2009年12月29日火曜日

ハコベ(ハコベラ)・ナデシコ科

 インコは、ハコベが大好きなので、中庭花壇のパンジーの間に茂っているのを取りに行った。私は知らなかったけれど、子供達のママは、子供の頃、インコにあげる為にハコベを摘んでいたらしく 「蕾を大好きなのよ!」と言っている。
越年草で春の七草です。葉を見ていたら、‘小叶苦丁’の葉にそっくりだ。ハコベは、利尿作用・浄血作用があるらしい。

2009年12月26日土曜日

ハローキティー

 新宿から30分の多摩センター駅から、のんびり5分歩いて‘サンリオピューロランド’へ初めて遊びに行った。
建物正面が見えてくると、「ワーイ!遊ぼう!」という気分になって、皆で駆け出した。ピューロランドは屋内のテーマパークなので、雨が降っても大丈夫です。
 キティーホワイトちゃんは、1974年11月1日生まれで双子の白猫。ママが見分ける為に、右と左に赤いリボンをつけて貰っている。家族やお友達が沢山いて、ボーイフレンドのダニエル・スター君もいて、ショーやパレードで、おもちゃ箱をひっくり返したよう。係のお姉さん達もお客さん達もとても可愛い。妖精の森を借り切って、結婚式もできる。
 このキャラクターグッズは、世界70カ国に輸出されていて、日本国内では、ありとあらゆる物に使われているけれど、酒と煙草には使われていない(例外ワイン)。
 最初に、このデザインを考えた女性が、「不思議な国のアリス」に出てくるアリスが飼っていた猫の名前‘キティー’から付けたそうで、メルヘンの世界だなあ!と思った。

2009年12月24日木曜日

搗き餅

 毎年恒例の餅搗きが、第一日曜日に終わった。
各戸に配る餅は、役員の方々が会議室でパックして下さる。中庭で、もち米を蒸し上げて、何臼かを皆で搗く。以前は子供達の参加も多くて、「搗いてみるか?」と交代でちょっと搗いてみたりした。「子供達が出てこないねえ!」と皆で話した。
‘晴れの日’に餅は欠かせない。鏡餅・雛祭りの菱餅・桜餅・柏餅・誕生餅…。
 45年前、東京へ来て、初めて‘のし餅’を買う時に、「これをどうすればいいんだろう?」 と思った頃が懐かしい。生まれてから、ずーっと丸餅で、茹でて雑煮に入れていたから…。  あの頃の餅は、よく伸びた。
 正月には、‘花びら餅’が欠かせない。平安時代には宮中の‘おせち料理’の一つだったらしいけれど、今は、美しい生菓子です。‘初釜’の時の菓子としてかかせない。白味噌餡・甘煮の細い牛蒡を求皮で包んである。ほんのり桃色の餡が透けて見えて、それは美しい!
 餅搗きの日には、写真を撮ろうと思っていたのに、釜を焚いたり、餅つきを見たり、‘からみ餅’を食べたり、皆とおしゃべりしていたら、臼も杵もきれいに洗い上げられていた。

2009年12月23日水曜日

寅年

 デパートへ出かけたついでに、来年の寅年の‘置物’を探した。どれも気に入らない。にこやかに笑って、右手で招いているのもあった。
諦めて食器売り場をブラブラしていたら、京焼の清水六兵衛窯の‘寅の箸置き’を見つけた。箸置きにするには大きくて、置物には小さいけれど気に入ったのがあって良かった。
今年の‘丑’は仕舞って、これを飾ろう!フィレンツェの文房具屋さんで買った‘虎’も飾ろうと思う。
 殷商時代の頃から、人々は十干・十二支を組み合わせて、様々に使ってきたらしいけれど、日本・朝鮮半島・ベトナム・ロシアに伝わり、今も生きている。干支で相性をみていたら、我が家は、「卯(木)は丑(土)を剋す」という‘相剋’すなわち‘凶’だったので、なるほど!と反省した。
 芭蕉翁は、甲子の年(1684年)に、故郷伊賀上野へ母の墓参へ行き、関西を尋ねて、「甲子(きのえね)吟行」を書き、後に「野ざらし紀行」としている。江戸を発つ時に、「野ざらしを心に風のしむ身かな」 と詠んでおられる。今年も押し詰まって、‘野ざらし(野に捨てられた 骸骨)’ という言葉が身に沁みた。  

2009年12月22日火曜日

黒梅酢

 梅雨の頃、青梅を‘黒酢’と‘黒砂糖’で漬け込んだ。黒酢の値段の幅が大きいのに、びっくりした。中間の値段のものにして、黒砂糖は砕いてあるのを使った。秋頃から、黒いジュースを湯で割って飲んでいる。
真っ黒になっていた梅の実をグラニュー糖で柔らかく煮て、お正月の箸休めに!真っ黒い実を見て、皆なギョッと驚くだろう。
一部は、ジャムにしたら、黒い梅ジャムが出来上がった。今の所、私しか食べない。身体が綺麗になるのになあ…!
黒梅酢は、‘オリーブ油’と‘バルサミコ酢’の空き壜に入れた。

2009年12月18日金曜日

左手

 3年前から、ご近所の皆さまから、パソコンを教わっている。何度も何度も聞きながら、行ったり来たりしながら、苦しくも楽しい。
チンプンカンプンから始まったから、左手でマウスを操作しながら、右手で書き留めて帰る。帰ってから復習。 何時の間にか、左手のほうが使い易くなってきて…。時々「おっ!southpaw ですか?」って言われるけれど、いいえ ‘right handed’ なんですヨ。
朝食後、歯を磨きながら、左手で洗面所の鏡を磨くけれど、同時に、左右別々の動作をするのは難しい。脳トレ!と思いながら鏡を磨く。
 林檎を齧りながら、パソコンのゲームを左手で遊ぶのは楽しい。
これって、何かのリハビリになるのかなあ?

