2009年12月29日火曜日
ハコベ(ハコベラ)・ナデシコ科
越年草で春の七草です。葉を見ていたら、‘小叶苦丁’の葉にそっくりだ。ハコベは、利尿作用・浄血作用があるらしい。
2009年12月26日土曜日
ハローキティー
建物正面が見えてくると、「ワーイ!遊ぼう!」という気分になって、皆で駆け出した。ピューロランドは屋内のテーマパークなので、雨が降っても大丈夫です。
キティーホワイトちゃんは、1974年11月1日生まれで双子の白猫。ママが見分ける為に、右と左に赤いリボンをつけて貰っている。家族やお友達が沢山いて、ボーイフレンドのダニエル・スター君もいて、ショーやパレードで、おもちゃ箱をひっくり返したよう。係のお姉さん達もお客さん達もとても可愛い。妖精の森を借り切って、結婚式もできる。
このキャラクターグッズは、世界70カ国に輸出されていて、日本国内では、ありとあらゆる物に使われているけれど、酒と煙草には使われていない(例外ワイン)。
最初に、このデザインを考えた女性が、「不思議な国のアリス」に出てくるアリスが飼っていた猫の名前‘キティー’から付けたそうで、メルヘンの世界だなあ!と思った。
2009年12月24日木曜日
搗き餅
各戸に配る餅は、役員の方々が会議室でパックして下さる。中庭で、もち米を蒸し上げて、何臼かを皆で搗く。以前は子供達の参加も多くて、「搗いてみるか?」と交代でちょっと搗いてみたりした。「子供達が出てこないねえ!」と皆で話した。
‘晴れの日’に餅は欠かせない。鏡餅・雛祭りの菱餅・桜餅・柏餅・誕生餅…。
45年前、東京へ来て、初めて‘のし餅’を買う時に、「これをどうすればいいんだろう?」 と思った頃が懐かしい。生まれてから、ずーっと丸餅で、茹でて雑煮に入れていたから…。 あの頃の餅は、よく伸びた。
正月には、‘花びら餅’が欠かせない。平安時代には宮中の‘おせち料理’の一つだったらしいけれど、今は、美しい生菓子です。‘初釜’の時の菓子としてかかせない。白味噌餡・甘煮の細い牛蒡を求皮で包んである。ほんのり桃色の餡が透けて見えて、それは美しい!
餅搗きの日には、写真を撮ろうと思っていたのに、釜を焚いたり、餅つきを見たり、‘からみ餅’を食べたり、皆とおしゃべりしていたら、臼も杵もきれいに洗い上げられていた。
2009年12月23日水曜日
寅年
諦めて食器売り場をブラブラしていたら、京焼の清水六兵衛窯の‘寅の箸置き’を見つけた。箸置きにするには大きくて、置物には小さいけれど気に入ったのがあって良かった。
今年の‘丑’は仕舞って、これを飾ろう!フィレンツェの文房具屋さんで買った‘虎’も飾ろうと思う。
殷商時代の頃から、人々は十干・十二支を組み合わせて、様々に使ってきたらしいけれど、日本・朝鮮半島・ベトナム・ロシアに伝わり、今も生きている。干支で相性をみていたら、我が家は、「卯(木)は丑(土)を剋す」という‘相剋’すなわち‘凶’だったので、なるほど!と反省した。
芭蕉翁は、甲子の年(1684年)に、故郷伊賀上野へ母の墓参へ行き、関西を尋ねて、「甲子(きのえね)吟行」を書き、後に「野ざらし紀行」としている。江戸を発つ時に、「野ざらしを心に風のしむ身かな」 と詠んでおられる。今年も押し詰まって、‘野ざらし(野に捨てられた 骸骨)’ という言葉が身に沁みた。
2009年12月22日火曜日
2009年12月18日金曜日
左手
チンプンカンプンから始まったから、左手でマウスを操作しながら、右手で書き留めて帰る。帰ってから復習。 何時の間にか、左手のほうが使い易くなってきて…。時々「おっ!southpaw ですか?」って言われるけれど、いいえ ‘right handed’ なんですヨ。
朝食後、歯を磨きながら、左手で洗面所の鏡を磨くけれど、同時に、左右別々の動作をするのは難しい。脳トレ!と思いながら鏡を磨く。
林檎を齧りながら、パソコンのゲームを左手で遊ぶのは楽しい。
これって、何かのリハビリになるのかなあ?
