2010年11月28日日曜日

チューリップの球根

 森林公園の花は自然の中にあるように、際立たないように配置され植えてある。
少し傾斜になった広い場所に、ビニール紐が図形のように張ってあり、作業服の人達が集まっていた。
駆け上がって寄ってみると、‘チューリップの球根と忘れな草の苗’を植える準備をしていた。
忘れな草は3月にならないと咲かないが、チューリップが背を伸ばし咲いている根元を薄青色の小さな花が飾るだろう。
11月14日に中庭花壇にチューリップを300球(3色)植えた。「忘れな草の苗を今、町で買えますか?」と 聞くと
「サア?これは早めに温室で育てました。」と 言われた。


 木立の中の一画に群生している銀灰色の葉の中に‘野生のシクラメン’が咲いていた。原種だと書いてあったが、原産は何処だろう?とずーっと気にかかっていたので、 昨日公園事務所に尋ねた。「アフガニスタン・西アジア・地中海沿岸一帯です。種類はへデリフォリュームとシクラメンコームを植えています。」と色々教えて下さった。

2010年11月26日金曜日

カエデ(楓) カエデ科

 比企丘陵に広がる国営の森林公園へ御近所の方々13名で出かけた。
東西1Km・南北4Kmの広さの中には、植物園・サイクリングロード(17Km)・腕白広場・プール・アスレチック・彫刻広場・ドッグラン・沢山の沼・渓流などがある。
今一番の見所は、紅葉したカエデ(野生の品種22種類・園芸品種50種類)の道です。夕方4時半からライトアップが始まった。幻想的に変わる林を見る為に、その頃から入場者も増える。
引率して下さったY氏が、園内くまなく見るようにとコースを組んで下さった。ハイキングしない人々も、遊覧車で端から端まで回った。
 園の端に沿って‘鎌倉街道’が残されていた。落ち葉に埋もれた林の中の細い道は、「いざ鎌倉!」という時に 熊谷直実や畠山重忠などが上って行ったのだろう!と想像した。風の音と落葉を踏む音もする。
標高90mの山城のあった場所には展望レストランや広場があった。「簡単な山城だけれど、見晴らしが良くて大切な場所だった。」と 遊覧車のおじさんのお話だった。
 休憩所で‘メープルコーヒー’を飲んだ。
お土産は、カエデの乾いた翼果・赤と緑の落葉・橡の大きな実(つるばみ)です。その他には、コカブ(150円)・里芋(300円)。

2010年11月24日水曜日

おいなりさん

 明日は県北の武蔵丘陵森林公園‘紅葉ハイキング’へ行くので、おいなりさんを作った。
母は油揚げを裏返してから煮て、すし飯を詰めていた。三角に切ってすし飯を詰め、上に海老など飾るとご馳走になった。
戦後、タスキを「お国のため」から「子供達のため」にと掛け替えてPTA活動に熱心だった。脱脂粉乳が給食として配られ、「不味くて飲めない!」と家で文句を言うと、「アメリカさんが皆んなの体の為に下さっているのだから、贅沢を言ってはいけないよ。」と嗜められた。
白いエプロンをして学校へ行くので、「どうして?」と聞くと、「着る物の競争になってはいけないからね!皆んな色々大変だから申し合せた。」とも言っていた。
ララ物資として洋服を貰った時、母は「モヘアのセーターがあった!」と喜んで帰ってきたけれど、胸の所が伸びて薄くなっていた.
「アメリカの女の人はオッパイが巨いんだねえ」とガッカリしていた。小学生だった私たち姉妹は、洋服が伸びるなんて?と驚いた事を思い出した。

2010年11月23日火曜日

へちまカボチャにチーズをのせて

へちまカボチャを真ん中で切ると、首の方には種がない。丸い先の方に種が詰まっていた。
直径6cmの棒状のカボチャを、5mmの厚さに切ってチーズを乗せてトースターで焼いた。味がないので塩をパラリと落したら何枚でも食べられる。周りは茶色・緑色・オレンジ色の層になっていて素敵!周りの皮はパリッとして、内側は柔らかい。水分が多く味が薄いと聞いていたが、その通りだった。
似合うのはビールかな?ワインかな?焼酎かな?