2009年12月16日水曜日

ことしのぼたんは

 近頃、子供達が手をつないで、唄いながら遊ぶ様子を見かけない。
「今年の牡丹は良いぼたん、お耳をからげてすっぽんぽん、もひとつおまけにすっぽんぽん…」と延々と続く。「誰かさんの後ろにヘビがいる…」 「私?」「そう!」 と言うと、鬼が追いかけて捕まえる。こんな遊びが好きだった。言葉を好きなように、変えるのが面白かった。思い出して唄っていたら‘今年の葉牡丹’になった。
  葉牡丹は、低温にあうと葉が美しく発色するので冬の花壇に映える。 ヨーロッパ西南部の原産だけれど日本で改良が進み‘古典園芸植物’の一つである。
 3月に、芯が50cmくらいも伸びてきて、黄色い4弁の花が咲く。「菜の花ですか?」って、よく聞かれる。  葉牡丹を植えると、お正月も近いなあ!と思う。

  葉牡丹や今年の憂ひ巻きこみて   つるばみ

2009年12月11日金曜日

障子張る

 晩秋の候になると「障子を貼らなくては!」と思いながらも、あれやこれやで12月に突入する。 昨日やっと貼ることができた。
 障子紙を買いに行くと、毎年様々な紙が出ている。「楮(こうぞ)・一年経っても変わらぬ強さと優しい白さ」というのを選んだ。
楮100%の紙の‘白色度数値の変化’と‘一年後の破裂度数値の変化’が表示してある。
 障子紙を剥がして、桟だけになった障子は明るく、母のことなどを思い出した。姉妹で手伝っていたのやら、邪魔していたのやら……楽しかったなあ!働き者の母の割烹着から出た腕は、冬はいつも赤かった。     昔の母親達は、くるくると、よく働いていた。

      割烹着の白き母なり障子張る     つるばみ

2009年12月7日月曜日

「小叶苦丁」

 食品のストック棚を整理していたら、頂き物の中国茶の小さな缶が出てきた。すっかり忘れていた。
どんな中国茶なんだろう?と調べたら、海南島産で、苦い小さな葉っぱの茶らしい。中国語は判らないけれど、血糖値を下げて、高脂血症を改善し、前立腺炎防止になるらしい。 糸くずのような細い葉っぱである。
飲んでみると苦くて、後に甘みが少し残った。淡い黄色で 白茶に近い。湯で解けたら1cmほどの可愛いらしい葉っぱである。
 その昔、宮廷への献上茶であったらしい。セッセと飲むことにした。

2009年12月5日土曜日

カレイ(鰈)の煮付け

 スーパーの魚売り場で、「何にしようかなあ!」 と見ていると、黒くヌメヌメと新鮮そうなカレイがあった。小さいので、から揚げにしようと思ったけれど、小振りながら太っていたので煮付けにした。がやっぱり小さく縮んでしまった。4尾一皿で、生きが良いのに、安かった訳が判った。
白いホクホクした身が美味しかったからなのか、小さかったからなのか、お代わりされてしまった。
 魚を盛り付ける時には、頭を、向かって左に置くけれど、カレイは頭を右方へ置くように教わった。両目が体の右側に寄って付いている所為なのか?何故だろう?

2009年12月2日水曜日

大和 (戦艦)

 呉海軍工廠で建造された‘大和’の1/10の模型(全長26m)が展示してある‘ヤマトミュージアム’へ出かけた。これで3度目だ。いつも空いた時間を利用して寄るので、中途半端で帰ってしまう。今回も2時間しかなかったけれど寄ってみた。
 小さな湾に向かって灰が峰(737m)が、控えているので、気候が穏やか町です。半農半漁の村に、1886年(明治19年) 鎮守府をおいて軍港になった。戦前、山の手に建てられる家々の南側は壁に、東西に窓を付けるようにと決められ、軍港を見下ろせないようになっていた。昭和初年に建てられた中島の家もそうなっている。柱や欄間は立派だけれど、やはり‘南からの陽差し’は大切だと思う。
 ‘大和’の進水は1940年8月、沈没は1945年4月です。進水式は秘密裡に行われたそうだ。
 雨の日曜日にも拘らず、大勢の見学者が入っている。11月の企画展は、「平和祈念展・戦争体験の記憶」だった。12月12日の講演会は、「正岡子規と呉 (従軍記者時代)」となっていた。呉に住んでいるならば、参加するのだけれど…!と思った。‘松山市立子規記念博物館’の館長が、お話をなさる。 ‘大和’の正面から撮ろうとしたが、記念撮影の写真屋さんが、お客さんを次々と撮っているし、その周辺は大勢の人が撮っているし、逆光なので、後ろから写した。 

