2011年8月31日水曜日

阿胶棗

中国の食べ物は健康と美容に良いものばかりのように思う。中国での学会へ出かけておられたS先生からお土産に、棗の砂糖漬けを戴きました。種がとってあった。日本には杏は多いけれど、棗の砂糖漬けは初めて食べます。ミネラル分が多く、鉄分も多そうです。ついもう一つっとッ 手が伸びる。美味しい!
子供の頃、鞠つきをしながら「旅順開放約成りて、敵の将軍ステッセル……、庭に1本棗の木、弾丸跡も著し……」と唄った。中国には棗の木が多いのだろう。
7月22日に乃木公園内の乃木邸の玄関先にあった‘水師営の棗の木の孫’を思い出しました。

2011年8月29日月曜日

ペペロミア スカンデンス(コショウ科)

 室内に観葉植物があるとホットする。
人間の呼吸と植物のそれとが反対だから?
半年前に‘ペペロミア スカンデンス’を買って、初雪かずらとカルーナを寄せ植えにした。
毎日少しづつ大きくなっているが名前がなかなか憶えられない。
 先日「ピンクアンスリュウムが半額になっているので買おうと思うんだけれど、どう思う?」と娘が携帯電話で聞いてきたので、「もっと丈のあるものが良いと思う!テレビが大きいから負けないものを!」と返事をした。
その後「‘ザミフォーリア(サトイモ科)’にしました。高さ1m。良い感じ!」とメールがきた。
‘ザミフォーリア’は夏場は月2~3回、冬場は月1~2回の水やりで、根腐れしないようにということなので、子育て中の忙しい人にぴったりです。葉が大きいと埃が溜まりやすいけれど、葉が小ぶりなので霧吹きで済む。目立つ害虫・病気もない。
 古代から人々は花だけでなく、葉も愛でてきた。
産業革命の頃のイギリスで、石炭の煙で灰色の町の家々では、観葉植物が愛されたそうです。
江戸時代には、ヨーロッパのキャベツを葉牡丹に改良したり、万年青の改良種は種類が多いけれど、近頃は愛好家のみになってしまった。

2011年8月25日木曜日

銀座出世地蔵尊

 銀座三越が広くなり、新装なって初めて入った。9階の広いフロアーで大勢の人がコーヒーや軽食など買って、のんびり休んだり、おしゃべりしている。「高い地代のサービスフロアーだね~!」と言いながら外のテラスで木の椅子に座った。
秋草の一角や芝生では裸足の子供が走りまわっていた。
隣の高いビルを隠すように‘西洋朝顔’と‘糸瓜’の緑のカーテンで、黄色や青紫色の花が咲き見事だった。
 隅に‘銀座出世地蔵尊’が祀ってあった。明治の初め頃、三十軒堀川の工事中に掘り出されてから、地震、戦災を潜り抜け、紆余曲折を経て、三越の屋上に祀ってあるそうです。

2011年8月22日月曜日

災害時への備え

 大きな災害があって、電気・ガス・水道が止まった時に、自分が無事であったならば、3日分の水と食料は各家庭で確保してあるもので、凌いでいただきたいということだった。
その後3日間は、各自治会・町内会で備蓄してあるもので、協力して凌いでいただきたい。
その頃になると、公的な支援物資が届くだろうということです。

今日はご近所の方々と一緒に、自治会で備蓄してあるものの場所・品物・数量・賞味期限を点検しました。予め調査済みだけれど、出して並べてみるとその量は凄い。水2ℓ480本・パン缶詰384個・ご飯類300食。これで500名の人々には1日分にもならないなあ!と思った。米も水も重くて驚いた!
これから防災隊の方々と相談していかなければならない。
我が家の地震対策も充分とはいえず、自家発電装置は持っていない。トイレはどうなるんだろう!数本のガスボンベ!頭で解っているようで、何もしていない自分に気がついた。

2011年8月19日金曜日

針山

 暑さの厳しい日々が続くので、消費電力を気にしながら、エアコンを28度に設定して扇風機で空気をかき混ぜている。
午後はプールで過ごす。皆同じ気持らしくて、スポーツクラブは混んでいる。
‘針山’を作った。赤い帯揚げはもう使わないので、形を変えて針山へ。中に‘青梅綿’を入れる。青梅市特産で半纏・和服に使われていた。布団も羽毛や羊毛に変わっていったので、需要が少なくなってきて、手に入りにくくなったけれど、手芸屋さんにはあります。油分を含むので‘針山’に適している。
いくつも出来たので、若い方に上げようと思っています。