2010年11月21日日曜日

ハンギングバスケット

 以前から‘ハンギングバスケット’を作りたいなあ!と 思っていたので、緑化センターの講習を受けた。
草花をくす玉のような美しい球形に作って、宙づりにしたり、半球に作って壁に掛けて飾る。
ワイヤーで作った鉢に椰子の実の繊維で作った篭を入れて、土を入れながら植え付ける。
先生は若く美しい女性だった。
草花は、ビオラ(黄色と橙色)・アリッサム(赤紫色)・ガーデンシクラメン(ピンク)・初雪カツラが用意されていた。垂れ下がる性格のアリッサムと初雪カツラは斜めに植える。篭の側面に小さい穴を開けて、ビオラを外から差し込む。どうなっているのか?この方法を知りたかった。知れば‘コロンブスの卵’で、「こんな風にして差し込んでいるのか!」と 思った。フワッと植えてあるので1週間くらい水を上げながら土を足して根付かせる。偶数で整えるらしい!四方八方に!というわけだなアと思った。
根が落ち着いてきたら、鎖で高い所へ吊すことにする。
冷たい風に吹かれるので、暖かい色ばかり選んでみたけれど支離滅裂!1~2ヶ月たてば形が出来てくるだろうか?蝶が止まっている丸い塊に見えてくるだろうか?

2010年11月17日水曜日

学校給食

 今日はどんよりとした雨模様の寒い一日だったけれど、近所の小学校で「おじいさん・おばあさんと給食を食べる会」があったので、およばれしてきた。
50名もの人が集まり、最初に校長先生のご挨拶がありました。「昨年はインフルエンザが流行り、給食会が出来なかったけれど、今日は子供たちと一緒に給食を召し上がって下さい。皆が残さず食べられるように工夫を重ねて、先日、‘全国学校給食の文部科学大臣賞(29校)’を受けて来ました。」と お話しされた。
各クラスのお子さんが迎えに来てくれて、教室で小さな椅子に座って一緒に頂いた。牛乳1パック・味噌汁(大根、わかめ)・山菜炊き込みご飯(あげ、人参、ごぼう、わらび、しいたけ、さやいんげん)・だし巻き玉子の献立で、大変美味しい。お代り自由なので炊き込みご飯のお代りをしました。
「ご馳走さま!」をした後は、なぞなぞ遊びや皆んなで回して絵を描いた。
なぞなぞの最後の問題で、「子供は通れるけれど、大人は通れないドアーは何だ!」という問題が出たけれど、廊下から「もう他の教室は終わってるよ!」と声がして、ワイワイし始めたので、うやむやで終わってしまった。
「ドラエもんに出てくる‘どこでもドアー’じゃないかなア?」と思いながら、御礼を言って帰ってきた。
今度小学生の誰かに会ったら聞いてみよう。

2010年11月14日日曜日

吟行会

芭蕉翁は46歳の時、旧暦の3月27日(5月16日)に深川を出発して、北上し平泉から最上川へ、酒田から日本海沿いに南下して、山中温泉で暫く疲れを癒している。 それから敦賀へ、旧暦9月6日(10月18日)に大垣で「奥の細道」の旅を終えている。

 高校生の頃の友人9名(男子4・女子5)で大垣へ吟行に出かけた。人口16万人の大垣市は、地下水の豊富な町であちこちに湧き出ている。半日案内して下さったボランティアガイドの方が、「家では井戸水を使い、水道水は庭で水撒きに使っています。」と言われたので驚いた。彼の小学校の折りの‘蛤の潮干狩り’は、この川港から船を出したそうです。
「奥の細道」の最後の句は 「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」芭蕉 で締め括ってある。
又富有柿の産地とかで伊吹山を望む静かな町だった。大垣城の外堀、中堀、内堀があちこちに残り、古い街路樹が紅葉したり黄葉して美しい。帰る朝、ホテルの部屋から伊吹山を見ようと窓に寄ると、大きく虹も見えた。