2009年12月16日水曜日
ことしのぼたんは
「今年の牡丹は良いぼたん、お耳をからげてすっぽんぽん、もひとつおまけにすっぽんぽん…」と延々と続く。「誰かさんの後ろにヘビがいる…」 「私?」「そう!」 と言うと、鬼が追いかけて捕まえる。こんな遊びが好きだった。言葉を好きなように、変えるのが面白かった。思い出して唄っていたら‘今年の葉牡丹’になった。
葉牡丹は、低温にあうと葉が美しく発色するので冬の花壇に映える。 ヨーロッパ西南部の原産だけれど日本で改良が進み‘古典園芸植物’の一つである。
3月に、芯が50cmくらいも伸びてきて、黄色い4弁の花が咲く。「菜の花ですか?」って、よく聞かれる。 葉牡丹を植えると、お正月も近いなあ!と思う。
葉牡丹や今年の憂ひ巻きこみて つるばみ
2009年12月11日金曜日
障子張る
2009年12月7日月曜日
2009年12月5日土曜日
カレイ(鰈)の煮付け
2009年12月2日水曜日
大和 (戦艦)
小さな湾に向かって灰が峰(737m)が、控えているので、気候が穏やか町です。半農半漁の村に、1886年(明治19年) 鎮守府をおいて軍港になった。戦前、山の手に建てられる家々の南側は壁に、東西に窓を付けるようにと決められ、軍港を見下ろせないようになっていた。昭和初年に建てられた中島の家もそうなっている。柱や欄間は立派だけれど、やはり‘南からの陽差し’は大切だと思う。
‘大和’の進水は1940年8月、沈没は1945年4月です。進水式は秘密裡に行われたそうだ。
雨の日曜日にも拘らず、大勢の見学者が入っている。11月の企画展は、「平和祈念展・戦争体験の記憶」だった。12月12日の講演会は、「正岡子規と呉 (従軍記者時代)」となっていた。呉に住んでいるならば、参加するのだけれど…!と思った。‘松山市立子規記念博物館’の館長が、お話をなさる。 ‘大和’の正面から撮ろうとしたが、記念撮影の写真屋さんが、お客さんを次々と撮っているし、その周辺は大勢の人が撮っているし、逆光なので、後ろから写した。
2009年11月30日月曜日
トヨタテクノミュージアム
‘トヨタテクノミュージアム’へ見学に行った。機械の恩恵に浴しているのに、そっち方面は、難しくて気のりしないけれど、「きっと レストランのランチは、美味しくて安いよ!」と言いながら出かけた。
明治44年に豊田佐吉翁が、最初の実験工場を建てられた場所です。大正時代の赤レンガ造りの工場を、そのまま活用して、天井は高く、近代的にガラスも多用して落ち着いた建物で、板張りの床も多く残されている。繊維機械館には、紡機や織機の変遷が判るように配置されて、専門家が説明しておられる。緯糸(よこいと)の杼(ひ)の動きを改良していった様子がよく判った。出口には、コンピューターが指示を出し名画の布を織っていた。
‘金属加工技術’‘自動車館’‘材料試験室’‘蒸気機関車’‘ロボット’‘試作工場’とモノづくりの現場を若者、子供、外国人も、熱心にじっと見学している。日本語、英語、中国語の解説がいたるところにあった。 避けていないで来て良かった。
このミュージアムの隣には、洋食器の‘ノリタケの森’があり、このあたりの町名は則武新町。‘ノリタケ’は‘則武’だったのか!と 謎解きをした気分になった。
2009年11月29日日曜日
犬山モンキーパーク
2009年11月28日土曜日
博物館 明治村
犬山城
暦の上では小雪も過ぎたのに暖かい。宿 を出て木曽川沿いに、城の方へ歩いていると、‘首をすっきり伸ばした黒鳥’が 優雅に浮かんでいて、20名くらいのカメラマンの望遠レンズがずらりと並んでいた。
戦国時代、天文6年(1537年)に建てられて昭和10年に国宝に指定されたそうだ。平成16年まで個人の所有だったと書いてあって驚いた。