2009年11月30日月曜日

トヨタテクノミュージアム


 ‘トヨタテクノミュージアム’へ見学に行った。機械の恩恵に浴しているのに、そっち方面は、難しくて気のりしないけれど、「きっと レストランのランチは、美味しくて安いよ!」と言いながら出かけた。

 明治44年に豊田佐吉翁が、最初の実験工場を建てられた場所です。大正時代の赤レンガ造りの工場を、そのまま活用して、天井は高く、近代的にガラスも多用して落ち着いた建物で、板張りの床も多く残されている。繊維機械館には、紡機や織機の変遷が判るように配置されて、専門家が説明しておられる。緯糸(よこいと)の杼(ひ)の動きを改良していった様子がよく判った。出口には、コンピューターが指示を出し名画の布を織っていた。

 ‘金属加工技術’‘自動車館’‘材料試験室’‘蒸気機関車’‘ロボット’‘試作工場’とモノづくりの現場を若者、子供、外国人も、熱心にじっと見学している。日本語、英語、中国語の解説がいたるところにあった。   避けていないで来て良かった。

 このミュージアムの隣には、洋食器の‘ノリタケの森’があり、このあたりの町名は則武新町。‘ノリタケ’は‘則武’だったのか!と 謎解きをした気分になった。

2009年11月29日日曜日

犬山モンキーパーク




 世界の猿を集めているという‘犬山モンキーパーク’へ行ってみたいと思っていたので、願いが叶って嬉しい。子供たちも、動物園の年間パスポートを持っている程の動物園好きだ。
‘モンキーパーク’には、‘モンパ君’とガールフレンドの‘モンピーちゃん’もいる。お散歩していたモンピーちゃんと一緒に写真も撮った。
 広い敷地内には、ゆったりと猿たちが遊んでいる。テナガザルの檻は、高さ5m・長さ9m・巨大ウンテイは15mの高さで、ぶら下がったり、飛び交ったりしている。
 周囲は水掘と木道の小島に‘ボリビアリスザル’が沢山遊んでいた。島に渡って、チョロチョロしている所を撮ったけれど、うまく撮れなかった。乾パンを食べていたので、係の青年に 「どんぐりも食べるんですか?」 と聞いてみた。「いいえ食べません。固くて苦いから!」と云うことだった。
‘ワオキツネザル’も檻がなくて、沢山遊んでいる。
 中南米館は、25℃で湿度も熱帯ジャングルに近く、夜行性の猿を、昼夜を逆転させた照明で、ゴソゴソ動いている様子を見せている。
物凄い数の‘マントヒヒ’を見ながら、「やっぱり気味悪いなあ!」と思った。ここで新型インフルエンザが流行ったら、大変だろう!と心配になってきた。
 開園50周年の行事もあり、遊園地や見晴らしの良い場所に‘バラ園’もあって充実していた。 

2009年11月28日土曜日

博物館 明治村




 明治村に入村すると、すぐに‘レトロなバス’に乗って、建物などの説明を聞きながら、村の奥まで行った。
お腹が空いていたので‘洋食屋浪漫亭’で‘明治のカレー・松本楼のオムハヤシ・漱石の好きだったアイスクリン’で 腹ごしらえをして、今度は蒸気機関車に乗った。単線なので、方向転換を二人の人が行っている。蒸気が出るのが、とっても新鮮で、皆な喜んでいる。
監獄もあり、獄舎に入ることが出来るので、修学旅行生もキャッキャッと喜んでいる。
 素敵な庭の向こうに、旧帝国ホテルの中央玄関が見える。手前に‘アツバキミガヨラン(ユリ科ユッカ属)の見事な花房が咲いていた。あまりに大きいので、よく倒れるらしいが、倒れた所から、根を出して殖えていく逞しい植物です。
 今度は、京都市電に乗り終点の‘品川燈台’や‘汐留のレンガで作った迷路’で遊んだ。
村が沈んでいるという大きな‘入鹿池’には、ワカサギ釣りのボートが沢山出ている。とても一日では見尽くせないので、「又、来たいなあ!」と 思った。  穏やかな天気の一日だった。

犬山城

 犬山温泉に浸かりながら、ライトアップされた‘国宝犬山城’を眺めた。   「明日はあの城へ登ろう!」と言うと、4歳児が、「登ろう!」と、小さな拳を突き上げた。
 暦の上では小雪も過ぎたのに暖かい。宿 を出て木曽川沿いに、城の方へ歩いていると、‘首をすっきり伸ばした黒鳥’が 優雅に浮かんでいて、20名くらいのカメラマンの望遠レンズがずらりと並んでいた。
 戦国時代、天文6年(1537年)に建てられて昭和10年に国宝に指定されたそうだ。平成16年まで個人の所有だったと書いてあって驚いた。
国宝四城(犬山城・姫路城・松本城・彦根城)の中で最古の城らしく、石垣は‘野面積み(のづらづみ)’だ。階段は険しいと聞いていたけれど、私には‘彦根城’の方がつらいなと思える。
天守閣から眺めていると、木曽川を、材木や米や物資を積んだ帆掛け舟や筏がゆきかい、賑わったと思えぬほど静かな町だった。
 城を出て、だらだら下っていると、‘犬山城をバックに鵜飼いがデザインされたマンホール’があった。
 

