2012年5月28日月曜日

じゃこてんと島らっきょう(ユリ科)

宇和島藩の初代藩主伊達秀宗が、仙台を思い出して‘じゃこてん’を作らせたと言い伝えられているそうです。
今でも、練りあげた‘ハランボ’を、昔のままに、木の型へ詰め、手の平で押して、揚げたものは、歯ごたえがあり懐かしくて、美味しい。
蒲鉾の原料はエソです。
松山の友人が「この店のが!美味しいのよ!」と言って呉れました。灰色をしていて素朴で、元気が出てくる思いでした。
次の日、野菜売り場を歩いていて、島ラッキョウを見つけた。
「沖縄から来たのねエ!」と言いながら求めた。
キリッと辛くて、シャリシャリした歯ごたえ!
味噌をつけて食べて良し!てんぷら良し!浅漬け良し!かつお節と醤油だけで良し!今頃が旬なのでしょう。

2012年5月24日木曜日

ヘビイチゴ (バラ科)

子供たちが幼い頃からの、40年来の友人と鶴川で待ち合わせて、‘武相荘’へ出かけました。
鶴川街道から、左に少し登ると、長屋門が見えてきた。その奥に藁葺き屋根の屋敷がある。その裏には竹林と林の散歩道と薪の蔵などがある。
白洲次郎正子夫妻は、参戦当初から敗戦を予想して、鶴川の農家を買い取り農業を始めた。柿の多い土地らしく‘禅寺丸柿’の大樹があった。小さい柿の花が、一面に落ちていました。
季節の草花は、自然に任せながらも、素敵な感じにまとめられてあります。
ヘビイチゴがあちこちに赤い実をつけていた。久し振りに見つけた!
受付の横の休憩所に、次郎が17歳の時に、父白洲文平から買い与えられた車と同じ型の5人乗りのオープンカーが置かれてありました。
1916年型ペイジSix-38


生き方や暮らし方にこだわり、信条にこだわり生きられる生活。夫婦が対等に発言して伸び伸びとした暮らし。

遺言を書いた紙も展示してありました。
「葬式無用、戒名不用」 と。

2012年5月23日水曜日

銀座 奥野ビル

雨の中、友人達とゾロゾロ銀座の‘写真弘社’の写真展へ出かけました。
沖縄・高梁市・京都・浅草を撮って歩かれているベンシモン(米)本人がおられた。写真に詳しい友人が、写真の色について話していた。
そこから3分くらい歩いて、奥野ビル6Fの画廊へ、堀越千秋氏の絵を観に行った。
古色蒼然としたビルで、エレベーターに乗ったら、住人の年配の方が一緒に降りて下さって、「この扉は、手で開けて降りたら、蛇腹と外の扉と二枚を手で閉めて下さい。」と言われた。
昭和7年に建造されて、設計は青山同潤会アパートの川元良一氏だそうです。
狭い部屋がいくつもあり、アパートだったのだろう。階段に立つと、フランス映画の一場面を彷彿とさせる。
1階の西洋アンティークの‘Y'sARTS’ を覗いていたら、「3時から昭和初期の断片キネマをやりますよ!」と誘われたけれど、雨は止みそうにもなく、風も出てきたので、帰りを思って断念した。

2012年5月20日日曜日

さくらんぼ (バラ科)

お庭で実った‘さくらんぼ’を戴きました。
こんな宝石のような実の生るお庭の家って!どんなのだろう!
親指と人差し指で、そっと抓んで口に入れる。甘く、皮が柔らかくて、種が一つある。
セイヨウミザクラという種類らしい。原産はイラン・トルコの辺りで、有史以前から食べられてきたらしい。
1860年頃から歌われている‘さくらんぼの実る頃’というシャンソンを歌った。
「さくらんぼの実る頃はウグイスもツグミも歌う。耳飾りのようなサクランボの季節は短い。僕は恋をすることを恐れない。実ることはなくても。」
儚い恋の歌だけれど、パリ・コミューン弾圧の苦しみを重ねて、1875年頃さかんに歌われていたという。

さくらんぼ食めば幼き日々のこと  つるばみ

2012年5月19日土曜日

トラジャコーヒー

インドネシア・スラウェシ島の山岳地帯で栽培されているコーヒーです。
トラジャ族が住む一帯は、コーヒー豆の生育に適しているらしい。
オランダ東インド会社により、ヨーロッパへ運ばれ、珍重されてきた。
これは http://www.singacoffee.co.id/  のものです。

30年前にジャカルタに住んでいた時には、よく飲んでいました。乱暴にも、沸かした湯で少し煮て、落ち着いたら上澄みを静かに注いでいました。
最初は苦いなあ!と思っていたけれど、砂糖を入れないと、甘味がかすかに立ち上り、忘れられない味になった。

ジャカルタから車で7時間かけて、ボゴール植物園を通り、ゴムやヤシ栽培の畑を抜け、峠をいくつも越えて、インド洋に面した‘サムドラビーチ’へ行ったことを思い出した。
戦後、賠償金で作ったスカルノの別荘やホテルがあった。窓の外の木から、部屋に蛇が入ってきて大騒ぎをしました。


