2009年1月29日木曜日

湯のし店

 近所のしもた屋の軒に、風雨に曝された木の「○○湯のし店」という表札が掛かっている。家の裏手で反物の湯のしや、洗いをして居られるのかしら?と、いつも気にかかっていた。
 ある日決心して、呼び鈴を押して御主人に聞いてみた。「祖母と母の古い着物が数枚あるのですが、解いて、洗い、しみの取れないのは染めて、仕立て直せるでしょうか?」 「一度見せて下さい。絹物、麻上布は、古くても生き返りますよ!紬は洗いを重ねる程、艶と腰が出ます。昔は最初に女中さんに着せて、艶が出てきてから奥様が仕立て直したものです。」と言われた。処分しかねていた思い出の品々を甦らせる作業を進めるうちに、着たくなってきて、着付け教室に週1回、2年間通った。BWHのサイズが同じ寸法になってきた此の頃は、ますます着物が馴染んできた。子供の頃の友達に会うと「お母さんに似て来たね!びっくりした!」と言われる。母は、戦中戦後の食糧難の頃、庭を畑にし、鶏舎を作って卵をとり、鶏糞を肥料にして、美味しく食べさせて呉れたなあ!と思い出す。

2009年1月25日日曜日

ジャーマンアイリス(アヤメ科)

 ジャーマンアイリスの原産地は、ヨーロッパの冷涼地から、雨の少ない地中海沿岸地方です。19世紀から品種改良がさかんに行われるようになり、今日ではアメリカが本場で、人気は圧倒的で今なお品種改良が進んでいるようである。色と香りと姿が競われている。
 昨夏、今はもう閉じられているN車両の社宅(中層の建物が何棟もある)の敷地内に、ジャーマンアイリスの葉が茂っているのを見つけた。フェンス越しに見て回ると、あちこちに植わっていた。花の頃は、皆さんで楽しまれただろう!でも、更地にする時には潰されてしまう。すぐに元社員だったO氏にお願いして戴いて来た。7月25日(金)に、Y氏とスコップで掘り、40Lのビニール袋13個に詰め込んで、O氏の車で持ち帰った。暑い日だったけれど、嬉しさに余計熱くなった。葉を20cmに切り詰めて、2週間干してから、花壇倶楽部の人達皆なで植えた。五月が楽しみだけれど、何色が咲くのか皆目判らない!花の色は、白・黄色・オレンジ・ピンク・赤・青・紫・黒・茶色と豊富なのです。

2009年1月21日水曜日

寒晒し

 石油ストーブの上でコトコトと、煮豆を上手に煮る名人A夫人!時々頂けて嬉しい!ヨーグルトに入れたり、パンにのせたり、ぜんざいにして頂く。
今日は、お餅ではなく白玉団子にしてみた。絹の喉ごし、もちもち感で美味しい!
 白玉粉は、もち米を臼で挽いて、粗い粉にして、寒の水で数日間洗い、水気を切り天日に干して作る。「寒晒し」と言って、冬の季語である。
今時季は、「寒造り」 「寒餅」 「寒天」 「寒卵」 「寒紅(紅花から作る紅)」 「凍み豆腐」 「上布の雪晒し」 「味噌搗く」 といろんな作業で、皆な忙しい。寒中見舞いを書かねば!!

2009年1月17日土曜日

銀杯

 ある雑誌を読んでいる時、美しい上品な銀杯が目に止まった。それは絹の小座布団にのり、側に浅葱色の紐が掛かった桐箱、盃の高さ45.3mm・口径116mm、底には五七桐の紋が浮き上がっている。
「終戦の日まで引き続き1年以上、外地で生活していて戦後引き揚げてきた方・戦後旧ソ連邦、モンゴル国に抑留された方に贈呈します。申請の締め切りは3月31日です、お急ぎ下さい。請求書は各市町村の福祉関係の窓口にあります。」という 独立行政法人・平和祈念事業特別基金の広告でした。
 20数年前、藤原てい氏の講演を聞く機会があった。引き揚げの折りの事や故新田次郎氏の事、遺品(万年筆等)をスイスの山に埋めた話だった。著書「流れる星は生きている」 を涙ながらに読んだ事を思い出して感無量だった。
 最近、藤原咲子さんのお話を聞く機会があった。「ふと気づくと、一つ目小僧に追われたり、白い紐で誰かが首を絞めるような気がして、怖くてお話の出来ない子供だった。生後1ヶ月から1年間の引き揚げの道のりで、ていさんのリュックサックの中で背負われていた時のブラブラ揺れる紐、夜道を歩く時の北斗星が、一つ目小僧に思えたのだろう!」と仰っていた。まだ乳児だったのにと、胸潰れる思いがした。 80歳を過ぎた頃から、てい氏は、伊豆の沖の大きい船を見ると「あれは、引き揚げ船だよ!」と言われるようになったとも。
 広告を見ながら、あれこれ考えていたら30数年前、ジャカルタに住んでいた頃、新田次郎氏のご長男一家が、近所に住んでおられたのを思い出した。

 