2009年11月19日木曜日

高尾山 (599m)

 高尾山へ紅葉と落ち葉を見に行った。
前日の散々降りの中で 「明日は必ず晴れます!」 と引率のY氏が言い切って下さったので、きれいに晴れ上がった。総勢10名で出かけた。
 ケーブルカー(135人乗り)で上がって行き、トンネルの‘洗心洞’を抜け、31度18分の急勾配を上がって、‘有喜洞‘を抜けて到着。
昭和2年営業開始の折りに彫られた文字は、苔に埋もれて読めなかったので、駅の人に尋ねたら教えて下さった。「戦中戦後は、6年間停まったのですよ!」 と言われた。
女坂を登り、薬王院を抜けて山頂へ着いて、お弁当を食べた。
 遥かな山々も町もよく見える。鮮やかな色取り取りの落ち葉の中に、お面になりそうな灰色の‘朴の木’の葉っぱも混じっている。
 帰りには、‘うかい鳥山’の敷地の中を見せて頂いて、写真を沢山撮った。

2009年11月12日木曜日

大地の恵み


 中学生の時の友人から、家庭菜園の取れたての野菜を送って貰った。ダンボールを開けると、有機農法で育てた数々の野菜が入っていた。手間を掛けた品々を前に胸が熱くなった。
 紅色の根っこのほうれん草・博多の雑煮に欠かせない‘かつお菜’・花柚・甘柿・艶々のナス・太ったさつまいも・美しく紅葉した柿の葉が数枚。ヤーコンとフェイジョアの食べ方のレシピ11枚。
 アンデスの秘境 ビルカバンバ 村で食べられているという‘ヤーコン’。初めて出会う‘フェイジョア’がある。
すぐにヤーコンを水洗いして、皮のまま齧った。瑞々しい優しい味がした。サイコロに切ってメイプルシロップをかけると‘水菓子’。又、千切りして胡麻油で炒り、オイスターソースで味を付けて、胡椒と摺り胡麻をまぶしたら 「これいけるよ!」と言った。明日は、かき揚げにして、ハーブ塩をかけてみよう。
5cm程の‘フェイジョア’は深い緑と可愛い形。マダカスカル島のアイアイの様に、両手指で持って齧った。残りの200gは皮つきのまま輪切りにして、同量のリンゴ酢と氷砂糖に漬けた。柿の葉は、水分を飛ばしてパウチして栞にしよう。秋の恵みをこんなに重く受け止めたのは久しい。

2009年11月8日日曜日

Octopus (八達通)

 10月のカレンダーの‘October’ のスペルを眺めていて ‘Octopus’ を思い出した。香港のICカードの名前で、バス・電車・フェリー・地下鉄・ケーブルカー・九龍鉄路に乗れる。
数年前、ご近所のW氏の引率で、香港へ八名が4泊5日の旅をした。
ホテルに着くと、早速、地下鉄の駅へ行き、パスポートを見せて‘Octopus’ を購入した。65歳以上は、観光客も半額近くになると聞いて、便利だと皆で喜んだ。
65歳以上を 「長者」 と表示してあって面映ゆかった。
 1997年、ソニーが開発した‘Felica’ を採用して、香港は世界で始めてICカードを使い始めた。旅の終りにカードを返して、未使用の残金を受け取った時も嬉しかったなあ!
 香港の商店には、必ず「毘沙門天」の立像が店頭にあった。大きな宝石店には、見上げるような立派な像が、間口1間の細長い果物店には、それなりの像が、茶葉店にも高級そうな彫り物が、洒落たショッピングモールにも、花々に囲まれてあった。
北方を守る神として、土産物店で高さ10cmのものを求めた。今も玄関で、我が家を守ってくれている。英会話クラブの方々と行ったのに、私は一度も、英会話をしなかった事も思い出した。

2009年11月4日水曜日

イヌタデ(犬蓼) タデ科

 散歩をしている時、排水溝から、陽を受けようとして逞しく背丈を伸ばしている‘赤まんま’を見つけた。今日の誕生日の花である。子供の頃には赤飯に見立てて‘ままごと遊び’をした。
 赤い粒々は、5枚の花びらが閉じている状態です。集まって花房を作っている。
以前栃木県の「藍工房」を尋ねた折りに、庭に咲いている‘藍の花’を見てそっくりなので、ずーっと同じ植物だと思い込んでいた。葉も似ているし。
花言葉は 「貴方のお役にたちたい」 なんて健気なんだろう!