2012年5月16日水曜日

じゃがいもの花

友人が送ってくれた写真です。野菜の花は清楚で美しい。
けれど、芋に栄養を集めるために、蕾は取るそうです。

退職後に、畑をしている友人から、「‘北あかり’の評判が良いので、今年は100株以上植えたら、全て芽が出て順調です!花が咲き始めた!」と便りを貰いました。
北あかりは‘栗じゃが’と呼ばれて、甘味のある、黄色のじゃがいもで、この辺ではあまり見かけない。サラダやコロッケに向いているそうです。
北海道には、他にも様々な種類のじゃがいもが生まれているようです。
子供たちが小さい頃、よく‘ポテトチップス’を作った。
スライサーで薄く切って、水にさらして、揚げるけれど、なかなかパリッと仕上がらなかった。
友達が二度揚げにすると良いとか、水に晒した後、水気をしっかり取ること等、教えてくれた。
油が酸化することや塩分のとり過ぎや市販のは、軽くて食べ過ぎるなどと心配していた。いつも添加物を気にしていた。
よくスライサーで指をスライスした。昨日、カブの浅漬けを作ろうとして、指がすべって、久し振りに、スライスしてしまった。
じゃがいも(ナス科)の花言葉は、情け深い・恩恵です。

2012年5月15日火曜日

ぶり大根

「今日は、魚の煮付けにしてくれ!」ということなので、「煮付け!煮付け!」と言いながら、スーパーへ出かけた。
魚売り場には鰹が沢山出ていたので、「鰹のたたきにしたいなア!」と思ったけれど、煮付けの魚を探した。
ワラサのアラが、トレーからはみ出さんばかりに盛ってあって、320円だったので「ブリ大根かなア!」と決めました。
今の季節は、イナダとワラサが多い。まだブリにまで成長していない。
お頭から尻尾までそろっていて、豪勢な‘ぶり大根‘になりました。

2012年5月12日土曜日

韻松亭

上野公園でお昼を食べて、午後は人形町の区民会館で句会なので、早目に‘韻松亭’に入りました。
「茶壷三段弁当(¥1680)」を注文して二階へ案内された。
明治6年に明治政府が、上野公園を作り、食事所として民間にお店を出させた。と店の案内に書いてありました。130年の歴史の中で、横山大観がオーナーのこともあったとか!
芭蕉翁は「花の雲鐘は上野か浅草か」 と詠まれているけれど、寛永寺の鐘の音が松に韻く(ひびく)さまを店の名にしたそうです。
二階の窓から梅の木が見えて、小さな梅の実が可愛い。
豆腐料理を中心にした料理で、おから茶が爽やかだった。

外へ出ると、お客さんが列をなして待っていた。
「早めに入って良かったねえ!」と話した。

2012年5月11日金曜日

不忍池

不忍通りを歩いて、言問通りを渡って、不忍池を目指しました。
湿布を貼って、サポーターをつけた膝を心配しつつ、歩き方(O脚にならぬよう)に注意しつつ歩く。
途中‘有形文化財’に指定されている欅造りの建物を見たり、お喋りしながら歩く。
この店の3階に上がると、眺めが良いだろうなあ!と思った。

ボート池・蓮池・鵜の池を見ながら、弁天堂に着いた。池一面に、明るい緑の蓮の葉が拡がっているだろうと思ったけれど、破れ蓮が突き出て残ったままだった。今年の寒さが長かったからだろうか?
池の畔には‘黄菖蒲’が、明るく咲いていました。
明治以前は、湧水の不忍池には、藍染川も流れ込んでいたのだとか。

弁天堂の横の藤棚の下で、皆無口になって、句作りをしたり、推敲をしている。
そんな友人達の姿を見ていて、「良いなあ!」と
ちょっと感動した。
数日前に「雁」森鴎外著を読んできた!と、男子の一人が話した。当時の不忍池はどんなだったのだろうか?お玉は?雁は水炊きに?と 皆で話し合った。
彼は高校生の頃から真面目な青年です。

藤棚の若葉匂ふや池の端     つるばみ

根津神社

「吟行会へ出かけましょう!」と、高校時代の同級生8名で出かけました。
地下鉄千代田線の根津駅に集合して、根津神社のつつじを見ながらという予定だったけれど、花は終わっていて、境内は静かでした。

根津権現喧騒遠く夏に入る    つるばみ




神社を出て、不忍通りを横に入ると‘藍染大通り’がある。
かつては染め洗いをしたという藍染川があり、染め物屋が多かったけれど、川は道路になり、‘丁子屋’という店が残っている。

つつじ風吹くや藍染大通り     つるばみ

2012年5月9日水曜日

エビネ (ラン科 エビネ属)

