2010年12月30日木曜日

万両 (やぶこうじ科)

 花壇の万両の木に赤い実が沢山なった。
お正月には欠かせない。
5年前Mさんが「女房が育てていたんだけれど、この鉢じゃあ持て余してなあ!」と言いながら下さった。
千両・万両・百両(唐橘)・十両(薮柑子)は関東以西、台湾、朝鮮半島に自生している。花言葉は‘富’。
今年も7月ころに白い花が葉の陰に沢山咲いていた。湿気を好むのに、長く暑かった夏も凌いで赤い実が光っている。幹を切れないので、茎の部分から離して、「正月料理のあしらいにしてもらおう!」と思って二ヶ所のエレベーター室の前に置いた。


実万両に足るを知りたるひと日かな  つるばみ

2010年12月29日水曜日

林檎のタルト

 林檎の戴き物が沢山あるので‘アップルタルト’を焼いた。
平らな皿にタルト生地を敷いて、アーモンドの粉で作ったアーモンドクリームを敷き詰めた。その上に林檎のフィリングを乗せて180℃で30分間焼いて出来上がった。
 前日幼い人と一緒に作った‘苺のデコレーションケーキ’の残りの生クリームを飾った。
少し溶けかかっている。
 同じような事をblogに書いたような気がして、繰ってみたら2年前の今日焼いていた。毎年同じような事をして過ごしているんだなあ!と思う。

2010年12月26日日曜日

油雑巾

 歳末の大掃除にかかると、これまで捨て兼ねていた物を思い切れる。何度も転勤する度に捨ててきたけれど、物は何時の間にか増える。
30年前に上司の方からお祝いに頂いたスリッパ置きは、数年来ベランダの隅で棚となっていた。雨曝しで白茶けてはいるが竹と籐でしっかり出来ていた。
趣きのある品に喜んだあのころが思い出されて、申しわけ無い気持ちになった。

土埃をブラシで払い、水拭きしてから、油雑巾で拭いた。
換気扇や自転車などを磨く油雑巾は、灯油2と水8で作る。木工製品にはてんぷら油(菜種油)が良い。
道具箱にあった油性の速乾ニスを塗ったら甦った。

2010年12月23日木曜日

ホトトギス(杜鵑草) ユリ科

 「永遠にあなたのもの」「秘めた思い」という花言葉を持つホトトギスは、秋の初めから今も花壇で、静かに咲いている。
蕾は濃い紫で目立たない。    花も地味で、「えっっ!何処に咲いてるの?」ってよく言われる。東アジア一帯に原生している植物で、これは‘タイワンホトトギス’らしい。
 敷地内の清掃の人が辞めるときに、「家の周りに‘シャガ’と‘ホトトギス’がいっぱいあるので植えますか?お持ちしますよ!」と 言って置土産に下さった。
2年経って、両方ともよく咲き増えている。
シャガはあちこちに株分けした。
 この夏に、線路を越えた所の町会の盆踊りを見に行って、フランクフルトソーセージを齧りながら孫達と見ていたら、声をかけられて吃驚した。慌てて立ち上がって2年前のお礼を言った。
浴衣を粋に着こなした素敵なおじいちゃまだったので、お行儀の悪いところを見られて、ちょっと恥ずかしかった。

2010年12月20日月曜日

キダチアロエ (ユリ科)

 中庭花壇で草取りをしていたらMさんが「アロエの花が咲いたヨ!毎年咲くのヨ!」と嬉しそうに話して下さった。
昔から‘医者いらず’と言われて親しまれ、身近に植えられてきた。
誰もが消炎効果や殺菌効果があると経験で知っている。
原爆投下後の広島郊外で、医者も薬もなく、手の施しようのない被爆者にせめて‘アロエ’をと、ゼリー状の果肉を貼り続けて改善したという話を今も思い出す。

 6~7年前から自分で作ってジュースを飲んでいる。刺を取って、フードプロセッサーにかけて濾す。煮沸してアクを取って保存する。インドヨガの先生が煮沸すると酵素が無くなると言われたけれど、雑菌が心配です。
左手のぐい呑みに30cc入れ、右手に白湯の湯呑みを持って、ちびちびと。ドロドロして苦くて飲みにくい。

 ・ アロイン   胃液の分泌を高める
 ・ アルボラン 血糖値を降下させる
 ・ アロエウルシン 細胞を賦活させ組織を再形成する

2010年12月18日土曜日

ビワ(バラ科) の花

東京理科大坂を下り外堀通りに出ると車が激しく行き交っている。
その向こうに外濠が見えて、水上レストラン(CANAL CAFE)が華やかにキラキラしていた。
濠の向こうの崖の上を中央線の窓の明かりが走って行く。電車からもこのレストランとボートは目をひくだろう。
階段を降りて見学した。桜の木が両岸にあり春は華やかだろうなあ!寒くなると‘赤いひざ掛け’を無料で貸してくれる。夕暮れ時なので、店の若い人がボートのオールを引き上げていた。
 鉢植えのびわの木に花が咲いていた。この季節に咲くんだ!そして6月に実が熟れるんだ!
高い木の上で咲いているので、見たことが無かった。

ビワは優しい木の実だから 抱っこしあって熟れている
薄い虹あるろばさんの お耳みたいな葉の陰に
ビワは静かな木の実だから お陽に温んで熟れている
ママと頂くやぎさんの お乳よりかもまだ甘く

                   まどみちお  詩

2010年12月17日金曜日

新宿区立若宮公園

 ヨーロッパの邸宅風の‘アグネスホテル’を出た所に‘若宮八幡神社’がある。横に武家屋敷の面影を残す若宮公園があった。公園を囲む白壁、門柱、冠木門、沢山の樹木がある。冠木門から出ようとしたら、門の根元に浮浪者がどっかりと座っている。R子さんが「怖い!」と小声で言った。「大丈夫!私が守ってあげる!」と言って、横を通り抜ける時に見たら、鉛筆で綿密な写生をしていた。
立派な石垣に、楓の落葉が吹き寄せられて美しかった。


 坂を降りる途中に東京理科大の‘近代科学資料館’があった。
立派な扉を開けて入ると「閉館」の札が下がっていたので、二人でガラス越しに覗いていると、中から若い女性が笑いながら出てきて「どうぞ!」と案内して下さった。‘物理学校時代’のコーナー・計算機の歴史・エジソンコーナー・微分解析機・FACOM201等をざっと説明して下さる。小学生向きの理科実験コーナーは、もう一度来なくては!と 思った。
 館長らしき方が、「絵葉書を差し上げなさい。」と言われたので、「わあ~良いんですかあ」と 言いながら、‘エジソンの蓄音機’(100円)を選んで、頂いて辞した。

2010年12月16日木曜日

スチーム・メリーゴーランド

 11月中旬の名古屋高島屋に‘スチームメリーゴーランド’が展示してあった。
11月なのにもうクリスマス気分で、吹抜けの広場には巨大な‘キラキラのツリー’も立ててあった。
1886年西独製のメリーゴーラウンドの前で幼い人の写真を何枚も撮った。当時はニュートラルにした蒸気自動車の発電で動かし、電飾も灯していたらしい。回っていたが乗ることは出来なかった。木製でクラシカルで見飽きないものだった。
今朝その時の写真を整理していて、自分の部屋に何年間も掛けていた ‘巴里の街’ドラクロア(1798~1863) の中にメリーゴーラウンドが描き込まれていたのを思い出し、取り出して撮った。

2010年12月15日水曜日

賛美歌

 神楽坂のこじんまりしたアグネスホテルの地下ホールで「賛美歌を歌いましょう」という会があったので、R子さんと出掛けた。二人とも歌うのが大好き!
バリトン歌手の平林龍さんが歌唱指導してくださる。伴奏は芸大の同級生のジャズピアニストの保坂修平さん。最初の発声練習で口蓋を開いて強く長く声を出す事も教えて下さった。  難しい!会場に入る前に入口でワインを持って、テーブルに着いたので効いたらしくクラっとした。
‘ペチカ’から6曲歌ったところで、平林先生が「一応クラシックの歌手なので」と言って素晴らしい声で2曲歌って下さった。会場の隅々まで響く。美しいスタイルと上品なお顔とこの声はご両親からの贈物だなあ!と感じ入った。
作曲もなさるジャズピアニストの保坂先生の演奏はロマンチックだった。
‘きよしこのよる’は50名づつ2部に別れて歌う。後半も、6曲歌って2時間はあっというまに過ぎていた。
歌い終わってから、お喋りしながら珈琲とマシュマロを頂いて、ホテルを出ると夕方の神楽坂界隈は愉し気な人々が行き交っていた。

2010年12月13日月曜日

砂ずり

 歳末になると、冷蔵・冷凍庫を空っぽ状態にしておかねばならない。冷凍庫の隅に小分けしてあった‘砂ずり’が残っていたのを発見。
早速夕飯にと解凍、解体した。白い筋と銀皮は硬いので、庖丁をねかせてこそげとる。身より捨てる部分が3倍も出る。
身は薄く切って茹でて、醤油・練りがらし・酢・胡麻油に漬けた。低カロリーでシャリシャリした食感で美味しい。
沢山できた皮は勿体無いので、千切りにして酒・塩・胡椒をして冷蔵庫へ。食べる直前に、粉をまぶして唐揚げにして酒の肴にしよう。揚げれば何でも食べられる。

