2013年1月26日土曜日

名札

五月中旬に開かれる同窓会の受付をすることになりました。
当日の手順の打ち合わせは、後日でよいとして、84名分の名札を作らねばならない。
費用を掛けないために、100円ショップで‘首から下げるソフトケース’を探した。
女子は赤い紐・男子は黒とグレーのがあった。
名前・クラス・旧姓を書いて、参加するゴルフかハイキングか観光かも入れる。
‘ラベル屋さんHOME’で作ってみました。
書体はHGP行書体・MSゴシック・MS明朝と3種類で作ってみたが、どうも気に入らないので毛筆でも書いてみました。
2月初めに色々な見本を持って行って、皆なの感想を聞いてから、決めます。。
それにしても、100円ショップには、ありとあらゆる物があって驚く。
戦後できた商売だろうと、ウイキペディアで調べたら、大正15年に高島屋が‘なんでも十銭均一’の売り場を出してから、昭和5年頃から全国に‘十銭ストア’を作ったそうで驚きました。
‘百均’の品物の管理は、当然CPでしていて、本部から売り場の状況をみて、品物を少しづつ入れてくる。84個の名札は一度に入らないそうです。5 ~10個くらいづつです。困った!
今日も名札を買いに行った。無駄足を踏みたくないので、入ったかどうか電話で、バーコードを読み上げて、画面を見てもらう。店員さんとすっかり仲良くなりました。



2013年1月18日金曜日

ワインシャワー

スポーツクラブの玄関に飾られている花は、様々な蘭で楽しめる。
1ヶ月くらいで変えていますが、その植え替える時に出会うと嬉しい。
正月からは、ワインレッド色のシンビジュームが見事です。
塩山市の蘭園の作品らしい。
暑さ寒さに強く、花期が長いシンビジュームは、改良が盛んで、珍しいものが多く、値段も手頃で楽しい。
原産地は東南アジア。
花が終わると、葉が立派なので、部屋に置いて邪魔になる。
近頃は‘テーブルシンビ’が人気です。翌年に花芽をつけさせて咲かせるのは難しい。
以前、赤ワインをデキャンタへ移す時に、シャワーのように注ぎ、且つ澱を漉してくれる‘漏斗(2000円)’が、デパートのワインの売り場に置いてありました。
その商品名は‘ワインシャワー’だった。
「ワイン好きは、こんな作業も楽しむんだ!」と 思ったことを思い出した。

2013年1月15日火曜日

からくり人形

友人達と打ち合わせを終えて、軽く食事をして、外へ出ると暗くなっていた。
地下鉄へ降りて帰る友人、デパートへ寄る友人、銀座4丁目の交差点で別れて行く友人、JRで帰る我々数人は、雑踏の中をかき分けて、有楽町駅に向かっていた。
安藤七宝店へ差し掛かると、音楽が聞こえてきました。
和光の時計が5時半を指していた。
「ラッキー!からくり人形が見られるワ!」
一日に4回、5分間だけ動く‘からくり人形’です。
壁を見上げる形に、縦に嵌め込んであります。
あまりに近かったので、写真は上と下に別けて撮りました。

人形制作   夢童由里子
作曲・演奏  藤掛廣幸                   


寒さを忘れて、見上げていました。



雑踏や我もからくり冬の街       つるばみ

2013年1月14日月曜日

雪の成人式

今朝起きた頃は、雨だったけれど、雪に変わってから、づ~っと降っています。
今日は成人式なので、お嬢さん方の振袖や足元の様子が心配になりました。
うちの前の交差点で、車の追突があったり、長い渋滞ができたり、警察や救急車のサイレンが頻繁です。

前の道は、蕨市北町だけれど、ここが‘成人式発祥の地’と言われている。
終戦の翌年11月に、青年団の提唱で成年式を行って以来、広まっていったそうです。
蕨城址公園の一角に記念碑があります。

2013年1月11日金曜日

松飾り

散歩がてら智内画伯の玄関の‘松飾り’を見に行きました。
今年も見事なものです。1m以上もある備前焼きの大壷が脇役にまわっている。
毎年の大晦日に活けられるとのことです。「明日は花活けせねば!」と30日に仰っていた。
三学院の参道脇のお宅なので、お参りの方々も楽しまれている。
旧正月まで飾られている。その後は、アトリエの入口にも形を変えて活けられています。http://scorpion904.blogspot.jp/2012/01/blog-post_14.html
昨年秋に、パリで10日間個展をひらかれて大盛況だったとか話して下さった。
その折りのアルバム(29×29cm)が届いたということで、1冊下さった。説明文は全てフランス語です。読めなくて分からないけれど、絵は素晴らしい。
智内画伯は、ピアニスト智内威夫氏の父上です。