「何年も経つのに、ベランダでは花が咲かないの!地植えにして!」と言って鉢を持ってこられた。
エビネに良い環境は、暗めの日陰で、風通りの良い場所です。林の中が良いんだけれど。
湿気が多いと病気になり伝染する。
日本の山野に自生する地味なランは、昭和40~50年頃ブームになり、姿を消しました。
現在絶滅危惧種に指定されていて、交配も盛んに行われているそうですが。
高い建物に挟まれ、風は東西に抜け、南の通路からも風が入る涼しい場所に植えたので、昨年から咲いてきました。
葉だけの時は誰も見ないけれど、今みんなの目を引いています。
昨日通りがかりの人から「あら!エビネじゃないの?盗まれるわよ!」と言われて、暗い気持ちになりました。

2012年5月7日月曜日

深谷駅

埼玉県北の深谷へ仕事で出かけました。
いつもは車で、産業道路ー17号ー熊谷バイパスへと65kmの道のりを飛ばすのだけれど、高崎線で行きました。車は、ゴルフ場へ行ったから。
駅が15年前に建て替えられた頃は、ピカピカだったけれど、風雨に曝されて落ち着いてきました。街燈も明治時代風です。
‘くるリン’バスで町を周ると、‘血洗島(ちあらいじま)’というバス停があるけれど、渋沢栄一(1840~1931)が生まれた場所です。
彼が‘日本煉瓦製造’を上敷免(じょうしきめん)に作ってから、煉瓦を東京へ運び、東京駅・旧日銀・法務省旧館・赤坂迎賓館など等を建てたと、町の歴史に残っています。
当時のホフマン釜・変電室・事務所などは、今も町に残されています。
渋沢の従兄の尾高惇忠(1830~1901)は、近くの‘下手計(しもてばか)’という場所で生まれました。初代富岡製糸場長で、女性の働き手を集めるのに苦労したそうです。
技術指導にきているフランス人達が、ワインを飲むのをみて、「娘の生血を飲む!」と恐れて、応募する人はいなかったというのを読み、私は笑えなかった。
尾高の14歳の長女‘ゆう’が率先して‘伝習工女’に応募し、労働条件、収入、生活面の向上に尽力したと、言われています。
今日は五月晴れの清々しい天気だった。

2012年5月6日日曜日

鈴蘭 (ユリ科)

今日は中庭花壇の植栽日でした。毎月第2日曜日だけれど、丁度母の日に中るので、前倒しで今日になりました。
午前中は曇りで午後は雨とか。植えた後に雨が降ってくれるのは有難い。
チューリップの花は終わったけれど、来月まで肥料を施して、6月の第2日曜日に球根を掘り上げます。
チューリップの葉の間のパンジーを抜いて、ブルーのセイジを植えた。

建物の裏手に広がっっている‘鈴蘭’を撮りました。何方が数年前に植えられたのが、徐々に広がって、畳2枚分にも広がっている。

5月1日は、パリでは、‘鈴蘭祭り’とか。花を贈り合うそうです。
花言葉は‘意識しない美しさ’。

2012年5月4日金曜日

小手毬 (バラ科)

あちこちに‘小手毬’が咲いている。小さな花だけれど、集まって鞠のように丸く咲いている。枝が弓なりになって花を付けるので目立つ。
花の鞠は、一枝に20個くらい付くようです。
中国原産で江戸時代以前から、日本で咲いていたらしい。
茶花としてもよく使われています。
日当たりが悪いと、カイガラムシが付くらしい。
インド料理店がつぶれた時に、店の外へ、いくつも残していった素焼きの壷に植えられいます。
少し前までは、別の壷にヤマブキ(バラ科)の黄色い花が、溢れるほど咲いていた。
頭にターバンを巻いたインドの人が、笛を吹いたら蛇が出てきそうな、大きな壷です。

いつもブレてしまうのは、カメラをしっかり持っていないせい?老眼のせい?

2012年5月2日水曜日

柏餅

「もうイッコいい?」と、ちょっと甘えて、お母さんに聞くワンパク坊主はいないけれど柏餅を作った。
上新粉を電子レンジにかけて、熱いところを搗いて、捏ねる。
母が手水を付けながら、手早く丸めた餡を挟んで作ってくれたことを思い出した。
母が一番心にかけていた弟は、三人姉妹にはさまれて無口な子だった。
桜餅の季節が去って、もう柏餅の頃になりました。

2012年5月1日火曜日

千波湖

水戸偕楽園でツツジを観る予定だったけれど、未だ1分咲き、三分咲きといったところだった。
古木を形良く剪定してありました。
常磐線が下を走っている南の突き出た場所‘仙奕台(せんえきだい)’から見渡すと‘千波湖’がキラキラ輝いて、白鳥のボートが見えた。
石造りの琴・碁盤・将棋台があり、松ノ木が似合っていて、風流な雰囲気です。
いざという時は、砲台の役目をしたとか。
水飲み場で水を飲んで、水を高く上げて撮ったけれど、水粒をくっきり撮るには、シャッタースピードだろうか?
湖畔には八重桜が、今を盛りと咲いていました。