甘酢漬け

 甘酢に漬けてから、毎日2~3個づつ食べていくと、毎日違う味がする。「食べごろ」と云う言葉があるけれど、美味しい時期を過ぎるとむしろ不味くなる。
漬け物屋さんは大変な仕事だなあ!と思った。
ようやく美味しくなったら、もう減ってきた。
この赤かぶを育てて、漬け方を教えてくれた女の人の元気な顔を思い出した。

   艶の良き女の育てし赤かぶら   つるばみ

2010年12月7日火曜日

赤カブ(アブラナ科)

 埼玉県北の町深谷市へいくために車を走らせていると、畑の向こうに‘明戸農産物直販所’という看板が見えた。「仕事が終わったら帰りに寄ってみよう!」と思った。
帰る途中、熊谷バイパスから外れて、販売所へ寄ってみると 「こんなに沢山人がいるの?」と 驚く程の人が買い物をしていた。
深谷ねぎも細いのから太いのまでいろいろあった。立派な白菜!太い赤大根。赤カブが一個(130円)残っていた!作ったことはないけれど‘甘酢漬け’にしてみようと求めた。生産者は女性だった。
帰って計ってみると1300g・12cm×16cm。一晩塩で漬けてから明日、甘酢に漬ける。軟かくて庖丁が入り易かった。1週間たつと真っ赤に漬かると書いてある。残りの1/4 は今晩、オリーブオイル・ニンニク・ベーコン・赤唐辛子・葱の緑でペペロンチーノ風にしてみようと思っている。

2010年12月3日金曜日

「ロートレックの食卓」 林綾野・千足伸行 

 6月にロートレックの生家のあるアルビの町を訪ねてから、もっとロートレックのことを知りたいな!と思っていたら、I 先生がこの本を紹介してくださった。
著者の林綾野さんは、近くの河鍋暁斎記念美術館の学芸員をなさっっているそうです。
アルビ・母方のボスク城・パリ・亡くなったマルメロ城を訪ねておられて、ロートレックの生い立ち、両親や親族のこと、友人達や商業美術へと花開いていく様子がよく解る。
当時の貴族は、狩りをして愉しみ、獲物を描いて楽しみ、大家族が食して三度楽しんだと言われる。子供の頃のロートレックは伸び伸びと大切に育てられたようで嬉しい。
 本の後ろから開くと、彼のレシピ集の中からの料理が載っていて、日本の家庭でも作りやすいようにアレンジしてあり、「作ってみたいなあ!」と思った。
泊まったホテルの2階に台所風景が再現してあった。

本の表紙。


ロートレックの生家近くのレストランの入口。そこでの料理はレシピ本の中から再現してあった。

2010年11月28日日曜日

チューリップの球根

 森林公園の花は自然の中にあるように、際立たないように配置され植えてある。
少し傾斜になった広い場所に、ビニール紐が図形のように張ってあり、作業服の人達が集まっていた。
駆け上がって寄ってみると、‘チューリップの球根と忘れな草の苗’を植える準備をしていた。
忘れな草は3月にならないと咲かないが、チューリップが背を伸ばし咲いている根元を薄青色の小さな花が飾るだろう。
11月14日に中庭花壇にチューリップを300球(3色)植えた。「忘れな草の苗を今、町で買えますか?」と 聞くと
「サア?これは早めに温室で育てました。」と 言われた。


 木立の中の一画に群生している銀灰色の葉の中に‘野生のシクラメン’が咲いていた。原種だと書いてあったが、原産は何処だろう?とずーっと気にかかっていたので、 昨日公園事務所に尋ねた。「アフガニスタン・西アジア・地中海沿岸一帯です。種類はへデリフォリュームとシクラメンコームを植えています。」と色々教えて下さった。

2010年11月26日金曜日

カエデ(楓) カエデ科

 比企丘陵に広がる国営の森林公園へ御近所の方々13名で出かけた。
東西1Km・南北4Kmの広さの中には、植物園・サイクリングロード(17Km)・腕白広場・プール・アスレチック・彫刻広場・ドッグラン・沢山の沼・渓流などがある。
今一番の見所は、紅葉したカエデ(野生の品種22種類・園芸品種50種類)の道です。夕方4時半からライトアップが始まった。幻想的に変わる林を見る為に、その頃から入場者も増える。
引率して下さったY氏が、園内くまなく見るようにとコースを組んで下さった。ハイキングしない人々も、遊覧車で端から端まで回った。
 園の端に沿って‘鎌倉街道’が残されていた。落ち葉に埋もれた林の中の細い道は、「いざ鎌倉!」という時に 熊谷直実や畠山重忠などが上って行ったのだろう!と想像した。風の音と落葉を踏む音もする。
標高90mの山城のあった場所には展望レストランや広場があった。「簡単な山城だけれど、見晴らしが良くて大切な場所だった。」と 遊覧車のおじさんのお話だった。
 休憩所で‘メープルコーヒー’を飲んだ。
お土産は、カエデの乾いた翼果・赤と緑の落葉・橡の大きな実(つるばみ)です。その他には、コカブ(150円)・里芋(300円)。

2010年11月24日水曜日

おいなりさん

 明日は県北の武蔵丘陵森林公園‘紅葉ハイキング’へ行くので、おいなりさんを作った。
母は油揚げを裏返してから煮て、すし飯を詰めていた。三角に切ってすし飯を詰め、上に海老など飾るとご馳走になった。
戦後、タスキを「お国のため」から「子供達のため」にと掛け替えてPTA活動に熱心だった。脱脂粉乳が給食として配られ、「不味くて飲めない!」と家で文句を言うと、「アメリカさんが皆んなの体の為に下さっているのだから、贅沢を言ってはいけないよ。」と嗜められた。
白いエプロンをして学校へ行くので、「どうして?」と聞くと、「着る物の競争になってはいけないからね!皆んな色々大変だから申し合せた。」とも言っていた。
ララ物資として洋服を貰った時、母は「モヘアのセーターがあった!」と喜んで帰ってきたけれど、胸の所が伸びて薄くなっていた.
「アメリカの女の人はオッパイが巨いんだねえ」とガッカリしていた。小学生だった私たち姉妹は、洋服が伸びるなんて?と驚いた事を思い出した。

2010年11月23日火曜日

へちまカボチャにチーズをのせて

へちまカボチャを真ん中で切ると、首の方には種がない。丸い先の方に種が詰まっていた。
直径6cmの棒状のカボチャを、5mmの厚さに切ってチーズを乗せてトースターで焼いた。味がないので塩をパラリと落したら何枚でも食べられる。周りは茶色・緑色・オレンジ色の層になっていて素敵!周りの皮はパリッとして、内側は柔らかい。水分が多く味が薄いと聞いていたが、その通りだった。
似合うのはビールかな?ワインかな?焼酎かな?

2010年11月21日日曜日

ハンギングバスケット

 以前から‘ハンギングバスケット’を作りたいなあ!と 思っていたので、緑化センターの講習を受けた。
草花をくす玉のような美しい球形に作って、宙づりにしたり、半球に作って壁に掛けて飾る。
ワイヤーで作った鉢に椰子の実の繊維で作った篭を入れて、土を入れながら植え付ける。
先生は若く美しい女性だった。
草花は、ビオラ(黄色と橙色)・アリッサム(赤紫色)・ガーデンシクラメン(ピンク)・初雪カツラが用意されていた。垂れ下がる性格のアリッサムと初雪カツラは斜めに植える。篭の側面に小さい穴を開けて、ビオラを外から差し込む。どうなっているのか?この方法を知りたかった。知れば‘コロンブスの卵’で、「こんな風にして差し込んでいるのか!」と 思った。フワッと植えてあるので1週間くらい水を上げながら土を足して根付かせる。偶数で整えるらしい!四方八方に!というわけだなアと思った。
根が落ち着いてきたら、鎖で高い所へ吊すことにする。
冷たい風に吹かれるので、暖かい色ばかり選んでみたけれど支離滅裂!1~2ヶ月たてば形が出来てくるだろうか?蝶が止まっている丸い塊に見えてくるだろうか?

2010年11月17日水曜日

学校給食

 今日はどんよりとした雨模様の寒い一日だったけれど、近所の小学校で「おじいさん・おばあさんと給食を食べる会」があったので、およばれしてきた。
50名もの人が集まり、最初に校長先生のご挨拶がありました。「昨年はインフルエンザが流行り、給食会が出来なかったけれど、今日は子供たちと一緒に給食を召し上がって下さい。皆が残さず食べられるように工夫を重ねて、先日、‘全国学校給食の文部科学大臣賞(29校)’を受けて来ました。」と お話しされた。
各クラスのお子さんが迎えに来てくれて、教室で小さな椅子に座って一緒に頂いた。牛乳1パック・味噌汁(大根、わかめ)・山菜炊き込みご飯(あげ、人参、ごぼう、わらび、しいたけ、さやいんげん)・だし巻き玉子の献立で、大変美味しい。お代り自由なので炊き込みご飯のお代りをしました。
「ご馳走さま!」をした後は、なぞなぞ遊びや皆んなで回して絵を描いた。
なぞなぞの最後の問題で、「子供は通れるけれど、大人は通れないドアーは何だ!」という問題が出たけれど、廊下から「もう他の教室は終わってるよ!」と声がして、ワイワイし始めたので、うやむやで終わってしまった。
「ドラエもんに出てくる‘どこでもドアー’じゃないかなア?」と思いながら、御礼を言って帰ってきた。
今度小学生の誰かに会ったら聞いてみよう。

