2011年10月6日木曜日

ご先祖さま

 夫の母の3回忌のために帰郷しました。誰も住んでいない家は、さほど変わっていなかった。仏壇も墓も変わらずに花柚子が今年も沢山実っていました。

 廣島空港まで出迎えてくれた妹が「私たちのご先祖さまの土地へ行ってみない?」と言って車を走らせてくれた。私の父の故里は、空港から30分くらいの高屋という場所です。明治39年生まれの父は「毛利の家臣で、うちは庄屋だった。」と言っていたけれど、本家でもなく、長男でもないので、工業学校を出て軍港の町に住み着いた。昭和5年頃シンガーミシンの代理店を興して、部品輸入、組み立て、販売し、母が洋裁教室を併設していた。戦後は進駐軍が引き上げる時に、ミシンを持って帰るので繁盛していた。
備後平野は美しい稔りの秋の風景で、祭りの準備で幟なども立っていた。昭和44年に県の史跡に指定され、資料館もあるらしいけれど、寄るのは又の機会にしましょう!と呉の町へ急いだ。
帰宅してから、県史やウイキペディアを読んでみて、もっと父の話を真面目に聞いておけば良かったなあと反省した。
故里を離れて、もう47年も過ぎた。










0 件のコメント: