2011年11月30日水曜日

浄土遊

 24年前、智内兄助画伯は、つてを頼ってブータンへ入国し旅をされ、その後も何度も訪れて描いてこられている。
画集「浄土遊」の絵と文は、ブータンの神秘さを余す所なく描かれてあり、惹きつけられる。
目次の「帰依・転生・業・禊・掌・黄泉路・花・空・耽・鎮魂・縁・産」と題した絵は、自然の中で感じたままを現しておられる。
その中の「CHENCHO」は少年の僧がモデルです。「目を閉じたポーズをしている内に、スーと魂が抜けて眠ってしまうチェンチョと、細い線を重ねている僕の魂もフワフワと宙を漂っていく…」と描かれている。後ろのの文字は、チェンチョの名前がゾンガ語で書かれています。今では彼も立派な青年僧に成長しているだろうか?

2011年11月29日火曜日

ブータン王国の国王夫妻

 チベット仏教の国から日本へ、若い国王夫妻が新婚旅行で来られた。
国旗に龍の絵。国花はメコノプシス・ホリドウラ(ケシ科)。国木は糸杉。国鳥は渡鴉。
どんな花なんだろう?と調べたら、群青色の神秘的な花だった。‘ヒマラヤの青いケシ’の青より濃い青に見える。花弁が多いせいだろうか。
 数年前、友人から「ブータンに来ています!何たって空気と自然が素晴らしい!神秘の理由は、若い王様(ハンサムで未婚)と父王への信頼と親しみにあると思う!」という絵葉書が届いた。「お婆さんまで色鮮やかな織物‘キラ’を着ているのよ!」とあった。
今年六月の便りには「春に国王の妹さんが京都へ、秋には国王の結婚。」と。

 被災地の中学校を訪ねられた折に「君たちは龍を見たことがあるかい?僕は見たよ!僕の中にもいるよ!…どんな困難にも打ち勝って!」と話されたのには、本当に感動しました。

2011年11月28日月曜日

クリスマスの贈り物

 ポインセチア(トウダイグサ科)をあちこちで見かける季節になりました。
花言葉は「私の心は燃えています・祝福」なので、プレゼントにぴったりです。
メキシコ原産の情熱的な赤い葉は、クリスマスカラーなので、トナカイの橇の鈴の音がシャンシャンと聞こえてきそうです。

 ショーウインドーを覗きながら歩いていると‘SABON’の窓にリボンのかかった箱がアレンジされてあった。
オーストラリアの伝統的な製法に拘ったテルアビブの小さな手作り石鹸は、今や世界中に愛好者がいる。オリーブオイル・グリセリン・死海の塩や泥の天然ミネラル類をベースにしています。
入浴用品・ボディケア・フェイスケア・部屋の香り・男性用品・石鹸!どれも気軽なプレゼントになります。

2011年11月25日金曜日

生姜糖

 「初めて植えてみたけれど豊作でした!」と掘りたての生姜を頂きました。
節電を叫ばれているこの冬に限らず、生姜は一年中大切な食品です。
漢方薬として、食欲増進、毒消し、殺菌、喉に良い、身体を温める等などと知られています。外国でもジンジャーエールは好まれている。
下ろして小分けにして冷凍。甘酢につけてガリを沢山作りました。
近頃めったに出会わない‘生姜糖’を作ってみました。作り方が解らないので、インターネットに教えてもらった。薄切りにして、三回も茹で溢したのに、齧るとピリリと利いて癖になる。
江戸時代に伊勢神宮への供え物だったけれど、やがてお伊勢さん参りの土産として喜ばれていたらしい。

2011年11月24日木曜日

「子規と漱石展」

 広島県の筆の産地・熊野町で「子規と漱石展」が、11月に1ヶ月間開催されました。
子規と漱石は、東京大学予備門在学中に巡り合われて以来の親交で、漱石が一年間松山中学に勤務していた折に、同じ家に50日間暮らしている。
会場には、お二人の書斎が再現されてあった。と、妹が写真を添付してくれました。