2010年11月14日日曜日

吟行会

芭蕉翁は46歳の時、旧暦の3月27日(5月16日)に深川を出発して、北上し平泉から最上川へ、酒田から日本海沿いに南下して、山中温泉で暫く疲れを癒している。 それから敦賀へ、旧暦9月6日(10月18日)に大垣で「奥の細道」の旅を終えている。

 高校生の頃の友人9名(男子4・女子5)で大垣へ吟行に出かけた。人口16万人の大垣市は、地下水の豊富な町であちこちに湧き出ている。半日案内して下さったボランティアガイドの方が、「家では井戸水を使い、水道水は庭で水撒きに使っています。」と言われたので驚いた。彼の小学校の折りの‘蛤の潮干狩り’は、この川港から船を出したそうです。
「奥の細道」の最後の句は 「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」芭蕉 で締め括ってある。
又富有柿の産地とかで伊吹山を望む静かな町だった。大垣城の外堀、中堀、内堀があちこちに残り、古い街路樹が紅葉したり黄葉して美しい。帰る朝、ホテルの部屋から伊吹山を見ようと窓に寄ると、大きく虹も見えた。

 芭蕉翁は旧暦10月12日に亡くなられていて、‘翁忌’とか‘時雨忌’と言われて俳句の中によく詠まれている。



翁忌に大垣巡る縁かな     つるばみ




2010年11月8日月曜日

フェイジョア (フトモモ科)

 家庭菜園で育てた水菜やホーレン草や春菊やトマトを送って頂いた。「生で食べてね!」って優しい。
春菊は関東地方のと違って葉が肉厚です。
フェイジョアという南米原産の珍しい果実も育てていて、沢山入っている。5cmほどの可愛い緑色の球形です。熟すと甘い香りがして果肉はねっとりと甘いけれど、半分に切って食べてみたら、まだ早いようだった。
 


大きな柚子が2個入っていたので、中身をスプーンで取り出して、‘柚子ゼリー’を作って、皮で‘柚子味噌’を作ろう!沢山ある種は、小瓶に入れて日本酒を注いで‘化粧水’にしよう!

2010年11月6日土曜日

樹木医

 川口市のグリーンセンターは、植物園、公園、動物園、プール、子供の乗る蒸気機関車、茶室、池の辺りには蛍、カワセミも住んでいる広大な施設です。季節の花が咲き、何時行っても楽しめる。
その中で、樹木医の和田正人氏の講座があったので出かけた。園内は遠足の子やママたちなどで、「今日は2000人入っています。」と言うことだった。菊花展もしている。
 お話は、今年3月10日の鶴ケ岡八幡宮の大イチョウの倒木の事例、市内の100年以上の大ケヤキの治療の話、木の15ポイントをチェックして、健康度を出すこと等と詳しくて難しい。
外へ出て、園内を里山に見立てて10項目を当たりながら話される。釣り竿で作った物で、高いところを指される。途中で市の緑地課の人がチェーンソーと草払い機の実演をされた。私は花壇のことばかり頭にあったが、これからは樹や町全体も見なければと思う。
質問は木に付く茸、害虫、枝を切る場所、時期、切り口の治療、木の周りの土、炭疽病、など皆んな真剣。
講座室に戻って 「森林の遷移」について話され、「武蔵野の雑木林をとりもどしたい!」と 仰有った。
講座が終わり外へでると、夕方5時の園内は人影もなく寒々しかった。

2010年11月2日火曜日

「織部の青」 廣崎龍哉句集


 廣崎氏の第二句集になる「織部の青」を戴いた。
十年前の還暦の頃に、第一句集を出されたので、あれから十年経ったのか!と感慨深い。重責の地位にも関わらず在職中は、果敢にトライアスロンに挑戦しておられた時期もあったが、「清貧の思想」 中野孝次著 を読み、俳句や短歌に興味を持たれたという言葉は大変刺激的だった。
 第一句集「大時計」の中の句 「夕焼けや東京駅の大時計」 から外で働く男性の哀歓を感じ、家の中でくるくる雑事に追われている私には別世界の事に感じられ驚きました。
 第二句集の中の句 「ペルシャの青織部の青や南風」 から、表題にしておられる。
多治見にある窯を訪ねて展示してあった陶器の青は、ペルシャのラスター彩を織部焼に甦らせたと知って詠まれたという。そのスケールの大きい思いに敬服しました。
一番好きな句は、父上のお葬式の折りの句で 
「一枝の桜を納め出棺す」 です。
 自分にも、他人にも厳しい人だと思うけれど、
 「ところてん妻の意見に逆らはず」という句があり、
お茶目な所もあるんだなあ!と楽しくなった。
 