国宝四城(犬山城・姫路城・松本城・彦根城)の中で最古の城らしく、石垣は‘野面積み(のづらづみ)’だ。階段は険しいと聞いていたけれど、私には‘彦根城’の方がつらいなと思える。
天守閣から眺めていると、木曽川を、材木や米や物資を積んだ帆掛け舟や筏がゆきかい、賑わったと思えぬほど静かな町だった。
城を出て、だらだら下っていると、‘犬山城をバックに鵜飼いがデザインされたマンホール’があった。
2009年11月19日木曜日
高尾山 (599m)
前日の散々降りの中で 「明日は必ず晴れます!」 と引率のY氏が言い切って下さったので、きれいに晴れ上がった。総勢10名で出かけた。
ケーブルカー(135人乗り)で上がって行き、トンネルの‘洗心洞’を抜け、31度18分の急勾配を上がって、‘有喜洞‘を抜けて到着。
昭和2年営業開始の折りに彫られた文字は、苔に埋もれて読めなかったので、駅の人に尋ねたら教えて下さった。「戦中戦後は、6年間停まったのですよ!」 と言われた。
女坂を登り、薬王院を抜けて山頂へ着いて、お弁当を食べた。
遥かな山々も町もよく見える。鮮やかな色取り取りの落ち葉の中に、お面になりそうな灰色の‘朴の木’の葉っぱも混じっている。
帰りには、‘うかい鳥山’の敷地の中を見せて頂いて、写真を沢山撮った。
2009年11月12日木曜日
大地の恵み
2009年11月8日日曜日
Octopus (八達通)
数年前、ご近所のW氏の引率で、香港へ八名が4泊5日の旅をした。
ホテルに着くと、早速、地下鉄の駅へ行き、パスポートを見せて‘Octopus’ を購入した。65歳以上は、観光客も半額近くになると聞いて、便利だと皆で喜んだ。
65歳以上を 「長者」 と表示してあって面映ゆかった。
1997年、ソニーが開発した‘Felica’ を採用して、香港は世界で始めてICカードを使い始めた。旅の終りにカードを返して、未使用の残金を受け取った時も嬉しかったなあ!
香港の商店には、必ず「毘沙門天」の立像が店頭にあった。大きな宝石店には、見上げるような立派な像が、間口1間の細長い果物店には、それなりの像が、茶葉店にも高級そうな彫り物が、洒落たショッピングモールにも、花々に囲まれてあった。
北方を守る神として、土産物店で高さ10cmのものを求めた。今も玄関で、我が家を守ってくれている。英会話クラブの方々と行ったのに、私は一度も、英会話をしなかった事も思い出した。
2009年11月4日水曜日
イヌタデ(犬蓼) タデ科
2009年11月1日日曜日
「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」
中世フランスの王族べりー公ジャン1世(1340~1416)が作らせた豪華なもので、今はフランスの国のものである。日付に‘聖アンドレ’とか‘聖女マルガリタ’と書いてある。その日に産まれた子の洗礼名となるらしい。私の誕生日には‘万聖節’とあった。全ての聖人と殉教者の日で収穫感謝祭の日です。前夜は精霊や魔女の現れる‘ハロウイン’です。
11月の上の星座の描かれた部分に、さそり座と射手座が描かれている。下3分の2には、農民が棒を樫の木に投げて、どんぐりを落とし豚が食べている。番犬が見張っている。
毎月の絵には、王族の豪華な衣装・いくつもの城・美しい礼拝堂が描かれていて、その手前には、重税に喘ぐ貧しい農民達が働く農園の様子が、細かく描かれている。解説がとても興味深かった。
来年のカレンダーは、どんなのにしようかなあ!
2009年10月26日月曜日
ガマズミ(炗迷) (スイカズラ科)
‘16茶’が発売された時に、16種類もの品々を煮出しているのか!と驚いたが、青森県のものは、40種類も入っているのか!と 又 驚いている。
その中に‘ガマズミ’や‘ふのり’も入っているとか。どんな味なのだろうか?
