2011年11月1日火曜日

石垣

 四ツ谷駅を出て、四ツ谷見付け橋を渡ると、上智大学の塀には江戸時代の石垣が残っている。綺麗に接いだ‘切込みはぎ’です。


紀尾井町の国道246号沿いに赤坂見付け跡の碑があった。筑前福岡藩主黒田忠之が建てた枡形の石垣が残されていた。
「いつも草茫々で見えないけれど、ラッキーです!刈ってある!」と言われたので、陸橋の上から撮りました。
江戸城36見付け(敵の侵入を防ぐ警備の門)の一つです。









暫く歩いて、桜田門に着いて、外枡形門の美しい石垣を見た。左側は堀です。

2 件のコメント:

Susumu さんのコメント...

桜田門よりやや登ったところに井伊家の上屋敷があったそうです。お堀端に井戸が残っているようです。
桜田門外の変のときに、近くの井伊家の上屋敷にいた僕の先祖は、急遽現場に駆けつけたという記録が我が家に残っています。Wikipediaで「桜田門外の変」を引いてみると、色々とすごきことが書いてありますよ

つるばみ さんのコメント...

「桜田門外の変」を読みました。
人々が真剣に生きていた時代が、読み取れましす。凄まじい男の人たちです。
その人たちに付いて生きた女性も真剣だったのでしょう。
チャランポランな自分は、きっと生きていけなかったです。

susumu先生のご先祖さまは井伊家の武士でいらしたのですか?
何時お会いしても、柔和で言葉も優しいけれど、時々眼が鋭く光るのは、武士の血筋でいらっしゃるからなのですね。

コメント有難うございます。