2010年10月26日火曜日

ヘチマカボチャ (南瓜) ウリ科













  ご近所のSさんが「ヘチマカボチャを2個も頂いたので、1個助けて下さらない?」と 言って下さった。「初めて見ました。」と お礼を言った。長さが34cmもある。
近頃かぼちゃをよく食べるので嬉しいです。男の人は、甘くてホクホクしたのは、お芋みたいで苦手らしい。
「戦争中を思い出す!」とか言う。そこで最近は、チキンスープの素で煮ている。
原産地は南北アメリカ大陸で、ハロウィンが近いこの頃は、橙色の大きなカボチャが活躍してる事だろう。
 以前仕事の仲間だったYさんは、江戸崎町の出身で‘かぼちゃ’の自慢をしていた。京都の左京区鹿ケ谷にお嫁に行った幼馴染みは、‘日本料理向きの鹿ケ谷カボチャ’の自慢はしたことがない。
さて!どうやって食べようかな?

2010年10月22日金曜日

撃墜王 坂井三郎(1916~2000年)

 昨日は病院で、肺部腹部のCT(造影剤なし)検査を受けた。この検査の時は、いつも‘川の流れに仰向けに寝て、足の方から半円の橋を潜る’ ような気分になる。
この大きな病院の院長先生は、北海道出身で三兄弟で夫々の病院を持っておられる。お若いころには美空ひばりさんの家庭教師もしておられたらしい。

 検査を受ける時に時々思い出す。
大戦中に海軍のパイロットだった坂井三郎氏は84歳まで生きられた。
最期は厚木基地で米海軍の記念パーティの夕食会から帰って、体調不良の為に検査入院。
検査中、主治医に 「もう眠ってもいいかな?」と 言われて眠るように永遠の眠りにつかれたという話とその一生を想う。

 

2010年10月18日月曜日

秋から冬にかけての寄せ植え

 市の緑化センターで行われる講習会で、‘寄せ植え’を習った。寒さに強い草花を植えて、春までの日々を世話をしながら楽しもうと思って。
外環自動車道で右折する所を通り過ぎて、行ったり来たりして怖かったけれど、そんな憂鬱を忘れるほど楽しかった。
 直径35cmの鉢に、・ウインターコスモス ・ユリオプスデージー ・ガーデンシクラメン ・ジュリアン(西洋桜草) ・ノースポール ・アスター(エゾ菊) ・初雪カツラ ・パンジー ・金魚草 の9種類を寄せて植えた。
奇数の法則というのがあるらしい。
一つづつの草花について説明があり、長く咲かせ楽しむコツや翌年また咲かせるコツを教わった。
 終わってから、11月に花壇に300球のチューリップの球根を植える時に、その上にストックを植えたいのだがと 質問したら、「ストックは根が張るから止めたほうが方が良い!」と 教えて下さった。
 帰り道はスイスイ帰れたけれど、左折する所で又、もたついてしまった。 

2010年10月15日金曜日

ゼラチン (豚皮:カナダ産)

 身体の真皮・靱帯・腱・骨・軟骨を構成するコラーゲンタンパク質のひとつにゼラチンがある。体内でコラーゲンの合成には、VCがいるそうで、アミノ酸に分解されてから取り入れられる。コラーゲン入りの美容液を顔に塗っても吸収されることはない。
 ゼラチンを頂いてから‘胡麻豆腐’と‘牛乳のゼリー’をせっせと作っている。その口当たりの滑らかさは、ゼラチンの所為か、これまで作ってきたのに比べて格段の差がある。ツルンツルン!
この滑らかさが肌に乗り移ればなあ!
 四月に骨量と骨密度を測ったら、骨量は年相応だけれど、成人の67%にまで落ちている、骨密度は「レントゲンの影が薄い」と 言われた。
その日から処方された薬を飲んでいる。
先日薬を貰いに行ったら 「転ばないようにね!」と 言われてしまった。  頑張って‘骨美人’になりたい。

