2011年1月23日日曜日

クレアモントホテル エリザベステイラー著

 昨秋、岩波ホールで‘セラフィーヌの庭’を観たときに、予告の‘クレアモントホテル’を観て、次は一月に観に来ようと思っていた。
しかし何かとあり、諦めて図書室で本を借りた。このイギリス人の作家(1912~1975)は、英国の中流家庭の起伏の乏しい日常を描き、人々の機微を鋭く観察している。
 老後をクレアモントホテルに長期滞在して過ごす人々の日々は、興味深く寒々とした気持ちになった。
大英博物館に勤める孫は冷たくて、会いに来てくれない夫人は、道で転んだときに傷の手当てをしてくれた貧しい作家志望の青年と親しくなって、ホテルの人々に孫だと紹介する。少しづつ親しくなってゆく過程は、若い人達が恋人同士になっていくのに似ている。50歳も年下の青年に恋心を抱くだろうか?きっと彼女の心の中は、若い頃の気持ちと綯い交ぜになっていったのだろう!
ホテルの回転ドアーで転んで入院して、彼が細々世話をしてくれる。「動けるようになったら遺書を書き換えて、孫にではなく、この子に遺産を相続させよう!」と心に決める。「もうワーズワースの‘水仙’を思い出せないの!」と言うと、青年は忘れた所は誤魔化しながら暗唱して帰って行く。
 夫人が亡くなって後に家族はくるが、二人のことは誰にも知られることはなかった。
青年は夫人と会った後は、何時も急いで帰り書いていた。そして「彼らはそこ(ホテル)で死ぬことを許されていない」という題で小説を書き上げていった。


 

2011年1月21日金曜日

猫洞通り

 蕨市立病院の先生方のお陰で、盲腸の手術後は順調に恢復して名古屋へ三人は帰ることができました。私は乳母・家政婦としてついて行き‘こまねずみ’のように働いた。 
25日は幼稚園のマラソン大会なので、一日でも早く登園させて、マラソンの練習に参加させたいらしかった。
六日間居たので、生活も普段通りに落ち着いた。帰り道を急いでいる時に‘猫洞通り(ねこがほらどうり)’という標識を見つけた。通称‘キャットロード’とも云うらしい。「此処にはレストランやお洒落な店が沢山あるから、今度来た時に、いろいろ行こうね!有難う!」と 娘が言って寂しそうな顔をしていた。

2011年1月20日木曜日

コメダ珈琲・星が丘店

 名古屋名物は沢山あるけれど、‘モーニング’というのがある。朝入ったことはないけれど、お昼に‘コメダ珈琲の星が丘店’へ入った。ログハウス風の店構えの木の階段を上がろうとしたら、左の階段は‘猿Cafe’ という喫茶店だった。
さすが2軒並んでいても、両方ともお客さんがいっぱい!
名古屋市内の喫茶店数4700店(2006年総務省調査)は日本屈指の数と聞いて驚いて笑った。
朝、お店に入って珈琲(400円くらい)を注文すると、パン・玉子・サラダは黙っていても出てくるそうで、お店によっては、おにぎりや茶碗蒸しのサービスやパン食べ放題や市外では寿司やスパゲッティやデザートまであるそうです。
 お昼なので、じゃがいものコロッケ・‘たっぷりコーヒー’・ピザ・シロノワールを頼んだ。大きなコロッケ3個!丸パン3個には切り目にバターが!山盛のキャベツ!でっかいマグカップのコーヒーにピーナツの小袋付き!ピザは家庭で焼いたように美味しい!シロノワールの上には、ソフトクリームが乗って、たっぷりのシロップが付いてきた。
サービス精神旺盛で、食べる物の豊かな町なのだなあ!と思った。店内にご老人が多いのにも驚いた。

2011年1月11日火曜日

かたつむり (でんでんむし)

 「グーチョキパーでグーチョキパーで何作ろう~」と歌いながら、‘右手と左手がパーでチョウチョ’ ‘左手がパーで右手がグーでヘリコプター’ ‘右手と左手がグーでボクシング’ ‘右手がチョキで左手がグーでカタツムリ’ と手遊びをしながら 新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」を 突然思い出した。もう忘れてしまっていた。
 一匹のでんでん虫は、自分の背中の殻の中に悲しみが詰まっていることに、ある日突然気づいてしまう。どうして良いか解らなくて友だちに相談するが、「私の背中にも悲しみがいっぱいです。」と 言われて、別の友達に相談するが、「あなただけではありません。」と 言われる。
でんでんむしは「悲しみは誰もが持っている。私は自分の悲しみを堪えていかなければならない。」と 気がつく。そして嘆くのを止めたのです。という短い文章を中学生のころ読んで「そういうものかなあ!」と思ったのを思い出した。

2011年1月7日金曜日

釦かけ

 いつも一緒にいてくれる母親が突然いなくなった幼い児は「ママ~ママ~」と、泣くことしかできない。
抱いて揺すっていると、泣き疲れて釦を見つけた。外れた釦をかけることを見つけて泣くのを忘れて熱中し始めた。さりげなく釦を外してかけさせるを繰り返す。
大人の草臥れたパジャマの釦は、大きくて2歳3ヶ月の児には、やり易く面白いらしい。
楽しみを見つけたので泣かなくなった。
5歳6ヵ月はいつも本を読んでやっていたが、「ごめんね!オバアチャンは忙しくなったので、読んであげられないけれど、自分で読んで判らないとこは聞いてね!」と言って、一人で読ませる。
「ふたりはいつも」アーノルド・ローベル作 を声を出して読んでいる。
途中で止めるときは、折紙で作った栞をはさむことを覚えた。

2011年1月6日木曜日

盲腸の手術

 昨年末に里帰りしてきた娘が「お腹が痛いんだけれど胃腸薬ない?」と言っていたので、「食べ過ぎか便秘でしょう?」と言いながらエビオスを渡した。
2日後「子宮じゃない下腹が痛いんだけれど何か無い?」と言ったので「これはどう?」とザ・ガードを渡した。
4日朝、青い顔をして「病院へ行った方が良いと思うんだけれど!」と言ったので、すぐ病院の診察番号を取りに車を飛ばした。我慢強く、二度の出産も1時間前に産院へ行き「もっと早く来なくちゃあダメでしょう!」と叱られていた。正月三ケ日間を我慢していたのだろう。
やはり内科から外科へ回されて、「午後入院、明日手術」と言われたらしい。幼い児二人をおいて入院出来ないと思っているらしく「さくらももこさんは抗生剤で抑えたヨ!」というmail を寄越す。
「歩いて帰れる」というのを叱って、車を飛ばして一旦迎えに行った。
 午後お婿さんと一緒に病院で入院手続きをした。「此処で手術をしてもらった方が良いでしょう。ご迷惑をかけますが宜しくお願いします。」と言って、初出勤のために名古屋へ帰って行った。
幼い子ども達は、昼間は楽しくいろんなことをして遊んでいるけれど昼寝の時や夜寝る時「ママッ~ママッ~」と泣きながら眠る児を抱いて揺すりながら、‘揺りかごの歌’を歌いながら 「どうかこの子達の母親を無事に生還させてください!私の命と引換えに!」と願った。