2013年1月9日水曜日

左手のピアニスト 智内威夫

正月三が日も過ぎての第一日曜日に、ご近所誘い合って‘智内威夫ピアノリサイタル’へ出かけました。
新年の挨拶を交わしながら、「ニューイヤーコンサートね!」と云いながら、埼玉会館へ行きました。会場の大ホールは満席で驚きました。
主催は‘いのちの電話’で、入場料は無料でしたが、帰りには皆さん次々と募金していました。
智内氏は、東京音大卒業後、数々のコンクールで入賞、ドイツ・ハノーファー音大留学中も、数々の賞に輝きながらも、右手に局所性ジストニアを発症し休学、3年間の治療、リハビリされて後、左手のみで行った卒業試験で、最優秀の成績で卒業されたそうです。
その後、左手のピアニストとしての演奏活動は大勢の人々の心を捉えています。
素晴らしいテクニックと音色に魅了されました。
演奏会の始まりは、いつもシューベルトの‘アヴェ・マリア’で、「祈るような気持ちです。」とおっしゃっていた。
シュ-ベルトの‘魔王’は、ご自身の編曲で。宮沢賢治の「星めぐりのうた」は千花氏の朗読と共に。スクリャービンの「前奏曲と夜想曲」。等など。
2時間は、夢見心地の中で終わりました。
帰り道に、「今年一年は、感謝する日々、思いやりのある日々を心がけよう!」と思った。
ハンディキャップを持つ人々に道を示す‘左手のアーカイブ’というプロジェクトも設立し活動しておられる。

http://tchinai.com/


2013年1月5日土曜日

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900~1944)

箱根登山バスで仙石原の方へ登って行き ‘星の王子様ミュージアム’前の停留所で降りた。
風に飛ばされそうになりながら、ヨーロッパ風の建物や庭を見る余裕もなく、建物の中へ駆け込んだ。

メインホールでは、乗っていた飛行機のモデル。
彼の生涯や作品を400インチスクリーンで映している。
大勢の人々が静かに、1900年前半の世界に入り込んでいた。
小説家で飛行機乗りだったサン=テグジュペリのファンは、若者が多いなあ!と展示ホールを歩きながら思った。
写真を見ていて、誰かに似てるなあ?と思ったら、日産のカルロス・ゴーン社長だった。

サハラ砂漠の中継基地・生まれた町リヨンの小さな教会・町並み。

第二次大戦中にアメリカへ亡命。
1944年地中海コルシカ島から飛び立ち、マルセイユ沖で消息を絶った彼のファンは、今も世界中にいる。
小説の中で「お前自身の裁判をしなさい。それが一番難しい。他人を裁判をするよりも。」と、砂漠に住む白い狐に語らせている。
帰り際、ショップで気に入った便箋と封筒を買ったけれど、こんな可愛いお手紙を出しても失笑しないでくれる友の顔を思い浮かべてみた。

2013年1月3日木曜日

箱根駅伝

1月2日、小田急ロマンスカーが小田原へ近づくと、窓外に、赤い読売新聞社の旗を持っている大勢の人々が、沿道に見えてきた。
風が強いようで、何もかもはためいている。車内には、一気に駅伝気分が湧いているようだ。
箱根湯元駅に降り立つと、「あと20分ほどで選手たちが通ります!応援してください!」と アナウンスしていて、自然に誘導されて沿道に割り込んだ。
丁度12時20分頃だったので、観戦してから食事をすることに決めた。

道路にはみ出さないように綱が張ってあるが、広報車が「旗は前に突き出さないで下さい!選手が走り難く、危険です!」と云いながら、ゆっくりと走って行く。
「5区にタスキがわたったぞ!一位は東洋大だ!」と ラジオを聞いていた夫が言った。スマホではない。


皆なドドッと身を乗り出していると、やがて青いユニフォームの東洋大が見えてきた。「トシキ~」と口々に叫んでいる。名前を呼びながら応援するんだア!と感心していると、今度は日体大がやって来た。「ショウタ~」と叫ぶ。

次に、エンジ色の早稲田がやって来た。「シュウヘ~」次々とくる選手の名前を調べている人がいて、大声で音頭をとっているようだった。
選手は、苗字や大学名を言われるより、名前で呼ばれる方が元気が出るだろう!と思う。
選手たちの後ろ姿は、とても華奢にみえた。

向かい風が強いけれど、山道になったら、どうなるんだろう?と心配した。
ロマンスカーの中でも「今日は、強風の為に海賊船もロープウエーも運休しております。他の交通機関をご利用下さい!」と放送していたっけ。
15~6人が通過した後、幼い子連れなので、混まないうちにと‘箱根蕎麦’を食べました。
店内のテレビでは、もう山道を登ってゆく苦しそうな様子を映していた。