2010年10月13日水曜日

運河

 楽しみにしていた友人の素敵な新居に、お邪魔する日がやってきた。
有楽町線の豊洲のホームから上がる時に、エレベーターで時間がかかるなあ!と思ったら、地下鉄は‘晴海運河’の下を通っていた。
「嬉しいな!」と言いながら 歩いて行くと、‘スーパーマーケット’がある。「ちょっと覗く?」と 言うので、ドアーを開けて入ったら、天井一面が鏡で、モザイク模様の床は輝いていて、無人のピアノが弾かれていて驚いた。
 船着場には(株)IHIのクレーンが、記念に残されていた。クルーザーに乗って‘お台場’へ行く。ペットと自転車の料金は200円。レインボーブリッジをくぐる時に、知恵の輪のように丸くなってる所が可愛い!
お台場でクルーザーを降りて、‘ゆりかもめ’に乗って、出発点の豊洲へ戻り彼女の新居に行く。
 想像以上の豪華さに圧倒されて、質問好きの私も、さすがに大人しくしていた。
身体に良い美味しい食事とお嬢さんのワインセラーの白ワインをご馳走になって感激!
今日は早速お土産に頂いた‘ゼラチン(豚皮・カナダ産)’で豆乳を使った胡麻豆腐と牛乳のプリン(黒蜜かけ)を作って、余韻を楽しんでいる。

2010年10月10日日曜日

朝鮮通信使

 
郷里で法事があり、時間を見つけて、朝鮮通信使が立寄った瀬戸内海の島へ渡った。今は島と島を繋ぐ橋が掛かっているので、バスで行った。   小柳ルミ子さんが歌った「瀬戸の花嫁」の中では「岬まわるの小さな船が……島から島へと渡っていくのよ。」とあるように、あの頃は船だった。 朝鮮通信使の来日は、1375年足利義満による使者と国書に対しての、日本国王への返礼の使者から始まっている。 釜山から海路で瀬戸内海を通り大阪へ。江戸時代の陸路は大阪から日光まで行っている。「三の瀬の港には、江戸時代の石造りの雁木(港湾)が残っているよ!」と 言われたけれど、なんだか新しいもののような気がした。常夜灯があり、泳いで渡れそうな向かいの島との狭い海には、小さい渦潮が、あちこちに渦を巻いていた。

旅果ての狭き海路や秋の潮   つるばみ

2010年10月7日木曜日

アメンボ (カメムシ目)

 名古屋の町を歩いていて、‘カエルの絵のマンホール’を見つけた。
帰ってから早速 susumu先生に、お話したら  「おや?名古屋のはアメンボの筈だけれど…いつのまに?」と おっしゃった。プリントアウトして視ていただくと 「アメンボですよ!アメンボのいるきれいな水をという願いで作られた蓋です。」と 教えて下さった。
アメンボは6本の脚全体に細かい毛が密集し、水の表面張力を利用して4本で水面に立って移動する。
水が汚れて表面張力が弱まると、アメンボは浮くことが出来なくて、溺れ死んでしまうらしい。
 その他に消火栓・空気弁(水道・工業用水)・上水の仕切弁・雨水・汚水・交通局のがあった。
形は丸や四角や六角形といろいろあった。
写真の消火栓の前にある「丸八」は名古屋市章」です。

2010年10月6日水曜日

愛知県陶磁資料館

 瀬戸市の丘陵地帯にあり、陶磁器の歴史と美術と産業に関する品々が展示してある常設や、企画展もある。
南館は子供達に向けて縄文時代の焼物から始まっていて、現代の工業品まで分かりやすくなっていた。
広い敷地なので遠足のつもりで楽しい。
本館はさすがに凄いものが、行けども行けども展示してあって迷子になりそうだ。資料館といわれるだけあるなあ!
前3500年頃の中国の大鉢(原始青磁豆)は、薄くてバランスの良いもので驚いた。福建省から出た明時代の素晴らしい素三彩(緑・黄・紫)の交趾焼がいくつもあった。
勿論、名古屋城内の窯の御深井焼もある。
世界中の焼き物が年代を追って展示してある。
古窯館・陶芸館・茶室・復元古窯・こま犬の館が広大な芝生にあり、陶芸作家のオブジェもあちこちに配置してある。
 併設のレストランでお昼を食べて、幼い子連れなので早めに切り上げて帰った。
 4年前に、博多唐人町の古美術店で、明の交趾焼の香合(径8cm)を‘大牡丹文合子’と言われて、悩みながら買ったことを思い出して撮ってみた。

2010年10月5日火曜日

Linimo

 平成17年に開業したリニア・モーターカーが名古屋市藤が丘から 豊田市八草までの8.9kmを走っている。   ‘愛知陶磁資料館’へ行くために乗った。沿線には大学がいくつもあって、乗客は若い人ばかりだった。ピカピカの車体、新しい町は丘陵を切り拓いて作られている。  まだブルドーザーやダンプカーが走っていた。愛・地球博記念公園駅があり、長久手古戦場駅もある。信長亡き後、織田信雄と家康対秀吉の戦いは、この辺りであったのかしら?駅から歩いて20分の色金山に記念公園があり、家康が陣取って腰掛けた岩もあるらしい。       ‘陶磁資料館駅’から‘資料館’までの600mには人っ子一人いなくて、トンボがたくさん飛んでいたので、道路の真ん中を追いかけ回しながら行った。写真にある枝豆のような草が服にくっ付いて困った。広々とした良い施設です。

