呉海軍工廠で建造された‘大和’の1/10の模型(全長26m)が展示してある‘ヤマトミュージアム’へ出かけた。これで3度目だ。いつも空いた時間を利用して寄るので、中途半端で帰ってしまう。今回も2時間しかなかったけれど寄ってみた。
小さな湾に向かって灰が峰(737m)が、控えているので、気候が穏やか町です。半農半漁の村に、1886年(明治19年) 鎮守府をおいて軍港になった。戦前、山の手に建てられる家々の南側は壁に、東西に窓を付けるようにと決められ、軍港を見下ろせないようになっていた。昭和初年に建てられた中島の家もそうなっている。柱や欄間は立派だけれど、やはり‘南からの陽差し’は大切だと思う。
‘大和’の進水は1940年8月、沈没は1945年4月です。進水式は秘密裡に行われたそうだ。
雨の日曜日にも拘らず、大勢の見学者が入っている。11月の企画展は、「平和祈念展・戦争体験の記憶」だった。12月12日の講演会は、「正岡子規と呉 (従軍記者時代)」となっていた。呉に住んでいるならば、参加するのだけれど…!と思った。‘松山市立子規記念博物館’の館長が、お話をなさる。 ‘大和’の正面から撮ろうとしたが、記念撮影の写真屋さんが、お客さんを次々と撮っているし、その周辺は大勢の人が撮っているし、逆光なので、後ろから写した。
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