      「赤のまま葉っぱの皿が茣蓙の上」    つるばみ

2009年11月1日日曜日

「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」

  カレンダーも後2枚を残すのみとなった。今年のカレンダーは、「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」の暦頁のものを楽しんだ。
 中世フランスの王族べりー公ジャン1世(1340~1416)が作らせた豪華なもので、今はフランスの国のものである。日付に‘聖アンドレ’とか‘聖女マルガリタ’と書いてある。その日に産まれた子の洗礼名となるらしい。私の誕生日には‘万聖節’とあった。全ての聖人と殉教者の日で収穫感謝祭の日です。前夜は精霊や魔女の現れる‘ハロウイン’です。
11月の上の星座の描かれた部分に、さそり座と射手座が描かれている。下3分の2には、農民が棒を樫の木に投げて、どんぐりを落とし豚が食べている。番犬が見張っている。
毎月の絵には、王族の豪華な衣装・いくつもの城・美しい礼拝堂が描かれていて、その手前には、重税に喘ぐ貧しい農民達が働く農園の様子が、細かく描かれている。解説がとても興味深かった。
 来年のカレンダーは、どんなのにしようかなあ!
 

2009年10月26日月曜日

ガマズミ(炗迷) (スイカズラ科)

 「青森萬40茶(500ml150円)」が発売されると新聞で読んだ。県内40市町村の特産品を使っているそうだ。
‘16茶’が発売された時に、16種類もの品々を煮出しているのか!と驚いたが、青森県のものは、40種類も入っているのか!と 又 驚いている。
その中に‘ガマズミ’や‘ふのり’も入っているとか。どんな味なのだろうか?
 一昨日から二日間、栃木県の黒羽町へ出かけた。
黒羽町は元禄二年(1689年)、松尾芭蕉(1644~1694)が「奥の細道」への旅の途中に、14日間も逗留した場所です。当時、黒羽藩の城代家老の桃雪がもてなしている。若い頃の桃雪は、父親が江戸詰めの折りに、弟(翆桃)と共に芭蕉に師事していたと考えられている。
大田原市黒羽町へ故郷の幼馴染の句友9名で出かけた。那須野が原は稲刈りも終り、紅葉が始まり、那珂川の落ち鮎の塩焼きは、美味しかった。寺の境内で ‘真っ赤に熟れたガマズミの実’を見た。酒に漬けたり、漬物、染料に使ったりするそうだ。この時期、木々の実は赤く熟れていて ピラカンサ・ナナカマド・姫柿・サルトリイバラ・南天・真弓の実が、鳥達に食べられるのを待っている。

 

2009年10月20日火曜日

幸せの黄色いインコ

 「地図のない道」 須賀敦子(1929~’98)著 を読んでいた昼下がり、「ピーイ・ピーイ」と鋭い鳴き声がした。ベランダの手摺りに黄色いインコが止まっている。そーっと近づいて、右の人差し指を出したら、首をかしげながら、指に移ってきた。後ずさりしてそっと窓をしめ、ベットに置いたらシーツを啄ばみ始めた。ザルを被せて、お猪口に水を入れて与えると、よく飲んでいる。
「セキセイインコを預かっています。」という張り紙をして、交番に届けて餌を買ってきた。「こんな狭い所だと死んじゃうぞ!」と云うので、又、鳥屋さんへ鳥篭を買いに走った。
 セキセイインコはオーストラリア原産で、草食性で植物の種子を摂る。まだ、足も嘴もピンク色をしていて若いようだ。誰も引き取りに来ない。もう1ヶ月も、我が家に居る。
 毎日10時と3時に小松菜を食べさせていると、幸せがやってくる気配を感じる。

2009年10月16日金曜日

牡蠣筏

 牡蠣筏は、竹を格子状に編んで作られていて、瀬戸内海のあちこちに浮かんでいる。昔の‘浮き’はドラム缶だったけれど、今は発砲スチロール製と聞いた。その下に、‘種牡蠣’をつけたホタテ貝の貝殻が針金に結ばれて、沢山ぶら下がり養殖している。筏は潮に流されないように、太いワイヤーロープで繋がれている。
 走る列車の窓から海を撮った。3年前、初めて小さなデジカメを持った時に、「走っている時には、レンズを窓に押し当てて撮る。」と教わった。
 結婚する前、夏には会社帰りに友達と、週2~3回は泳ぎに行った。会社の前からバスに乗ったまま、町中を通り過ぎて海岸まで行く。‘会社の海の家’に荷物を置いて、沖の‘牡蠣筏’まで競争する。筏の上で一休みして、次ぎの筏へと泳いだ。
どこまでも泳いで行けそうだったあの頃。夕陽は小さな波を金色に輝かせながら沈んで行く。暗くなる前に家に帰らなければいけないから、井戸水で塩を流して、大急ぎでバスで家路につく。
 あの頃は、皆と他愛のない事で、よく笑い転げていた。「箸が転げても可笑しい年頃じゃねえ!」 と笑われていた。

2009年10月15日木曜日

ハナユ(花柚) (ミカン科)

 馬の背のような丘から瀬戸内海の港を見下ろす。ここに先祖の墓がある。 掃除をし、線香を焚き、手を合わせると、「そのうち此処が棲家となるのだなあ!」 と思えてきて親しい気持ちになった。お墓の横に植わっている‘ハナユ’が、今年も沢山の実をつけていた。10月も半ばになると黄色くなっているのもある。実は柚子より二回りも小さく、酸っぱくて香りは淡い。徳島の酢橘・大分のカボス・福岡のキズ・和歌山のジャバラも似た種である。帰り道、カラタチ(ミカン科)の実も沢山生っていた。北原白秋が 「まろいまろい金のたまだよ」 と詠っているとおりだ。
白い細かい産毛に覆われていて、一層丸く感じられた。