明治27年に、子規は根津にあった、元旧加賀藩前田家の侍長屋に住み、母と妹さんを松山から呼んで、病に臥しながら、文学の近代化の為に発信し続けて、34歳で亡くなられた。
「朝顔や絵の具にじんで繪を成さず」という句に感動したわ!と便りにあった。
庭に向かって置かれた机は、左足を立てて寄りかかる為に、四角に切り取られてある。庭には鶏頭や糸瓜も植えられていたろう。
庭の先に井戸があり、日々、律さんは家事のために水を汲みに行く。
「萩芒水汲みに行く道一つ」という句は律さんの様子を詠まれたのだろう。
数年前に句会の友人達と、根津の子規庵を訪ねた折に、庭の井戸を覗き込んで「これが、律さんが朝に夕に水を汲んだ井戸なのか!」と、その家事と看病の大変さを思った。
その吟行会で作った句「律さんの井戸秋草に覆われて」 つるばみ    すっかり水は枯れて、底の方に、秋の雑草が生えていました。
子規庵は昭和20年の戦災で焼失、26年に寒川鼠骨らの尽力により再建。今はボランティアの方々によって、運営されています。

2011年11月22日火曜日

隼人瓜とヤーコン

 「秋の収穫物を送ります!」という便りと共に、10種類もの野菜を送って頂いた。有機農法で素人の作品とも思えない立派さです。
今夜はヤーコンの炒め物にしました。生姜・長ネギ・残っていた肉・しめじ・ヤーコンの細切りを胡麻油で炒めて、オイスターソースで仕上げました。
ヤーコンはアンデス山脈原産でフラクトオリゴ糖を多く含み、血糖値抑制効果があるといわれて、大人気の食品です。
 

初めて見た珍しい‘隼人瓜’は、鹿児島から上陸したので、そう呼ばれているそうです。噛むとシャリシャリして、爽やかです。1個は粕漬けにしようと準備して、夕食後に漬けました。早く食べたいので、薄く切って塩でころしてから漬けました。


野菜づくしの食卓で「健康になりそうです。ご馳走様でした!」とお礼を言われました。

2011年11月21日月曜日

ダイヤモンド富士

 昨年末、‘ダイヤモンド富士’の写真を撮りました!とCDで送って頂いたのを思い出して、取り出して見ました。
2010年12月22日の夕方、高尾山の頂上で撮られたものです。
夕陽が富士山の頂上に落ちていく様子を、スライドショーで見て「なんと神秘的な!」と感動しました。
その翌日の夕方から、毎日ベランダから夕陽を見ていたが、僅かに脇に沈む。やはり、何月・何日・何時・この場所からと、計算されたところで、掴まえなくてはならない。
日の出と日没にみることができる。
 最近、‘ダイヤモンド富士カレンダー’なるものがあることを知りました。

2011年11月20日日曜日

午後5時の富士山

初冬なのに昼間は24~5℃もあり、こんな日を小春日和のいうのでしょう。
移動性高気圧のせいだとか!
夕方サーッと雨が降り、サッと上がった。
その後の夕陽は、怪しい雲の動きの中に富士山をくっきりと際立たせました。
ボケた写真で情けない。5時から撮り始めたら、ドンドン暗くなってきました。

2011年11月18日金曜日

ぼてぼて茶

 「秋の縮景園へ行ってきました。」と妹から便りがきました。
縮景園は池泉回遊式庭園で中国の西湖の風景を表現したと言われています。昭和40年に浅野家から広島県へ寄贈されました。原爆投下の折りは、大勢の被災者の避難場所となり亡くなられました。
秋日和のもとで、丹精した菊の展示や上田宋箇流の野点も緋毛敷の上で行われていたそうです。
「池の周りには‘ツワブキの花’があちこち咲いていました。」と書いてありました。

「ぼてぼて茶を食べたの!」って、何でしょう。初めて聞きました。
出雲地方の食べ物で、茶筅の先に塩をつけて、番茶をたてる。大豆・漬物・こんぶを入れて、おはぎを食べながら飲む。想像できない味です。「その按配が良くて美味しかった!」とか。
松平不味公時代の飢饉の非常食・鷹狩りの折の間食・奥出雲のたたら製鉄の職人が、高温と重労働の合間に立ったまま食したとも言われているそうです。
松江城へ行く機会があったら、二の丸茶屋で食べてみたいものです。

