2012年5月7日月曜日

深谷駅

埼玉県北の深谷へ仕事で出かけました。
いつもは車で、産業道路ー17号ー熊谷バイパスへと65kmの道のりを飛ばすのだけれど、高崎線で行きました。車は、ゴルフ場へ行ったから。
駅が15年前に建て替えられた頃は、ピカピカだったけれど、風雨に曝されて落ち着いてきました。街燈も明治時代風です。
‘くるリン’バスで町を周ると、‘血洗島(ちあらいじま)’というバス停があるけれど、渋沢栄一(1840~1931)が生まれた場所です。
彼が‘日本煉瓦製造’を上敷免(じょうしきめん)に作ってから、煉瓦を東京へ運び、東京駅・旧日銀・法務省旧館・赤坂迎賓館など等を建てたと、町の歴史に残っています。
当時のホフマン釜・変電室・事務所などは、今も町に残されています。
渋沢の従兄の尾高惇忠(1830~1901)は、近くの‘下手計(しもてばか)’という場所で生まれました。初代富岡製糸場長で、女性の働き手を集めるのに苦労したそうです。
技術指導にきているフランス人達が、ワインを飲むのをみて、「娘の生血を飲む!」と恐れて、応募する人はいなかったというのを読み、私は笑えなかった。
尾高の14歳の長女‘ゆう’が率先して‘伝習工女’に応募し、労働条件、収入、生活面の向上に尽力したと、言われています。
今日は五月晴れの清々しい天気だった。

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