 芭蕉翁は旧暦10月12日に亡くなられていて、‘翁忌’とか‘時雨忌’と言われて俳句の中によく詠まれている。



翁忌に大垣巡る縁かな     つるばみ




2010年11月8日月曜日

フェイジョア (フトモモ科)

 家庭菜園で育てた水菜やホーレン草や春菊やトマトを送って頂いた。「生で食べてね!」って優しい。
春菊は関東地方のと違って葉が肉厚です。
フェイジョアという南米原産の珍しい果実も育てていて、沢山入っている。5cmほどの可愛い緑色の球形です。熟すと甘い香りがして果肉はねっとりと甘いけれど、半分に切って食べてみたら、まだ早いようだった。
 


大きな柚子が2個入っていたので、中身をスプーンで取り出して、‘柚子ゼリー’を作って、皮で‘柚子味噌’を作ろう!沢山ある種は、小瓶に入れて日本酒を注いで‘化粧水’にしよう!

2010年11月6日土曜日

樹木医

 川口市のグリーンセンターは、植物園、公園、動物園、プール、子供の乗る蒸気機関車、茶室、池の辺りには蛍、カワセミも住んでいる広大な施設です。季節の花が咲き、何時行っても楽しめる。
その中で、樹木医の和田正人氏の講座があったので出かけた。園内は遠足の子やママたちなどで、「今日は2000人入っています。」と言うことだった。菊花展もしている。
 お話は、今年3月10日の鶴ケ岡八幡宮の大イチョウの倒木の事例、市内の100年以上の大ケヤキの治療の話、木の15ポイントをチェックして、健康度を出すこと等と詳しくて難しい。
外へ出て、園内を里山に見立てて10項目を当たりながら話される。釣り竿で作った物で、高いところを指される。途中で市の緑地課の人がチェーンソーと草払い機の実演をされた。私は花壇のことばかり頭にあったが、これからは樹や町全体も見なければと思う。
質問は木に付く茸、害虫、枝を切る場所、時期、切り口の治療、木の周りの土、炭疽病、など皆んな真剣。
講座室に戻って 「森林の遷移」について話され、「武蔵野の雑木林をとりもどしたい!」と 仰有った。
講座が終わり外へでると、夕方5時の園内は人影もなく寒々しかった。

2010年11月2日火曜日

「織部の青」 廣崎龍哉句集


 廣崎氏の第二句集になる「織部の青」を戴いた。
十年前の還暦の頃に、第一句集を出されたので、あれから十年経ったのか!と感慨深い。重責の地位にも関わらず在職中は、果敢にトライアスロンに挑戦しておられた時期もあったが、「清貧の思想」 中野孝次著 を読み、俳句や短歌に興味を持たれたという言葉は大変刺激的だった。
 第一句集「大時計」の中の句 「夕焼けや東京駅の大時計」 から外で働く男性の哀歓を感じ、家の中でくるくる雑事に追われている私には別世界の事に感じられ驚きました。
 第二句集の中の句 「ペルシャの青織部の青や南風」 から、表題にしておられる。
多治見にある窯を訪ねて展示してあった陶器の青は、ペルシャのラスター彩を織部焼に甦らせたと知って詠まれたという。そのスケールの大きい思いに敬服しました。
一番好きな句は、父上のお葬式の折りの句で 
「一枝の桜を納め出棺す」 です。
 自分にも、他人にも厳しい人だと思うけれど、
 「ところてん妻の意見に逆らはず」という句があり、
お茶目な所もあるんだなあ!と楽しくなった。