2009年1月11日日曜日

ポスター

 毎月、「花壇の手入れをしましょう」 という ポスターを、掲示板に貼り出す。佐和子さんの手を煩わしながら出来上がる。一月の花は、‘千両(センリョウ科)・万両(ヤブコウジ科)’だ。「今月の花を何にしようかな!」と いつも考えている。皆さんにも、「今月は何の花が良い?」と聞くが、結局、自分の思った通りに決める。
12月(バラ)・11月(フジバカマとホトトギス)・10月(紫式部)・9月(カランコエ、なでしこ、コスモス)と言った具合に。ポスターをアップしようと試みたが出来なかった。おせち料理も横になったままだし、次回の‘パソコン相談日’に相談してみる事にした。

2009年1月8日木曜日

先頭車両

 出迎え・見送りのために羽田空港へ一年に数回出かける。見送った後の空しさを、忘れるために、モノレールの先頭車両の前列の席に陣取る。カーブや対向車とすれ違う時は怖い!狙う位置で、写真がうまく撮れない!!
 今日は、暖かくて風もないので寄り道をしよう!と、新橋で降りて‘ゆりかもめ’に乗り、お台場海浜公園へ行った。‘ゆりかもめ’のマークをじっくり眺めると、とっても可愛い!遊覧船の乗り場へブラブラ歩くと、さすがに松の木が多い。雪吊りをした松もあった。松の木は大好きだ。根元の周りに、つわぶきが植えてあり、黄色の花は丸い白い綿毛になっていた。
 船着場の前に、常夜燈が波に洗われている。今はもう灯を点さないそうだ。レインボーブリッジが白く聳え立つ。品川台場の石垣は‘切り込みはぎ’か‘布積み’か?
 ペタンコ屋根の船に乗り、東京湾を行くと、左に築地市場の河岸が長く続いている。勝鬨橋をくぐって墨田川を遡りながら、いくつも橋をくぐる。浜町河岸も左手に見える。浅草方面から来る遊覧船には、お客さんが一杯なのに、この船の客は、私一人ぽっち!両国あたりで、船員さんがやって来て 「写真を撮ってあげましょう!」と、撮って下さった。
 桜橋で下船して、墨田公園を行くと、アサヒビールの金色のモニュメントが見えてくると、急に喉が渇いてきた。赤い吾妻橋を渡って ビアレストランへ。メニューに 「此処でしか味わえない!」と書いてあった‘バスペールエール(イギリス)’の 生ビールを注文した。
 ‘ゆりかもめ’に乗り、海では、ずっと‘ゆりかもめ’と一緒の一日だった。‘ゆりかもめ’は北からの渡り鳥で、嘴と足が赤くて可愛い。

2009年1月6日火曜日

 毎月 初旬に息子の所へ仕事に行く。もう、15年近く経つかしら?往復140㎞を、産業道路・17号・熊谷バイパスと北上する。バイパスに入ると90~100kで飛ばす!冬は、正面に、銀色に輝く上毛の峰〃が連らなり美しい。今年は、まだ雪が少ないなあ。
 運転免許を取得したのは55歳の時だった。教習所の先生方は、優しくて親切だったけれど、中々 印を押して下さらない。「もう押す欄がないねえ…」と言いながら、空いている所に、欄を増やされた。顔見知りになった学生さんに、愚痴をこぼしたら、「僕は、親が規定のお金を出してくれて、それ以上掛かるのは、バイトから出すんです。」と 言ってノートを見せてくれた。4時間・8時間で次ぎへ進んでいたので「ワーイ!優等生!」と 褒めて上げた。
高速教習の時、、折り返しのサービスエリアで、ある青年が、「僕の父は、タクシーの運転手なんですが、近頃、父を尊敬するようになりました。」と言っていたっけ。
 12月 関東一の葱畑は、緑が一面に広がっていたけれど、お正月用に出荷してしまい、もう 今月は、あちこちの畝に、小さく土ぼこりが舞っていた。

2009年1月4日日曜日

1歳と3歳の万両(ヤブコウジ科)

 お正月を彩った万両の赤い実も、1月中旬になると少し皺んでくる。一年前、赤い実を採って、水に2週間漬けた。小指の先ほどの肌色の実にして、プランター五箱に200粒植えた。
 六月になって、やっと針のような芽が出てきた。一年経った万両が右側。三年経ったのが左側。200粒から、46個の苗が育っている。
 「4月になったら地植えにしよう!」その方が逞しく育つから。2~3年たって、あちこちに万両の実が成り、御近所の方々が 「正月用に!」 と 一枝づつ持ち帰れるようになると、いいなア!と 夢みた。

2009年1月1日木曜日

元旦

元旦の朝は、同じ顔ぶれでも改まって御挨拶!お屠蘇を恭しく戴いて、おせち料理を戴く。 鯛・伊達巻・数の子・黒豆・海老・蒲鉾・サーモン・くるみ・いくら・海胆・きんとん・渋皮栗・紅白なます・千代呂貴・巻き湯葉・百合ね・帆立貝・裏白椎茸・矢羽蓮根・昆布巻き・蛸・ローストビーフ・京人参・八幡巻・鰤の吉野煮・八頭・丸餅(きめ細かくよく伸びる)、 毎年同じような品目を、手間暇かけて作るけれど、満足出来なかった。
 今年のお重は、神楽坂‘石かわ’のお料理(45品目)です。三の重は、大晦日に頂いた。家族は、「お母さんのが良いのに!」と、文句たらたらで、手抜きは許さん!という雰囲気だったけれど、「流石だ!味が良い!薄味だから素材のうまみが判る!彩りがきれい!細工が細かい!」 と ニコニコ。今年一年も穏やかな日々でありますように…