一昨日から二日間、栃木県の黒羽町へ出かけた。
黒羽町は元禄二年(1689年)、松尾芭蕉(1644~1694)が「奥の細道」への旅の途中に、14日間も逗留した場所です。当時、黒羽藩の城代家老の桃雪がもてなしている。若い頃の桃雪は、父親が江戸詰めの折りに、弟(翆桃)と共に芭蕉に師事していたと考えられている。
大田原市黒羽町へ故郷の幼馴染の句友9名で出かけた。那須野が原は稲刈りも終り、紅葉が始まり、那珂川の落ち鮎の塩焼きは、美味しかった。寺の境内で ‘真っ赤に熟れたガマズミの実’を見た。酒に漬けたり、漬物、染料に使ったりするそうだ。この時期、木々の実は赤く熟れていて ピラカンサ・ナナカマド・姫柿・サルトリイバラ・南天・真弓の実が、鳥達に食べられるのを待っている。
2009年10月20日火曜日
幸せの黄色いインコ
「セキセイインコを預かっています。」という張り紙をして、交番に届けて餌を買ってきた。「こんな狭い所だと死んじゃうぞ!」と云うので、又、鳥屋さんへ鳥篭を買いに走った。
セキセイインコはオーストラリア原産で、草食性で植物の種子を摂る。まだ、足も嘴もピンク色をしていて若いようだ。誰も引き取りに来ない。もう1ヶ月も、我が家に居る。
毎日10時と3時に小松菜を食べさせていると、幸せがやってくる気配を感じる。
2009年10月16日金曜日
牡蠣筏
走る列車の窓から海を撮った。3年前、初めて小さなデジカメを持った時に、「走っている時には、レンズを窓に押し当てて撮る。」と教わった。
結婚する前、夏には会社帰りに友達と、週2~3回は泳ぎに行った。会社の前からバスに乗ったまま、町中を通り過ぎて海岸まで行く。‘会社の海の家’に荷物を置いて、沖の‘牡蠣筏’まで競争する。筏の上で一休みして、次ぎの筏へと泳いだ。
どこまでも泳いで行けそうだったあの頃。夕陽は小さな波を金色に輝かせながら沈んで行く。暗くなる前に家に帰らなければいけないから、井戸水で塩を流して、大急ぎでバスで家路につく。
あの頃は、皆と他愛のない事で、よく笑い転げていた。「箸が転げても可笑しい年頃じゃねえ!」 と笑われていた。
2009年10月15日木曜日
ハナユ(花柚) (ミカン科)
白い細かい産毛に覆われていて、一層丸く感じられた。
「海見ゆる丘や今年も花柚もぐ」 つるばみ
2009年10月14日水曜日
子供獅子
2009年10月6日火曜日
イワナ (岩魚)
2年前の6月、旭岳の麓のログハウスに泊まった折りに、山のように積まれた‘薪’を美しいと思った。御主人が「電気・ガス・石油より、薪が大切!」と言っていたっけ!
囲炉裏の側で飲む`岩魚の骨酒’は、人生の一山も二山も越えた男達には、沁みるだろうなあ。 若い男性は、‘草食系男子’なんて言われないで欲しい。そして ‘古代からの狩りをする本能’を心の中に取り戻して欲しい。
2009年10月3日土曜日
クランベリー (ツツジ科) 和名 つるこけもも
育て方を調べていたら、水を切らさずに酸性土で、夏を涼しく過させる。ピンクの花が咲き、実は徐々に深紅になる。
「北海道を旅した時に、沼地に点々と真っ赤な‘つるこけもも’の実を見たことがある。」 とSさんが話していた。
「ナンタケット島のクランベリーの収穫」 イーストマン・ジョンソン(1824~1906)の絵を、見ていて思い出した。
今年5月に米東海岸へ旅行するつもりだったが、身体の具合が悪くて行けなかった。そのパンフレットには、「ナンタケット島を訪れて‘素晴らしいバスケット’も、お買い求め頂けます。」 と書いてあった。一個が 5~65万円もするんだ!と 驚いたっけ! 世界中のお金持ちの女性が欲しがる‘バスケット’も、その昔は、クランベリーを摘んで入れたり、生活の中で使われていたのだろうなア!と思った。
2009年9月30日水曜日
2009年9月27日日曜日
2009年9月24日木曜日
2009年9月22日火曜日
彼岸花 (ヒガンバナ科)
2009年9月21日月曜日
佐倉藩主 堀田正倫
の誇りといったふうに、熱心に説明して下さる。
譜代大名堀田氏は、明治になり東京で華族の暮らしをしていたが、趣意書を提出して、24年に「郷土の農業、産業、教育に努めたい」 と佐倉へ帰られたということだ。「まあ、なんて立派な方でしょう!」と、私は思わず言ってしまった。「そう!そう思うでしょう?」と彼女は嬉しそうに言って、皆で盛り上がった。