2011年11月16日水曜日

マロングラッセ

 「おととい、パリから帰ってきたギャルリーのオーナーのお土産のおすそわけに。」と言って、マロングラッセを頂きました。
来秋、パリで個展を開かれるT先生のアトリエは、毎朝6時前にはシャッターが開く。夕方6時過ぎには家へ帰られる規則正しさです。日中2時間は泳いでおられる。
瀬戸内海の町で育たれたので、やはり凄い勢いで泳ぎ続けられる。
マロングラッセは栗の実を砂糖液で煮詰めたお菓子です。
4cm×4cmと大きくて、美しい透き通る光沢で、口の中でホロホロ溶けるような美味しさでした。
‘FOUQUET’って?と思い、googleで引いてみると、案の定フランス語なので、「このページを訳す」をクリックすると、チョコレート・菓子・食料品のきれいな写真が出てきた。
昔はマロニエの実で作っていたけれど、今は栗で作られているらしい。
来年は、教会のステンドグラスとマロングラッセを求める旅をしたいなあ!と思う。

2011年11月14日月曜日

社交ダンスパーティー

 毎年7月に開かれる市の老人クラブのダンスパーティーが、遅れて、今日開かれました。
「毎年恒例のパーティーを開くことが出来て良かった!」とご挨拶があり、二組のプロダンサーのデモンストレーションで始まりました。鍛え抜かれた身体と踊りに見とれてしまった。
JBDF東部総局スタンダードA級の臼井一史・恵組と後輩の高橋祐貴・的場永実組。次々と美しい衣装に替えて、滑らかで躍動的なステップ。ラテン系の曲は難しそうだなアと思う。

その後、会員の皆さんのダンスが始まりました。ご高齢でも背筋がピンと伸びて美しい。私は踊れないので、写真ばかり撮っていた。動画をアップしたいと思ったけれど、もたもたしているうちに、何も残らないと困るので、取り合えずシャッターを押したけれど…!
踊りが終わり、花束贈呈の時に、婦人部会長が「花束よりこちらの方がかさ張らないし…」と言って商品券をお渡して、笑いが起こったけれど、母心だなあ!と感心しました。
その後は四人の方も、それぞれが会員の方々の相手をして、大勢で踊られていました。

帰ってからプログラムを見ている時に気づいた。
市老連会長のお名前は‘義一’。県老連会長は‘加藤清正’。今は見かけない名前だなあ!と思った。



2011年11月13日日曜日

チューリップの球根

 今日は植栽の日でした。
5年前迄は、毎年10月にチューリップの球根を植えていたけれど、暖かい3月から咲き始めるので、11月中旬に植えている。
新学期になって、小学生が中庭に集まり、集団登校する時に、目に留まるように。
日中の気温が20度を下回る頃に植えるようにと聞いているが、暖かい日が続いている。来週からは寒くなるだろう。
息子を通じて、安くしてもらい、5色を60球づつ購入しました。その上にパンジーとガーデンシクラメンを植えた。植えるときに、色をどんな風に配置するかで、意見が分かれ、なんとか折り合いをつけたけれど、さて咲いてみるとどんなだろう。
昨日から考えてはいたけれども、来年は、あらかじめ図を書いてから、手際よく指示を出そうと思った。

2011年11月11日金曜日

おでん(御田)

 立冬を過ぎても暖かったけれど、今日は朝から冷たい雨でした。昼間の気温12度。おでんにしようかなァ?とスーパーで「塩釜応援おでん」というセット(2人前)を買った。
廣島に住んでいた頃は‘関東炊き’と言っていたっけ!‘たこの足’も入っていたっけ!
子供が小さい頃は、ロールキャベツやじゃがいもを入れていた。
近頃好きなのは、揚げの袋の中に餅が入ったものです。
付いているだし汁にセットのものだけでは、あまりにも手抜きなので、大根とサトイモを煮て、今年拾った‘ぎんなん’も入れました。以前はぎんなんの実を取り出すのに、ペンチで手加減して割り、鍋で茹でながら、お玉で転がして薄皮を取り、翡翠色の実にしていました。今は簡単!茶封筒に入れて、電子レンジでポンです。

2011年11月9日水曜日

七五三

 11月3日(明治節と言った時代もありました。)に、悠仁親王の‘着袴の儀(ちゃっこのぎ)’が行われて、袴姿で碁盤から飛び降りる姿がテレビで放映されました。
いつもは活発でも着物姿ではぎこちなくて、可愛かったです。
 3歳・5歳・7歳の節目に健康に育つよう願って、11月中旬に神社にお参りするしきたりです。

ビデオやカメラが普及しても、写真屋さんは大繁盛している。
特に、無料の貸し衣装で、好きなだけ撮るという‘スタジオA’は夏頃から予約で一杯とか。

友人が「うちはお盆に皆が集まった時に記念撮影したのよ!」と言ったのには驚いた。
お参りは、あらためて11月にするのだとか。成人式の先撮りも流行っていて、式当日は友人と旅行へ行くとも聞いた。