  「海見ゆる丘や今年も花柚もぐ」     つるばみ

2009年10月14日水曜日

子供獅子


 あちこちで秋祭りが行われている。15日は、千種区の城山八幡宮秋の例大祭で、11日は「子供獅子総参拝」があるというので、付いてまわった。
 八幡宮は織田信秀(信長の父)・信行公の末森城址にある。
町内の子供達が、次々と‘獅子宿’の前に集まり、五連のみたらし団子・菓子の袋・乳酸飲料・親には抹茶が振る舞われる。70名くらいいるので驚いた。列の最後尾を守っていた方が、「半被は85枚貸し出したのだけれど、午後の参拝に来る子もいるから。」と言われた。少子化と言われているのに凄いなあ…。
そうこうしているうちに、別の町の子達が来たので出発。小さな獅子頭を冠る子・小さな太鼓・細い拍子木を鳴らしながら歩く。次ぎの宿でも、同じように振る舞われる。町内の役員さん達は忙しそうだ。奥では、おにぎりも握っていた。毎年楽しみだろうなあ!と思った。
「二礼二拍子一礼」も教わる。小高い山へ上がって、御祓いを受け、おみくじを引いて、おもちゃを貰う。
    例大祭の日には、4000個の餅を撒くそうだ。

2009年10月6日火曜日

イワナ (岩魚)

  「夏休みをとって、北海道へ`岩魚’釣りに行ってきた!」という便りを貰った。「美唄町の自然の家にビバークして、富良野金山湖の奥地へ入り、ポントナシベツ川の源流で釣った!」と書いてあった。初めて見る丸い点々模様の岩魚!こんなに沢山釣れて、少年のように喜んでいる様子が目に浮かんだ。「自然の家で、燻製にしたり、骨酒用に焼干した。」 と。   岩魚の骨酒って?
2年前の6月、旭岳の麓のログハウスに泊まった折りに、山のように積まれた‘薪’を美しいと思った。御主人が「電気・ガス・石油より、薪が大切!」と言っていたっけ!
囲炉裏の側で飲む`岩魚の骨酒’は、人生の一山も二山も越えた男達には、沁みるだろうなあ。 若い男性は、‘草食系男子’なんて言われないで欲しい。そして ‘古代からの狩りをする本能’を心の中に取り戻して欲しい。

2009年10月3日土曜日

クランベリー (ツツジ科) 和名 つるこけもも



花壇の植栽の日に、花苗を届けてくれた店から ‘クランベリーの苗’を戴いた。「水を切らさないで。蔓を挿し木すると増えますよ!」と言われた。
 育て方を調べていたら、水を切らさずに酸性土で、夏を涼しく過させる。ピンクの花が咲き、実は徐々に深紅になる。
 収穫が面白い。「高さ15cmくらいの木が、冠るほど畑に水を張り、揺すって、実が水面に浮かんだところを機械で掬い取る。」とあった。水は春まで抜かずに、越冬させるそうだ。北半球の寒冷地帯で栽培されている。
「北海道を旅した時に、沼地に点々と真っ赤な‘つるこけもも’の実を見たことがある。」 とSさんが話していた。
 「ナンタケット島のクランベリーの収穫」 イーストマン・ジョンソン(1824~1906)の絵を、見ていて思い出した。
今年5月に米東海岸へ旅行するつもりだったが、身体の具合が悪くて行けなかった。そのパンフレットには、「ナンタケット島を訪れて‘素晴らしいバスケット’も、お買い求め頂けます。」 と書いてあった。一個が 5~65万円もするんだ!と 驚いたっけ! 世界中のお金持ちの女性が欲しがる‘バスケット’も、その昔は、クランベリーを摘んで入れたり、生活の中で使われていたのだろうなア!と思った。

2009年9月30日水曜日

収穫


 九月の‘中庭花壇の日’には、八名で、コスモス(50苗)・カランコエ(25苗)・ナデシコ(25苗)を植えつけた。最後に‘葡萄’を収穫したが、皮は固く、酸っぱく、渋かった。「でも、野生の葡萄の魅力があるねえ」と自画自賛!きれいな皿にのせると絵になる。写生するのも良いなあ。 数日間、眺めて、砂糖で煮て、ジュースを作った。葡萄を花壇へ降ろしたKさんと、仲間のSさんと三人で乾杯! 部屋中に葡萄の香りが満ちて満足しました。

2009年9月27日日曜日

酔芙蓉 (アオイ科フヨウ属)