広い屋敷を尋ねた折りに、一人、列から離れて、廊下の端まで行って雪隠へ迷い込む癖があるので、しっかり付いて周った。 ある部屋の袋戸棚にバティック模様の紙が張ってあり、七宝焼きの引き手が使われていて、新しい時代を表しているなあ!とおもった。
敷地の一角は、病院・養老院などになっていて、車椅子の人などが、木立の中をあちらこちらと散歩していた。
2009年9月19日土曜日
2009年9月17日木曜日
秋ウコン(鬱金) (ショウガ科) 英名ターメリック
「彼岸花の咲く巾着田へ撮影会に行きますが、好かったらどうぞ!」と誘って下さった。以前から行ってみたい所だったので、喜んで8名の最後尾にくっ付いて出かけた。秋の空気の美味しい高麗駅に着くと群生地までの道の両側に、ズラーっとテントを張って農産物の店が出ている。ウコンの花が活けてある店を見つけた。ウコンを出荷しているそうで、「こんな花が咲くんですよ!」と言われた。カレーを煮る時に少しづつ入れようと、小袋(20g200円)を買った。途中の豆腐屋さんで、黒大豆の木綿豆腐の味噌漬けも見つけた。高麗川が蛇行して出来た一帯の木立の中に‘彼岸花’が行けども行けども咲いている。堪能して川原でお弁当を食べた。この土地の畑作・稲作・養蚕・茶・川漁・炭焼き・林業などの民具が展示してある‘高麗郷民俗資料館’も興味深かった。帰り道、北海道で見かけるような建物のオープンテラスに座りほっとする。‘ローズヒップとハイビスカスのtea ’を頼んだら、I氏が撮影されたので驚いた。早速真似して撮影。ルビー色したtea と木漏れ陽に揺れる赤い影も美しい!此処にも儚く美しい物があった。
2009年9月14日月曜日
2009年9月10日木曜日
天蚕
天女の羽衣は、お伽噺の中だけのものではなかった!と思った。 売店で、‘ウスバカゲロウの羽根の色をしたストール’を見つけた…。
吹上御苑の林の中で、明治以降の皇后方が育てて居られるそうだ。 2年前、ご近所のY氏が宮内庁に申請して下さって、近所の方11名は御苑内を見学することが出来た。お堀端の銀杏が、あらかた散ってしまった頃だった。
桔梗門から入り、案内人の誘導で300人が歩いた。 富士見櫓(1659年再建、関東大震災後の修復)・伏見櫓(家光の頃に京の伏見城から移築)を見上げていると、江戸城内に居るんだ!と感激したっけ。 美しく紅葉している林の向こうに吹上御所があり、林の中へ足を踏み入れる事は出来ない。案内人が「天蚕小屋がありますよ。」と話された。
2009年9月7日月曜日
「CAMBODIA」
しっかりnote したけれど、帰ってから復習ね!と著書「免疫進化論」を求めた。
11階へ降りると、「カンボジアの子供達」の写真展があった。会場には、立岡秀之氏が丸顔でニコニコと立ち話をしておられた。そこには、生き生きとした表情の子供達に囲まれているような感覚があった。、笑い声が響いて来るような写真展!逞しい裸足!真っ白い歯!粗食で硬い物を食べ、甘いものは自分で、もぎ取って齧る果物くらいか。甘い葉っぱも知っているだろうナ。出口で‘カンボジア支援基金’に寄付した。
帰りは、隣のビルの‘椿屋珈琲店’へ寄るつもりだったので、「ケーキは我慢しよう!」と思いながら歩いた。黒い服に真っ白いエプロンの店員さん達は素敵!カウンター席で、コーヒーを入れる手捌きをうっとりと見ていたら、コロッと忘れて‘シホンケーキ(アールグレー)’を頼んでしまった。
2009年9月5日土曜日
烏瓜(からすうり) (ウリ科)
庭師の入るような家とか、マンションの周りでは見かけないけれど、古びて傷んだような家に、絡みついていたりする。
見つけた時に、その家のお爺さんに尋ねたことがある。「母さん(亡くなった奥さん)が、群馬の実家から持ってきて植えた。」と言われた。「花は夜中に咲くよ。雌雄があるんだ。」と。
‘婆さん’と言われるより‘母さん’と言われる方が好もしい。
「カラスが食べに来ますか?」と聞くと「いやー、来んねエ。」と。
星野立子氏が、灯りを持って‘烏瓜の花’を見に行った時の句を作っておられる。
一夜で散る花であり ヨルガオ も 月下美人も ‘一夜花’である。写真は、インターネットから借用しました。