2009年10月26日月曜日

ガマズミ(炗迷) (スイカズラ科)

 「青森萬40茶(500ml150円)」が発売されると新聞で読んだ。県内40市町村の特産品を使っているそうだ。
‘16茶’が発売された時に、16種類もの品々を煮出しているのか!と驚いたが、青森県のものは、40種類も入っているのか!と 又 驚いている。
その中に‘ガマズミ’や‘ふのり’も入っているとか。どんな味なのだろうか?
 一昨日から二日間、栃木県の黒羽町へ出かけた。
黒羽町は元禄二年(1689年)、松尾芭蕉(1644~1694)が「奥の細道」への旅の途中に、14日間も逗留した場所です。当時、黒羽藩の城代家老の桃雪がもてなしている。若い頃の桃雪は、父親が江戸詰めの折りに、弟(翆桃)と共に芭蕉に師事していたと考えられている。
大田原市黒羽町へ故郷の幼馴染の句友9名で出かけた。那須野が原は稲刈りも終り、紅葉が始まり、那珂川の落ち鮎の塩焼きは、美味しかった。寺の境内で ‘真っ赤に熟れたガマズミの実’を見た。酒に漬けたり、漬物、染料に使ったりするそうだ。この時期、木々の実は赤く熟れていて ピラカンサ・ナナカマド・姫柿・サルトリイバラ・南天・真弓の実が、鳥達に食べられるのを待っている。

 

2009年10月20日火曜日

幸せの黄色いインコ

 「地図のない道」 須賀敦子(1929~’98)著 を読んでいた昼下がり、「ピーイ・ピーイ」と鋭い鳴き声がした。ベランダの手摺りに黄色いインコが止まっている。そーっと近づいて、右の人差し指を出したら、首をかしげながら、指に移ってきた。後ずさりしてそっと窓をしめ、ベットに置いたらシーツを啄ばみ始めた。ザルを被せて、お猪口に水を入れて与えると、よく飲んでいる。
「セキセイインコを預かっています。」という張り紙をして、交番に届けて餌を買ってきた。「こんな狭い所だと死んじゃうぞ!」と云うので、又、鳥屋さんへ鳥篭を買いに走った。
 セキセイインコはオーストラリア原産で、草食性で植物の種子を摂る。まだ、足も嘴もピンク色をしていて若いようだ。誰も引き取りに来ない。もう1ヶ月も、我が家に居る。
 毎日10時と3時に小松菜を食べさせていると、幸せがやってくる気配を感じる。

2009年10月16日金曜日

牡蠣筏

 牡蠣筏は、竹を格子状に編んで作られていて、瀬戸内海のあちこちに浮かんでいる。昔の‘浮き’はドラム缶だったけれど、今は発砲スチロール製と聞いた。その下に、‘種牡蠣’をつけたホタテ貝の貝殻が針金に結ばれて、沢山ぶら下がり養殖している。筏は潮に流されないように、太いワイヤーロープで繋がれている。
 走る列車の窓から海を撮った。3年前、初めて小さなデジカメを持った時に、「走っている時には、レンズを窓に押し当てて撮る。」と教わった。
 結婚する前、夏には会社帰りに友達と、週2~3回は泳ぎに行った。会社の前からバスに乗ったまま、町中を通り過ぎて海岸まで行く。‘会社の海の家’に荷物を置いて、沖の‘牡蠣筏’まで競争する。筏の上で一休みして、次ぎの筏へと泳いだ。
どこまでも泳いで行けそうだったあの頃。夕陽は小さな波を金色に輝かせながら沈んで行く。暗くなる前に家に帰らなければいけないから、井戸水で塩を流して、大急ぎでバスで家路につく。
 あの頃は、皆と他愛のない事で、よく笑い転げていた。「箸が転げても可笑しい年頃じゃねえ!」 と笑われていた。

2009年10月15日木曜日

ハナユ(花柚) (ミカン科)

