明日は県北の武蔵丘陵森林公園‘紅葉ハイキング’へ行くので、おいなりさんを作った。
母は油揚げを裏返してから煮て、すし飯を詰めていた。三角に切ってすし飯を詰め、上に海老など飾るとご馳走になった。
戦後、タスキを「お国のため」から「子供達のため」にと掛け替えてPTA活動に熱心だった。脱脂粉乳が給食として配られ、「不味くて飲めない!」と家で文句を言うと、「アメリカさんが皆んなの体の為に下さっているのだから、贅沢を言ってはいけないよ。」と嗜められた。
白いエプロンをして学校へ行くので、「どうして?」と聞くと、「着る物の競争になってはいけないからね!皆んな色々大変だから申し合せた。」とも言っていた。
ララ物資として洋服を貰った時、母は「モヘアのセーターがあった!」と喜んで帰ってきたけれど、胸の所が伸びて薄くなっていた.
「アメリカの女の人はオッパイが巨いんだねえ」とガッカリしていた。小学生だった私たち姉妹は、洋服が伸びるなんて?と驚いた事を思い出した。
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