2011年8月13日土曜日

ブルーベリー (ツツジ科)

 「県庁でブルーベリーの苗を配っていたので貰ってきました。植えて!」と ご近所のOさんが下さった。
丁度、実のなる木を植えたいなあ!と思っていたので感謝!
植える場所を考えたけれど、とりあえず大きい植木鉢に植えて、水管理をしながら育てよう。
北米原産で酸性土壌を好み、細かい根なので乾燥と夏の暑さに弱いそうです。ピートモスと鹿沼土を半々です。
「アントシアンを含み、眼に良いと言われているけれど、そうなんですか?」と眼科の先生にお聞きしたら、医学的に視力改善効果はないですね!」と言われたことがあった。


花は俯いて咲く。2~3年後に実が生ると良いなあ!花の写真はお借りしました。

2011年8月5日金曜日

及川寛茂 オーボエ・コンサート2011

 日独交流150周年記念行事で、横浜山手の港の見える公園にある‘イギリス舘’の客間でコンサートがありました。
及川寛茂氏はドイツでご活躍で、ウエストザクセン交響楽団 首席オーボエ奏者でいらっしゃいます。初めてオーボエのコンサート(ピアノ伴奏)へ出かけました。
J.Fバッハのカンタータ、メンデルスゾーン、滝廉太郎、篠原眞の曲の流れる部屋は別世界でした。初めて聞く、カリヴォダのサロン風小品の軽やかな変化に富んだ旋律に、特に魅せられました。
席からはピアノを弾かれる矢田佳子さんの優しい横顔が魅力的で、及川氏の緊張感も伝わってきます。背景は、サンポーチの白いカーテンの向こうの緑の庭です。
 終わって余韻を楽しみつつ坂を下りて元町へ。表通りを1本入った所の「ティールーム霧笛」で皆さんとお茶しながら、お喋りしました。

2011年8月3日水曜日

東京カテドラル聖マリア大聖堂

 旧細川邸を出て、5分歩くと椿山荘です。お昼を新館の方で頂いて、向かいのカテドラル聖マリア大聖堂を見学しました。
明治32年に木造のゴシック様式の建物だったそうですが、東京大空襲で焼失。
設計は丹下健三氏により、昭和39年に落成した。
大聖堂が空襲の標的になった為に、周辺の細川邸や多くの建物が焼け残ったという話でした。
内部はモノトーンの落ち着いた雰囲気で、ステンドグラスの代わりに大理石を薄く削いだのが、嵌め込まれ、陽の光を背にして黄金色に輝いていました。洗礼台は珍しい形でした。
あまりに景が大きくて、写真がうまく撮れなかったので絵葉書を買いましたが、おまけに下さったのを開けてみると、そこには「神様のために何か素晴らしいことをしたいと思いませんか?ほら、あなたを必要とする人がそこにいます。さあ、あなたのチャンスです。」(マザー・テレサ 日々のことば より)と書いてありました。

2011年8月2日火曜日

和敬塾本館旧細川公爵邸目白台1-21

 非公開の細川邸を拝見することが出来るツアーがあったので、参加しました。午前午後60名づつで、解説をして頂きながら見学しました。
昭和11年に設計は大森茂・臼井弥枝、英国チュダー・ゴシック様式で建てられたそうです。この敷地は細川家の下屋敷のあった場所(3万坪)で、今は新江戸川公園・永青文庫・和敬塾(7000坪)になっています。
和敬塾は昭和32年に様々な大学の男子学生・留学生(500人)の寮として発足し、邸宅は本館として時々使われるそうですが、なにしろ蚊が多くて、最初に虫除けスプレーをかけて貰いました。
邸宅1階は接客用・2階は家族の日常生活、サンルーム。3階は南側が子供部屋、奥が書生部屋。地下1階はボイラーや機械や冷蔵庫。部屋の木材や壁紙の重厚さはさすがです。「改修の際は当時のままを再現しています。」とのことでした。
日本間は角材を使った武家風と柿の丸材を使った公家風・奥様の竹の間・喫煙の魚の間。変化に富んでいた。
「写真を撮られるのは構いませんが、ブログや公的な所へ出すのは控えて下さいね。」とのことなので、庭の方から窓に嵌った鉄の格子をアップします。
玄関周りの鉄格子は、戦時中に供出されたそうです。庭の方のは目こぼしされたのか。
「教育の忘れもの 東京の学生寮・和敬塾」上坂冬子著を読んでみようと思った。