昨日「七五三アルバム(写真16枚入り)」が送られて来ました。アルバムに何枚入れるかは選べる。撮った写真70枚全てをCDにおとして、全部買いとる(3万円)方法を選択することもできるのだとか。
写真撮影は半日掛かり、親子共クタクタだったとか!
お参りは11月に熱田神宮へ行くそうです。

結婚式のより豪華で楽しめる!他にも写真入のストラップ・名刺など作ってくれるらしい。以前はテレホンカードも流行ったなあ!
何はともあれ、健康に、事故もなく育って欲しいと祈るばかりです。





2011年11月5日土曜日

カンツオーネと書

 カンツオ-ネの歌手青木純さんが、瀬崎竜彦さんの書から受けたイメージで沢山の歌を披露して下さった。
国立音大声楽家卒業後、イタリア留学、2005年10月に‘カヴァレリエーレ勲章’を受けられたそうです。
瀬崎竜彦さんは6歳の時に書を始めて、自閉症で話はされないけれど、その純真な心のままの墨の表現は心打たれるものがありました。
ピアノはハイデルベルグ・マンハイム音大へ留学後、多方面で活躍中の木住睦子さんでした。
映し出される竜彦さんの書のイメージを受けて歌われる。
「翔」では「ヴォラーレ」を。「清風明月」では「サンタ・ルチア」。「千風」では「チャオ・チャオ・バンビーナ」。「舟」では「ゴンドリゴンドラ」。「黒」では「黒猫のタンゴ」。日本で流行ったけれど、この曲はイタリアの子供の曲だそうです。「僕はワニを君に上げたのに、君は黒猫ではなく白い猫をくれた!僕は黒猫が欲しい!」と繰り返す楽しい歌です。イタリア語は解らないけれど、3度‘ビアンコ’が聞き取れた。イタリア旅行中の食事の度に‘ビアンコ!’と白ワインを注文したから。
「香」はオレンジの香りを思い出して、「帰れソレントへ」。書き出すと歌は自分の中で思いを膨らませながら歌うんだなあ!と思う。
夢・盥・木・騎・亀・兎・風・花・海・秋桜・枯・雲・笑・無限では「アルディラ」を歌われた。
会場の大田文化の森は元大田区役所だったそうです。時間があれば、文士村や大森貝塚碑を歩きたかったけれど、秋の陽は釣瓶落とし、外はもう暗くなっていて、上島珈琲店で友人とお茶しながら、もう一度‘書と歌’を思い出していた。

2011年11月1日火曜日

大岡忠相

 TBSテレビで、平日午後4時に、ドラマ「大岡越前」を放映しています。俳優さん達の若いこと!亡くなられた方も若くって元気です!ご家族の方は楽しみに見ておられるだろう!今日は私の72歳の誕生日なので、「大岡越前」を見ていた当時は、私も若かったろう!
 先日、弁護士会館の角に立ち、モニュメントを見ていた時に、「江戸時代ここは誰の屋敷があったでしょう?」と黒田涼氏が言われた。「ひょっとして?大岡越前守忠相?」と友人が言った。「う~ん!なかなか粋な縁だなあ!」と思った。
吉宗の時代に町奉行から大名になった人らしい。それもゴマスリで取り立てられたわけではなく、様々な事業に取り組んでおられる。
 暫く歩いて‘法務省赤レンガ棟’へ着いた。明治時代の美しい建物です。関東大震災の時は大丈夫だったようだが、大戦の折に空襲でレンガ壁と床のみを残し崩れたそうですが、戦後再建されました。

この地は江戸時代米沢藩上杉家の江戸屋敷跡地という碑がありました。

 

石垣

 四ツ谷駅を出て、四ツ谷見付け橋を渡ると、上智大学の塀には江戸時代の石垣が残っている。綺麗に接いだ‘切込みはぎ’です。


紀尾井町の国道246号沿いに赤坂見付け跡の碑があった。筑前福岡藩主黒田忠之が建てた枡形の石垣が残されていた。
「いつも草茫々で見えないけれど、ラッキーです!刈ってある!」と言われたので、陸橋の上から撮りました。
江戸城36見付け(敵の侵入を防ぐ警備の門)の一つです。









暫く歩いて、桜田門に着いて、外枡形門の美しい石垣を見た。左側は堀です。