 酔芙蓉の咲いているところに、初めて出会った。朝咲いた幾重にも重なった白い花びらは、やがて桃色に変わり始め、夕方紅くな って、丸く縮んで落ちる一日花 。 佐倉のDIC(株)総合研究所のある9万坪の敷地に、川村記念美術館がある。美術館を出ると白鳥のいる池の景色に出会う。右の方へ歩いている時に、酔芙蓉の咲いてるのを見つけた。
その日は、台風14号が小笠原諸島あたりにいたので、3時過ぎなのに、空は暗く、紅くなった花が、幾つもあった。
 数年まえ、柳川の掘り割りを‘どんこ船’で進んでいる時に、船頭さんが、「今は咲いていないけれど」 と川べりの‘酔っ払いの酔芙蓉’の花を、面白おかしく話していたっけ。

2009年9月24日木曜日

高麗豆腐

 撮影会の折に求めた高麗豆腐は、秩父の黒大豆で作った木綿豆腐を、秩父の米麹と大豆で作った味噌で包んであった。 和紙に包まれてお り、食べ頃の日付が、マジックで書いてある。ようやく9月21日がきたので、切ってみると淡い紫色をしている。気持ち悪いなあ!と言いながらも、我が家の‘毒見役’なので食す。
‘まったりとしたこくがあり、胡麻豆腐よりもなめらかで、かすかな大豆の甘みがした。日本酒に合う。月の出を待ちながら、一献傾けるのに合っているなあ。

      「待つ宵や薄紫の高麗豆腐」     つるばみ

2009年9月22日火曜日

彼岸花 (ヒガンバナ科)


 多年草の球根植物で、朝鮮半島から稲作と共に、日本にやって来た外来種です。学名のLycorisは、有毒のリコリンを含む・radiataは放射線状のという意味らしい。田の畦や土葬した周りに植えて、モグラ、ネズミ、虫の進入を防いだなんて!

2009年9月21日月曜日

佐倉藩主 堀田正倫

江戸幕府最後の佐倉藩主の邸宅を訪ねた。明治期の和風建築と庭園は品格と開放感があった。印旛沼からの高崎川を下に見て、3万坪の広さという。冠木門を入ると、泰山木、百日紅、桜、トベラの大木があった。 ボランティアガイド(女性50歳くらい)が、楽しそうに郷土
の誇りといったふうに、熱心に説明して下さる。
 譜代大名堀田氏は、明治になり東京で華族の暮らしをしていたが、趣意書を提出して、24年に「郷土の農業、産業、教育に努めたい」 と佐倉へ帰られたということだ。「まあ、なんて立派な方でしょう!」と、私は思わず言ってしまった。「そう!そう思うでしょう?」と彼女は嬉しそうに言って、皆で盛り上がった。
 広い屋敷を尋ねた折りに、一人、列から離れて、廊下の端まで行って雪隠へ迷い込む癖があるので、しっかり付いて周った。 ある部屋の袋戸棚にバティック模様の紙が張ってあり、七宝焼きの引き手が使われていて、新しい時代を表しているなあ!とおもった。
 敷地の一角は、病院・養老院などになっていて、車椅子の人などが、木立の中をあちらこちらと散歩していた。

2009年9月19日土曜日

ハーブティー

 ローズピップは、‘ロサカニーナ(バラ科)’の実です。‘ロサ’はイタリア語で‘バラ’という意味とか。お茶にしたり、ジャムに、オイルに使う。殆んどが、チリ・アンデス地方のもので輸入品です。ハイビスカスと言っているのは ‘ローゼル(アオイ科)’のことで、クリーム色の花が咲く。どちらもVCを多く含んでいて、熱に強く酸っぱくて疲れがとれます。

2009年9月17日木曜日

秋ウコン(鬱金) (ショウガ科) 英名ターメリック


 「彼岸花の咲く巾着田へ撮影会に行きますが、好かったらどうぞ!」と誘って下さった。以前から行ってみたい所だったので、喜んで8名の最後尾にくっ付いて出かけた。秋の空気の美味しい高麗駅に着くと群生地までの道の両側に、ズラーっとテントを張って農産物の店が出ている。ウコンの花が活けてある店を見つけた。ウコンを出荷しているそうで、「こんな花が咲くんですよ!」と言われた。カレーを煮る時に少しづつ入れようと、小袋(20g200円)を買った。途中の豆腐屋さんで、黒大豆の木綿豆腐の味噌漬けも見つけた。高麗川が蛇行して出来た一帯の木立の中に‘彼岸花’が行けども行けども咲いている。堪能して川原でお弁当を食べた。この土地の畑作・稲作・養蚕・茶・川漁・炭焼き・林業などの民具が展示してある‘高麗郷民俗資料館’も興味深かった。帰り道、北海道で見かけるような建物のオープンテラスに座りほっとする。‘ローズヒップとハイビスカスのtea ’を頼んだら、I氏が撮影されたので驚いた。早速真似して撮影。ルビー色したtea と木漏れ陽に揺れる赤い影も美しい!此処にも儚く美しい物があった。

2009年9月14日月曜日

「海の上のお城」







 「千葉へ 行って、お寿司を食べて、スパへ行かない?」と誘われて出かけた。ライトバンに6人が乗りこんで出発。夕方の‘海ほたる’は混むからと、まず寄ったのだけれど、月曜日の午前9時過ぎに駐車場は満杯状態。アクアラインの‘800円効果’かしら?
 4Fのアクアプラザをブラブラしていたら、幻想的な展示に出会った。縦横2.4m×1.8mで高さ1m。ケント紙で作られている。照明は刻々と変わり、観覧車も電車も動く。
東京芸大工芸科3年生の伊藤航さんの作品で、2008年度の芸大祭でグランプリを受けられたと書かれてあった。釘付けになってしまった。