発情

 暫らく家を空けていたので、預けていた‘セキセイインコ’を小鳥屋さんへ引き取りに行った。
「この鳥は発情してるよ!」 「…… どういう意味ですか?」と 聞いた。「籠の底を見て!雌は卵を抱えると巣から出ないんで、雄が餌を運ぶんだ。それで口に入れた餌を吐いて散らかして、塩土も止まり木に塗り付けてるよ。掃除が大変だったよ!」と言われた。
「どうしたら良いでしょう?」 「もっと大きな籠にして、巣を入れて、雌を入れてやるんだね!」
 六月に10日間預けた時には、凄くお喋りになって帰ってきた。きっと沢山の小鳥の中で皆とお喋りしたんだろう。
この度は、隣の籠に綺麗な羽根の、可愛いい甘い声で啼く娘がいたのだろう。
本能とはいえ、未だいない雌や子に餌を運ぶなんて!と 驚くと同時に、痛ましいと思った。

2010年9月25日土曜日

日本銀行本店

 日本橋三越から少し歩いたら、貨幣博物館が ある。‘物品貨幣’から始まり‘紙幣’まで、世界の様々な通貨が展示してあって興味深かった。説明して下さる方も上品だった。全て見終わってから、もう一度、江戸時代の一文銭を100枚、300枚と繋いだ銭緡(ぜにさし)を見に戻った。1689年に深川を発って、みちのくの旅に出た芭蕉翁と曾良は細かい払いは、こんな形で路銀を用意したのではないかなあ!「奥の細道」の中に「痩骨の肩に掛かれる物、まず苦しむ。」とあり、いろいろ荷物が重かったろうと想像した。博物館を出て道を渡ると、日本銀行本店がある。全ての荷物をロッカーに預ける。それでも、金属探知機がピー!と鳴る人がいた。やはり明治29年に設置された地下金庫が興味深い。もし強盗が入ったら、近くの日本橋川の水を入れて、お札を水浸しにして、持ち出し出来ないようにするはずだったらしい。現在殆んどの業務は新館に移っている。おみやげは小判のストラップ・日比谷高校の同窓会館食堂の割り箸・細かく裁断されたお札の紙屑です。


2010年9月24日金曜日

都立日比谷高校

 今日はご近所の方々15名とY氏の引率で、日本銀行本店と貨幣博物館見学に出掛けた。
貨幣博物館の予約時間は13:50。本店見学の予約時間は14:50なので、お昼は都立日比谷高校に隣接する同窓会館星陵会館の4階シーボニアで頂いた。
鰹のたたき・穴子のフリット・ビーフステーキ・タコのサラダ・牛タン煮込み・野菜料理の数々のヴァイキング・フルーツ・ティラミス・コーヒー・赤白ワイン飲み放題。

 50年以上も前、瀬戸内海を見下ろす町の高校生だった頃、授業が休講になったので、皆でワイワイお喋りしていた時、隣の教室から先生が入って来られた。
「休講になって、喜んで騒いどるんか!嘆かわしいのお!この前、東京の日比谷高校へ研修に行ったが、皆な真剣ぞ!始業時前から席に着いて勉強しとったぞ!」と 言いおいて、教室を出て行かれた事を思い出した。
レストランの窓から高校のグランドを見ながら、「此処が‘あの日比谷高校’か!」と  思った。

2010年9月23日木曜日

ローズマリー (シソ科)

 暑く長い夏の間もグングン葉を伸ばした‘ローズマリー’の枝を切った。
今日は一日中雨なので、切った枝で小さなブーケを30個作った。何方か香りを好きな方に持ち返ってもらおうと玄関のフロアーに置いた。
 地中海沿岸原産で、香辛料、抽出した液は消臭、育毛、記憶力改善、老化した肌に良い。入浴剤にしても良い。

 昔、‘ローズマリーの赤ちゃん’という怖い映画を観て、二度とロマン・ポランスキー監督の映画は観ない!と強く思ったけれど、‘戦場のピアニスト’には心が震えた。

アメリカデイゴ(海紅豆) (マメ科)

 横浜うかい亭の立派な門を入ると、庭の噴水の側にアメリカデイゴの大木があった。深紅の花が咲き、芝の上に点々と落ちていた。噴水に浮かんでいるのを拾い上げて、席のナフキンの上に飾った。此処は鉄板焼きのお店です
オランダの貿易商の迎賓館を移築し、部屋の木の部分は金沢郊外の庄屋屋敷の骨組みを使ってあり、贅沢なものであった。欅の梁や柱や格子戸の見事さに目を瞠った。
鳥取県と兵庫県の境の黒毛和牛は美味しかったです。