

 数年前から、中庭花壇のモチノキの根元に‘紫式部’が植えられている。どなたが植えて下さったのだろう。
実が紫色に変わる頃に目を引く。落葉低木なので、この季節になると目立って、優雅な名前なので皆知っている。
名前の由来を調べてみたら、「実をびっしり付けるので、‘紫敷き実’と呼ばれていたけれど、いつのまにか紫式部という名に変わったという説があるとか。
 小紫・白式部という種類もある。中庭のは小紫かもしれない。花言葉は上品。
花が咲いた頃に写真を撮りはぐれたので、葛西親水公園のをお借りしました。

3.11絵本プロジェクトいわて

 台風15号が関東地方へ移動してきた日に‘末盛千枝子さんのお話会’を聞きに、神楽坂の「日本出版クラブ会館」へ出かけた。
絵本の出版に関わり‘すえもりブックス’を設立された方です。
昨年5月東京から両親の故里盛岡に移り住まわれて、初めての冬を越され、3月11日に大震災に遭われました。
こんな時に自分にできる事は!と考えられて「子供たちに絵本を届けよう!」と全国に呼びかけ絵本を集められた。
 「送り先を我が家にしなくて良かった!」と笑いながら話された。毎日、ダンボール箱が200~300箱も送られてきたそうです。
「子供たちが読んだ本です。」とか「孫の為にとって置いたけれど行き場がないので…」とか「5万円を預かりましたので選んで送ります。」という本屋さんからとか。
57000箱、22万冊の本。倉庫は公民館で、近所のお母さん方が集まって、記録・開封・年齢別に仕分けを手際よくされたそうです。
4月4日から‘絵本カー’で届け始めて、被災地を歩いた凄まじい情景も写真で見せていただいた。
メチャクチャな宮古駅に立ち、海に向かって祈る若い僧の姿は胸に迫るものがありました。この方は北から南へ行脚を続けられている途中だったとか。‘ビルマの竪琴’を思った!と話された。大船渡の高台にある畳敷きの古い教会でも、子供たちは絵本が着くと、表情が変わって夢中になっていく様子がよく分かる。
IBBYの理事でもいらっしゃる末盛氏は、大戦後のドイツから始まった‘国際児童図書協議会’の運動の原点をも話された。

 帰りは案の定、台風が荒れ狂って、JR全線ストップした。赤羽駅で4時間立ったまま「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」末盛千枝子著を読みながら凌いだ。

2011年9月23日金曜日

生け花

 東京ミッドタウンには生き生きした観葉植物や生け花があちこちに配置してあった。座りやすい椅子もあちこちに。恋人たちはじっと外の風景を眺めていた。

2011年9月22日木曜日

ヴェネチアン グラス展

 サントリー美術館で行われている「ヴェネチアングラス展」へ友人と出かけた。
コーニング・ガラス美術館からも1500年頃のエナメル彩のゴブレットを初め、ネーデルランドのレースグラス蓋付きゴブレット、サントリー美術館所蔵のもの、あちこちからの品々、現代の工芸品など150点が展示されてありました。
 ガラスはいつ頃から製造されていたのか正確には分からないらしい。
15世紀ころヴェネチア共和国の頃に、高い技術の作品が珍重されたようで、16世紀には日本へも南蛮交易でやってきている。城跡から発掘されたものも展示してあった。
ヴェネチア共和国では技術の流出を恐れて、職人をムラーノ島へ集めていたそうですが、やがてヨーロッパへ拡がっていく。ムラーノ島でガラス工房見学と買い物の時に、撮ったものです。
現代の日本の作家江波富士子さんの作品が好きだわ!と話し合った。「雨のち虹」は繊細なグラスの行列で、大勢の人々に囲まれていた。

2011年9月15日木曜日

ウチワサボテン (サボテン科)の実


 6月16日に花の写真を撮った‘ウチワサボテン’に赤い実が沢山生っていた。近くに車を止めて見学。
お掃除しておられたので「実を頂いて良いでしょうか?」と聞いて、二つ頂いた。
「毎朝落ちていて掃除するんです!」と言われた。「立派に大きくなっていますねえ!」と話した。帰ってから、輪切りにして、皮をむいて頂いたら、果汁が一杯だったが、あまり甘くないけれど、野生の味がしました。胡麻のような種が、プチプチと口に残って楽しかった。冷やして、夕食後に食べたら美味しかった。

 3年前の秋ナポリの朝。大渋滞の中を市場帰りの軽トラの荷台に、イタリアンパセリ・ウチワサボテンの実・柿・りんご・パプリカ・ぶどうを積んでいた。バスの中から撮りました。

2011年9月12日月曜日

歌劇 カルメン (ジョルジュ・ビゼー)