 馬の背のような丘から瀬戸内海の港を見下ろす。ここに先祖の墓がある。 掃除をし、線香を焚き、手を合わせると、「そのうち此処が棲家となるのだなあ!」 と思えてきて親しい気持ちになった。お墓の横に植わっている‘ハナユ’が、今年も沢山の実をつけていた。10月も半ばになると黄色くなっているのもある。実は柚子より二回りも小さく、酸っぱくて香りは淡い。徳島の酢橘・大分のカボス・福岡のキズ・和歌山のジャバラも似た種である。帰り道、カラタチ(ミカン科)の実も沢山生っていた。北原白秋が 「まろいまろい金のたまだよ」 と詠っているとおりだ。
白い細かい産毛に覆われていて、一層丸く感じられた。

  「海見ゆる丘や今年も花柚もぐ」     つるばみ

2009年10月14日水曜日

子供獅子


 あちこちで秋祭りが行われている。15日は、千種区の城山八幡宮秋の例大祭で、11日は「子供獅子総参拝」があるというので、付いてまわった。
 八幡宮は織田信秀(信長の父)・信行公の末森城址にある。
町内の子供達が、次々と‘獅子宿’の前に集まり、五連のみたらし団子・菓子の袋・乳酸飲料・親には抹茶が振る舞われる。70名くらいいるので驚いた。列の最後尾を守っていた方が、「半被は85枚貸し出したのだけれど、午後の参拝に来る子もいるから。」と言われた。少子化と言われているのに凄いなあ…。
そうこうしているうちに、別の町の子達が来たので出発。小さな獅子頭を冠る子・小さな太鼓・細い拍子木を鳴らしながら歩く。次ぎの宿でも、同じように振る舞われる。町内の役員さん達は忙しそうだ。奥では、おにぎりも握っていた。毎年楽しみだろうなあ!と思った。
「二礼二拍子一礼」も教わる。小高い山へ上がって、御祓いを受け、おみくじを引いて、おもちゃを貰う。
    例大祭の日には、4000個の餅を撒くそうだ。

2009年10月6日火曜日

イワナ (岩魚)

  「夏休みをとって、北海道へ`岩魚’釣りに行ってきた!」という便りを貰った。「美唄町の自然の家にビバークして、富良野金山湖の奥地へ入り、ポントナシベツ川の源流で釣った!」と書いてあった。初めて見る丸い点々模様の岩魚!こんなに沢山釣れて、少年のように喜んでいる様子が目に浮かんだ。「自然の家で、燻製にしたり、骨酒用に焼干した。」 と。   岩魚の骨酒って?
2年前の6月、旭岳の麓のログハウスに泊まった折りに、山のように積まれた‘薪’を美しいと思った。御主人が「電気・ガス・石油より、薪が大切!」と言っていたっけ!
囲炉裏の側で飲む`岩魚の骨酒’は、人生の一山も二山も越えた男達には、沁みるだろうなあ。 若い男性は、‘草食系男子’なんて言われないで欲しい。そして ‘古代からの狩りをする本能’を心の中に取り戻して欲しい。

2009年10月3日土曜日

クランベリー (ツツジ科) 和名 つるこけもも



花壇の植栽の日に、花苗を届けてくれた店から ‘クランベリーの苗’を戴いた。「水を切らさないで。蔓を挿し木すると増えますよ!」と言われた。
 育て方を調べていたら、水を切らさずに酸性土で、夏を涼しく過させる。ピンクの花が咲き、実は徐々に深紅になる。
 収穫が面白い。「高さ15cmくらいの木が、冠るほど畑に水を張り、揺すって、実が水面に浮かんだところを機械で掬い取る。」とあった。水は春まで抜かずに、越冬させるそうだ。北半球の寒冷地帯で栽培されている。
「北海道を旅した時に、沼地に点々と真っ赤な‘つるこけもも’の実を見たことがある。」 とSさんが話していた。
 「ナンタケット島のクランベリーの収穫」 イーストマン・ジョンソン(1824~1906)の絵を、見ていて思い出した。
今年5月に米東海岸へ旅行するつもりだったが、身体の具合が悪くて行けなかった。そのパンフレットには、「ナンタケット島を訪れて‘素晴らしいバスケット’も、お買い求め頂けます。」 と書いてあった。一個が 5~65万円もするんだ!と 驚いたっけ! 世界中のお金持ちの女性が欲しがる‘バスケット’も、その昔は、クランベリーを摘んで入れたり、生活の中で使われていたのだろうなア!と思った。