2009年9月10日木曜日

天蚕

 緑色の山繭蛾の幼虫は、クヌギ・ナラ・カシワの葉を食べて、緑色の野繭を作る。安曇野穂高町の天蚕センターへ見学に行った折り、その絹布の美しさに驚嘆した。
天女の羽衣は、お伽噺の中だけのものではなかった!と思った。 売店で、‘ウスバカゲロウの羽根の色をしたストール’を見つけた…。
 吹上御苑の林の中で、明治以降の皇后方が育てて居られるそうだ。 2年前、ご近所のY氏が宮内庁に申請して下さって、近所の方11名は御苑内を見学することが出来た。お堀端の銀杏が、あらかた散ってしまった頃だった。
桔梗門から入り、案内人の誘導で300人が歩いた。 富士見櫓(1659年再建、関東大震災後の修復)・伏見櫓(家光の頃に京の伏見城から移築)を見上げていると、江戸城内に居るんだ!と感激したっけ。 美しく紅葉している林の向こうに吹上御所があり、林の中へ足を踏み入れる事は出来ない。案内人が「天蚕小屋がありますよ。」と話された。

2009年9月7日月曜日

「CAMBODIA」

 有楽町マリオンの12階のホールへ安保徹先生の「エネルギー生成で知る 食、病気、癌」 という講演を聞きに行った。青森弁の微かに残る優しい話し方だけれど内容は深くて難しかった。
しっかりnote したけれど、帰ってから復習ね!と著書「免疫進化論」を求めた。
 11階へ降りると、「カンボジアの子供達」の写真展があった。会場には、立岡秀之氏が丸顔でニコニコと立ち話をしておられた。そこには、生き生きとした表情の子供達に囲まれているような感覚があった。、笑い声が響いて来るような写真展!逞しい裸足!真っ白い歯!粗食で硬い物を食べ、甘いものは自分で、もぎ取って齧る果物くらいか。甘い葉っぱも知っているだろうナ。出口で‘カンボジア支援基金’に寄付した。
 帰りは、隣のビルの‘椿屋珈琲店’へ寄るつもりだったので、「ケーキは我慢しよう!」と思いながら歩いた。黒い服に真っ白いエプロンの店員さん達は素敵!カウンター席で、コーヒーを入れる手捌きをうっとりと見ていたら、コロッと忘れて‘シホンケーキ(アールグレー)’を頼んでしまった。
 有楽町駅のプラットホームに上がって‘街灯’を見つけた。

2009年9月5日土曜日

烏瓜(からすうり) (ウリ科)

 秋が深まってきた頃に散歩をしていると、稀に‘烏瓜’のオレンジ色の実を見つけることがある。
 庭師の入るような家とか、マンションの周りでは見かけないけれど、古びて傷んだような家に、絡みついていたりする。
 見つけた時に、その家のお爺さんに尋ねたことがある。「母さん(亡くなった奥さん)が、群馬の実家から持ってきて植えた。」と言われた。「花は夜中に咲くよ。雌雄があるんだ。」と。
‘婆さん’と言われるより‘母さん’と言われる方が好もしい。
「カラスが食べに来ますか?」と聞くと「いやー、来んねエ。」と。
 星野立子氏が、灯りを持って‘烏瓜の花’を見に行った時の句を作っておられる。
 一夜で散る花であり ヨルガオ も 月下美人も ‘一夜花’である。写真は、インターネットから借用しました。


2009年9月2日水曜日

折り紙


  「折り紙は脳トレになるよ!」とプレゼントされた。15cm×15cmの江戸千代紙に折り図の解説が、日本語と英語と付いている。
一年12ヶ月を折っていく。1月は丹頂鶴と亀。2月は節分の鬼と豆を入れる角香箱。3月は雛祭りと椿。といった具合に。
 江戸時代からの伝統的な図柄は、京都の公家文化から生まれた‘有職千代紙’と違い江戸独特の文様です。丹頂鶴は雲立湧の文様・亀は松(三番叟)・鬼は源氏車・桐に鳳凰・三階松・火焔太鼓・麻の葉・吉原つなぎ・流水・獅子毛・江戸文字・娘縞等など。
武士や町人の子女に愛されたという‘江戸千代紙’にすっかり魅了されてしまった。

2009年8月31日月曜日

枯れ蔦

 2月の末に、銀座八丁目を歩いていて、‘バーボルドー’の石造りの建物に絡まる‘枯れ蔦’ を撮影した。 昭和2年に開店して、内部も殆んど当時のままという。木の扉はがっちりとしている。
 「この蔦が緑に変わる頃に飲みに来ようね!」って約束したけれど、果たしていない。 女性同士の連れでは、入店できない。
夜になって赤いランプが灯る頃になると、一層風情がある。
日没の時間も早くなってきた。 蔦が再び‘枯れ蔦になる前’に出かけよう。