 ご近所のAさんは80歳を超えられたので、「もう遠くへは行かないけれど、リリアで‘バーデン市劇場公演のカルメンは如何ですか?」と誘って下さった。
60年間もオペラ一筋に見続けてこられたので、お話を伺うだけでも有難い。2009年2月に‘椿姫’にご一緒したのも印象的だった。
リリアを皮切りに、これから全国20ヶ所を回るそうです。
入り口でパンフレットを貰うと、楽譜が殆どで、左側に物語を追っている。オーケストラボックスの上にハープが少し見えた。「二期会の方々が見えてるわよ!」と袖を引いて言われた。
 午後4時に耳馴染みの前奏曲が始まり、たばこ工場の前の場面から始まる。カルメンのメゾソプラノの迫力と魅力的な身体!「束縛されるのは嫌!私は自由よ!」と歌う。「やはり外国の方の表現は素晴らしいわあ!」とAさんが言われた。簡易だけれど書き割りが迫力がある。「ドンホセってなんて愚かなの!」とイライラしてテノールがうっとおしい。もうのめり込んでいる証拠だなあ!と、そっと座りなおした。
 一番心打たれたのは、ミカエラの歌った‘アリア’です。祈るようにドンホセに訴える柔らかく優しいソプラノに涙がこぼれました。
カーテンコールの際にも、彼女に一段と大きな拍手が興りました。もう一度聞きたい。
作曲家ビゼーは1838年パリで生まれ、37歳の若さで敗血症で亡くなりました。
‘カルメン’のパリ初演の3ヵ月後だったそうです。亡くなった日もオペラ劇場で、絶賛を浴びていたと伝えられているそうです。


2011年9月11日日曜日

ナデシコ (ナデシコ科)

 今夜は中国と‘なでしこジャパン’の試合がある。テレビを見なくては!
つい最近まで‘なでしこジャパン’の試合を見ることはなかったけれど、ワールドカップでドイツに勝ってからは、目が離せない。
 今日は第二日曜日で、花壇の植栽の日だったので、市のみどり課から支給された‘なでしこ50苗’を植えました。
苗を配達してきたお兄さんが「なでしこが人気で品薄です!」と言っていた。
花弁は細かく裂け、茎は細く、はかなげで繊細な容姿で楚々と咲いているが、風にも強く乾燥にも強い。

 曾良は「奥の細道」の途中で那須を過ぎ、黒羽を目指している折に、出合った可愛い女の子に名前を尋ねると「かさね」と答えた。こんな野中の鄙びた土地で、優しい名前だなあ!と感心して、「かさねとは八重撫子の名なるべし」曾良   「この子の名前は、‘かさね’だというが、花ならば、花びらの重なった撫子の花のように可愛いね!」と詠っている。
 18世紀のイギリスでは、ピンク色はナデシコの花の色を指していたそうです。花言葉は「純真・無邪気」です。

2011年9月9日金曜日

シャープペンシル

 鉛筆を使って育ったので、筆圧が強くてシャープペンシルの芯をポキポキと折ってしまう。「2mmの芯だと滑らかに書けるよ!」と教わっていたので購入しました。2Bで630円とホルダー芯420円。会計の横でも2mm芯のシャープペンシルを使っていました。
売り場には、様々な製図用や三菱ユニ鉛筆と同じ色のシャープペンシルがあった。
 イギリスで発明されたらしいけれど、日本では1915年シャープの創業者早川徳次氏が開発されたとか!そんなに古くからあったのかと驚きました。
 中学受験に際して、塾の先生が「シャープペンシルは持たさないで!もし芯の調子がおかしくなると、子供は修理することに熱中するから!」と言われた。「なるほど!」と思った。今も幼児は、鉛筆の持ち方が大切です。
子供たちが使って‘ちびた2cm弱の鉛筆’をビンに一杯取ってあったけれど見当たらない。どこへ行ったのだろう?

2011年9月8日木曜日

酒米 五百万石

 銀座3丁目の紙パルプ会館の壁に沿って、稲架掛け(はざかけ)してあり、案山子が飾ってあった。
まあ!もう稲刈りが終わっている!と驚いた。9月4日に刈って、新潟県村上市からやってきたそうです。藁にはまだ緑色のも混じっていた。皆さん足を止めて見たり、写真を撮っていたりしていた。
新潟県の醸造米の‘五百万石’という種類らしい。日本中の土地それぞれにいろんな種類の酒米があることを知りました。
全く詳しくないけれど、ワインも‘カベルネ・ソービニオン’や‘シャルドネ’や‘甲州’というブドウの名前を聞く。
紙パルプ会館って、屋上でミツバチを飼っているそうです。月1度の見学会は人気で、すぐ定員になるらしい。ブンブン飛び回るミツバチの見学をしてみたいものです。花の蜜は何処から運んでくるのだろう!街路樹?日比谷公園?皇居?

2011年9月7日水曜日

島ラッキョウ (ユリ科)

 沖縄伊江島産の島ラッキョウの塩漬けを頂いた。若い堅実な二人は、沖縄からの帰りに、泥付きのを買って帰り、二人で洗い、根と芽を切って、塩漬けにしたそうです。シャキシャキピリッとして爽やかです。
今はしんどいので、泥付きラッキョウは買わないけれど、以前はマスクと水中眼鏡をかけて始末していました。この作業は大変です。
夕食にはレシピに‘てんぷらに’と書いてあったので、てんぷらにしたら大変美味しかった。
ジーマミー豆腐は、ピーナツの絞り汁をさつまいもの澱粉で固めたもので、真っ白い胡麻豆腐のようで美味しい。
‘塩もずく’は有難い!近頃三杯酢にしたものばかりだけれど、‘もずく粥’にするにはこれでなくては!
ラッキョウの花の写真は「ようこそ植物園へ」の中からお借りしました。

ピオーネ

 廣島空港から近いところの河内町のぶどう農園から、朝摘んで即発送したという‘ぶどう’を送って頂いた。
濃紫のは‘黒い真珠’と名付けられた‘ピオーネ’。マスカット色のは‘ハニービーナス’。透き通った美しい紅色のは‘ぬくしな’。近くに温品ICがあるけれど、そこから名付けたのかしら?
添えられた文には、廣島県農業技術センターが開発した「根域制限栽培法」を取り入れ、地下60mのボーリング井戸から汲み上げた清水で潅水し、木炭を敷いた減農薬栽培法と書いてあった。近くには西条という造り酒屋の町があるから、きっと良い水なのだろうなあと思った。
農園(農園主は女性)をインターネットで見ると‘ぬくしな’の木を見ることが出来た。

2011年9月6日火曜日

イチジク(無花果) クワ科

 熊谷バイパスを南下していると‘農産物特売所’があちこちに見える。これが楽しみでよく寄る。新鮮・量が多い・安い・農薬減・生産者の顔が見える・この辺のスーパーにない野菜に出会える。
昨日は、台風の後で品数が少なかったけれど、秋茄子・茗荷・赤シソの葉・青しその実・モロヘイヤ・大和芋・イチジクなどを買いました。〆て¥890.だった。
 先程からイチジクの甘露煮を作っている。冷やしたら美味しいだろう!赤ワイン・レモンを少し入れて色を深めた。
写真を撮っている端から、切り口に白い液が滲み出てくる。口の端に付いたり、洋服に付くとやっかいなことになる。
 ヨルダン渓谷にある新石器時代の遺跡から炭化した実が出土しているそうです。アダムとイヴの頃からあったのね?
江戸時代にペルシャ・中国を経て長崎に伝来し、薬樹とされて、挿し木で家庭の庭に植えられてきました。今夜はモロヘイヤで‘クレオパトラのスープ’を作るつもりです。

2011年9月5日月曜日

栗 (ブナ科)

 北へ65km走って深谷市へ仕事に出かけた。熊谷バイパスで混んでなければかなりスピードが出せるので楽しい。
台風12号の風雨でかなりの水が出て、通行止めの所があったらしいけれど、すっかり水は引いていた。
 仕事が一段落して、昼ごはんを食べに行こうと歩いていると「お母さん!大きな栗が!」とお嫁ちゃんが叫んだ。「これまで全然気付かなかったわ!」
緑色の大きな栗は、高い塀よりはみ出している。台風の影響でいくつも外に落ちていた。足で踏んで栗を出そうとしても、中には未だ茶色い実は出来ていなかった。「わー痛そう!」「靴を履いてるから痛くないよ!」
「どんな花が咲くんですか?」「来年の春頃から観察すると良いよ!」と話し合った。
秋が深まると、フィレンツエのシニョリア広場の角の店で焼き栗を買って、アッチャンと歩きながら食べたことを思い出す。大きな焼き栗を入れた袋に、同じ大きさの殻入れの袋がくっ付いていた。

2011年9月3日土曜日

ママ友達

 「デュオ・プリマ」2011年10月17日(月)浜離宮朝日ホール・磯絵里子・神谷未穂さんのヴァイオリン・デュオコンサートへ行きましょうと誘われました。
40年近く前のママ友達と連絡取り合って、久し振りに出かけることに決まった。
この前三人で会ったのは、世田谷美術館の「白洲正子展」だった。
 子供たちが小さかった核家族は、あの頃、近所で、助け合い学びあって子育てをしました。もう子供たちは巣立っていったけれど、ママたちは今も意気軒昂!
「暑かったねえ!どうしてた?」「近くに被災者の方々が来られたので、その食事作りで忙しかった!8月末で帰られたら、台風がやって来て、もう秋だわ!野菜不足にならないような献立を皆で工夫したお陰で、我が家のレパートリーが増えて良かったわあ!」と彼女が笑って話した。
電話をきった後、感動してしまった。